「 情報公開せずメディアを規制 個人情報管理に走る政府の歪み 」
『週刊ダイヤモンド』 2001年6月9日号
オピニオン縦横無尽 第398回
どんな時代にも情報は力だ。情報を持つ人ほど、物事や社会の動きを先読みするのに鋭敏になりうる。そのぶん、他者に先がけ、優位に立ち、間違いを回避することもできる。情報を欠く人ほど対処に遅れ、取り残されていきがちである。情報なしにはさまざまな競争に敗れ、おとなしい羊のように、他者のあとをついていくだけの存在になりがちである。
より多くの情報を、より多くの人びとが共通理解の基盤として持っている国や社会は、そうでない場合よりもはるかに賢く、創造的で活気に満ちた生き甲斐のある社会になる。
ところが日本は、情報に関しては稀にみる閉鎖的な国である。
今年4月から情報公開法が施行されたが、同法の運用は、基本的に公開できる情報を公開していくというものではなく、開示請求を受けたときに行政側が公開できるかどうかを検討して、決めるというものだ。情報公開法の導入自体、先進諸国に較べて非常に遅い時期だったが、その運用は、相変わらず、“できるだけ隠す”という考え方なのだ。
加えて、個人情報保護法案がある。これは本来、インターネット時代に個人の情報が無軌道に利用悪用されることのないように対策を打つための法律だった。ところがいつの間にか、ジャーナリズムを大幅に規制する内容になってしまい、すでに閣議決定され、あとは国会に提出されるばかりの状況だ。
法案の内容のひとつは、メディア側が個人について調査する場合、その目的などを明示し了解を取らなければならないというもので、特に出版社やフリーのジャーナリストが標的である。
これが具体的にどんな効果を持つか。たとえば政府要人の不正献金疑惑があったと仮定する。この疑惑を調べるのにどんな記者でも本人に直接あたるより、まず周辺から取材を進めていくだろう。そんなときでさえ、取材目的を明らかにしてからにせよという。しかし、この種の取材では目的を軽々に説明することなど、できるはずがない。つまり、取材理由を明示せよなどという枠をはめられた場合、ジャーナリズムが機能停止するのは明らかなのだ。
こんな法律を成立させるのは、政府が自分たちに都合の悪い情報を隠すためだと思われても、仕方がないだろう。
このように情報を極力出そうとしない一方で、政府は今、住民基本台帳法を成立させ、早くもいくつかの自治体でいわば試運転を始めようとしている。来年8月から国民に11桁の番号を割り振って国民1人1人の情報を一元管理しようというものだ。
総務省はこの住民基本台帳法で管理するのは、住所、氏名、性別、生年月日の4項目だけというが、そんなことは総務省の嘘である。第一そんな情報は、すでに世界に冠たる戸籍制度や住民票制度で管理されている。にもかかわらず、11桁もの番号を新たに1人1人に割り振るのは、この中にあらゆる情報を、いずれは入れて管理する狙いがあるからだ。
そのほうが便利でよいなどという方は、ちょっと考えてほしい。自分の病歴や治療歴を医師が知っているのは当然としても、それを市役所の職員が容易に知ることができる制度がよいか否かと。または、自分の収入や納税額を税務署が知っているのは当然として、これまた市の職員が知ることができる制度がよいか否かと。答えは明らかだ。
国民の情報を一元管理する同様の制度を、ドイツは憲法違反として退け、イギリスもフランスも、お隣の韓国も退けた。それを日本が導入しようとしている。こんな悪法は許してはならない。同時に、私たちは、情報をできる限り出さず、国民の情報をコントロールしようとするこの国の歪な精神構造に意義を唱えなければならないのだ。