「 米国人ジャーナリストの根気が明らかにした『真珠湾の真実』 」
『週刊ダイヤモンド』 2001年7月14日号
オピニオン縦横無尽 第404回
7月初め、文藝春秋「諸君!」の企画で『真珠湾の真実』の著書、ロバート・スティネット氏らと対談した。ペギー夫人とともに来日した今年77歳の氏から聞いた取材にまつわるエピソードがとりわけ重く私の心に響いた。
真珠湾攻撃は日本がアジア諸国に石油等の資源を求めて進出する動きを、米国に阻止されないよう、米国の攻撃能力をつぶしておくとの意図の下に行われたが、じつは、日本をそこに追い込んだのはルーズベルト大統領だったと書いたのがスティネット氏だ。
氏の著作は、第二次世界大戦は日本の騙し討ちによって始まった汚い戦争だとの評価を根底から変えていく力を持つものだが、著書の圧倒的な迫力はなんといってもそこに引用された原資料にある。膨大な資料を入手するのに、氏がどれほどの努力を続けたか、その体験談は、同じ報道の分野で仕事をする私にとって貴重な教訓だった。
米国は情報に関してはきわめて民主主義的な国家だとみられている。しかし、氏の体験は、その米国でさえ、最も重要な情報は隠蔽されてしまうことを教えてくれる。
たとえば、米国は1920年代から日本政府の通信の傍受、盗聴を始めているが、41年までには太平洋を囲むようにして25ヵ所に無線傍受局がつくられていた。このうちの少なくとも4ヵ所の無線傍受局が、日本の軍事暗号、外交暗号の双方を解読していた。
真珠湾に関して最も重要なのは軍事暗号の解読だ。スティネット氏以前の歴史家やジャーナリストは、米国は、日本の軍事暗号は解読できていなかった、少なくとも真珠湾攻撃以前にはできていなかったとの立場からあの大戦を論じてきた。米国政府も同様だ。真珠湾が日本の騙し討ちであると主張するには、米国側は日本海軍の無線通信を解読できていてはならなかったのだ。
スティネット氏は、この件についての米側の情報隠しは早くも41年12月11日に始まったことを指摘している。真珠湾の奇襲からわずか4日後に、それ以前に傍受した日本の軍事、外交電報、関連指令を海軍地下金庫に封印し54年間の公開禁止とし、文書化されたものはすべて廃棄せよ、との海軍通信部長の命令が下されたのだ。
だが、当局がどれほど躍起になって資料の隠滅を図っても、誠実で熱心な発掘者がいる限り、真実はいつの日かその姿を現す。スティネット氏はルーズベルトの陰謀の手がかりを政府の資料ではなく、同じく機密資料とされてきた関係者の個人ファイルや日誌、日記のなかから、探りあてていった。
長年隠されてきた情報を、スティネット氏は「情報の自由法」に基づいて、10年間、請求し続けた。つまり、最初の10年間は、まったく情報開示が行われなかったということだ。
10年間、毎年、情報開示の請求文書を提出し続けた氏の根気は見上げたものだ。それでも氏が入手した通信傍受資料は全体の2%にすぎないという。
「私の取材はまだまだ続きますよ。これはとば口で膨大な資料のなかにどんな新事実が眠っているのか。それを明らかにするのが、私の役割です」
77歳の氏が言うのである。感動し、そして勇気づけられた瞬間だった。
それにしても、と私は思う。真珠湾攻撃で山本五十六司令長官はよほどの緊急性のある時以外、無線封止をする命令を出した。だが、およそだれも、その命令に従っていない。奇襲攻撃の最高責任者、南雲忠一中将は発信した無線のうち、少なくとも60通を解読されている。そのほか幾百の軍人たちが過ちを犯している。なのに帝国海軍は、無線封止を守っていたとの虚偽が、今日までまかり通ってきたのはなぜか。“栄光の帝国海軍の歴史”もまた、見直さなければならないゆえんである。