「 日米安保条約の解消を主張する元外交官の論文は国益を損ねる 」
『週刊ダイヤモンド』 2001年7月7日号
オピニオン縦横無尽 第403回
週末の「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」(IHT)紙に元外交官の野田英二郎氏が「日米安保条約は廃棄すべきだ(should be scrapped)」という主張を「社説・意見欄」に寄稿していた。
野田氏は文部省(現文部科学省)の教科書検定審議委員を務めていた昨年10月、2002年度版中学生用の歴史教科書の検定を担当していた時に、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書を批判し、他の検定委員らに同教科書を不合格にすべきだと働きかけていたことが発覚し、検定委員から教科書の「価格分科会」に配置換えになった人物だ。
野田氏の主張で記憶に残っているのは、1997年1月号の雑誌「世界」に「日米安保条約を終了させ」「米軍基地をすべて撤去」すべきだと書いた点だ。日中友好会館の副会長を務める野田氏は右の論文で、中国が身構えるのは日米安保条約があるからだと主張した。
氏がどんな考え方をしてもかまわないが、私が奇異に感じたのは、元インド大使まで務めた日本の外交官が、日本国の政府がその外交の基軸であるとする日米安保条約を終了させるべきだとの批判論を展開した点だ。
田中真紀子外相の先の訪米は一言でいえば“弁明”のためだった。彼女の言動が反米、もしくは嫌米と受け止められる危険性があり、それは日米関係および日米安保体制を日米外交の基軸と位置付ける日本政府の政策に反し、日本の国益に反すると考えられたからこそ、そうではないと示すための旅だったはずだ。
だが、田中外相の一連の言動よりも野田氏の主張ははるかに踏み込んでいる。6月23~24日の「IHT」に掲載された主張をみてみよう。
氏は「同盟」を「中味のない流行語」のひとつととらえ、今、米国は日米同盟を強化しようと欲しているが、それを支持する論拠は“疑わしい”と結論付けて、次のように書いている。
「同盟は共通の敵を前提とする。しかし日本は少なくとも90年代以降はまったく敵を持っていない」
国家として想定すべき“敵国”がまったく存在しないという考え方そのものが、国家の安全保障や外交論では通用しないと思うが、野田氏は「日本が75%の維持費」を払っている在日米軍基地の存在によって引き起こされる「諸問題はかつてのソ連の衛星国を想い出させる」とさえ述べる。チェコスロバキアを力で押さえつけた事例を書き、続いて愛媛丸の事件を書き、日本が米国の力に押さえつけられている“衛星国”だとの趣旨を展開。また、米国政府は公式に「中国を敵視しない」と言いながら情報偵察機の派遣が海南島沖での事故につながった。「そのようなフライトを在日基地から発進させることを、なぜ日本は了承するのか」と問いかけている。そして「日米安保条約は極東の地政学的見地からも基地問題の不幸な現実という点からも、外交辞令以外では存在しないのだ」と断言し、日米両国はすべての在日米軍基地をなくして新しい友好協力条約を結び直すべきだと結論付けている。
先述したように、野田氏が自説を主張するのは大いに自由だが、元外交官のこの種の主張が「IHT」紙に掲載されることの影響を、日本側は考えるべきだろう。田中外相がブッシュ政権の安全保障政策を批判し、中谷元防衛庁長官がNMD(米本土ミサイル防衛網)等の計画に対する留保を表明し、元外交官の野田氏の主張が展開され、ということになると、これらが一本の糸につながれて、特定のイメージ、つまり、嫌米と米国離れのイメージがつくられていく危険性もある。これはどう考えても日本の国益に合わない。今週末に訪米する小泉首相は、こうした疑念や懸念の払拭に努めるべきだろう。