「 メディアの責任を問う 」
『Voice』 2001年6月号
竹中平蔵・櫻井よしこ連載対談 目を覚ませ、日本人 第6回(最終回)
森前首相の訪ロは国民に対する背信行為だ
櫻井:3月の終わりに、森喜朗首相が、ロシアのイルクーツクに行ってプーチン大統領と会談をしましたが、この会談はあとで振り返ってみると日ロ交渉の歴史のなかでたいへんな汚点になるのではないかと思いますので、今日はこの話からさせていただきたいと思います。
竹中:たくさん資料をおもちですね(笑)。
櫻井:ええ(笑)。そもそも今回のイルクーツク会談に、森さんは行くべきではなかった。こういう意見は、じつは外務省の内部にもあったようです。それを、森さんがホットラインで直接、「3月25日の会談をお受けします」といってしまったため、急に走り出してしまったということです。
順番を追ってお話しましょう。まず、1月に河野外務大臣がロシアに行き、イワノフ外相と会談をしました。そこで「2月25日、日ロ首脳会談」という話が出て、河野さんは「プレス発表をしてもいいか」という確認をロシア側にとったのです。ロシア側も、最終的に了解し、河野さんはプレス発表を行ないました。ところが、彼が日本に戻ってきたころにはロシアから撤回の連絡が入っていて、河野さんは恥をかかされてしまったのです。これは、「北方領土問題は、四島一括の問題だ」という「正論」を主張した河野さんへのロシア側のしっぺ返しだと見るべきです。日本政府内の意見が2つに割れていることにつけこんだロシアの戦略です。いずれにしても、正式な外相会談での合意事項をいとも簡単に撤回して「3月25日」といってきたのは、外交儀礼から考えてたいへんな非礼にあたるのですから、日本側は断るのが当然でした。それを森さんが受けてしまった。ご自分の延命のためにスケジュールを入れたのではないかと思いたくもなります。
竹中:そうだとしたら許し難いですね。
櫻井:まったくです。森さんは、とやかくいわれながらも、国益を重視している人だろうと思っていたのですが、今回のことで、彼が一国の首相としては耐えきれないほどの愚者であることがわかりました。
少し長くなりますが、日ロ交渉の歴史についてお話ししてみたいと思います。
日本の外交政策のなかでは日ロ交渉は唯一、骨太の交渉をしてきた分野でした。対中国、対韓国、対北朝鮮外交は相手国に主導権を取られがちでしたが、ロシア外交だけは、ほんとうにしっかりしていました。
戦後の交渉は、1956年に鳩山一郎首相がモスクワに行き、「日ソ共同宣言」を出したところから始まります。これは、北方四島の領土問題での折り合いがつかず、平和条約締結に代わって国交回復を目的として出された共同宣言です。そのなかで、平和条約締結のための継続交渉と、条約締結後の歯舞・色丹両島の日本への引き渡しが謳われていますが、日本側はあくまで二島ではなく四島だという主張であり、ソ連側は他の二島については解決済みとして、両国の主張は対立を続けました。
その後、72年に来日したグルムイコ外相と佐藤栄作首相、福田赳夫外相の会談で平和条約交渉を再開する旨の「日ソ共同声明」が出され、その年10月の第1回交渉に続いて、翌73年には田中角栄首相が訪ソします。このとき田中さんは、「両国間の未解決の問題は領土問題(四島問題)である」ことをはっきりさせました。二国間の問題は四島問題だけでなく、漁業問題などもあるとしていたソ連側に、領土問題こそが日ソ間の問題なのだと確認したことに大きな意義があります。ブレジネフに対して独特のドスのきいた声で確認をとったという交渉場面は、圧巻です。
時代は下って、ソ連崩壊後の93年、エリツィン大統領が来日し、細川護煕首相とのあいだで「日ロ関係に関する東京宣言」(東京宣言)が発表されましたが、このなかで未解決の四島問題について、交渉の対象は国後・択捉・歯舞・色丹の帰属問題であると明記されました。たんに「4つの島」といっていたところから具体的に島々の固有名詞を明示したのですから、大きな進展でした。
ところが、橋本首相のころからおかしくなりました。97年にクラスノヤルスクで行なわれた橋本-エリツィン両首脳の非公式会談では、「東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」と合意しました。ここでいう「平和条約」の意味は、戦争をした2国間で、戦争によって生じたさまざまな問題を解決し、正常化しましょうということなのですが、ロシアは従来から、「平和条約」ではなくて「平和友好条約」あるいは「善隣友好条約」を結び、解決する問題は「領土問題ではなくて「国境線画定問題」でいいではないか、といっていた。ロシア側は、言葉を変えることによって、歴史の負い目を消し去り、自国に不利な要素を排除しようとしたわけです。対する日本は「平和条約」であり「領土問題」だと頑張ってきたのが橋本以前の対ソ、対ロ外交でした。
それが、98年の川奈会談でこの前提が揺らいでしまいました。川奈では、「国境線画定問題」とか「平和友好条約」といった表現が使われはじめたからです。そのころ野中広務官房長官が、領土問題と平和友好条約交渉を分離してもよいではないか、といった発言をし、新聞で大きく報道されました。あとで野中さんは、発言について注釈をつけましたが、明らかに、日本は2つの交渉を分離してもよいと考える勢力がいることをロシア側に教えてしまったのです。さきほど、「日本政府内の意見が2つに割れていることにつけこんだロシアの戦略」と申し上げた意味はここにあります。しかも野中さんは「平和条約」ではなく「平和友好条約」といっています。これこそロシア側が望んでいたことです。
3月に森さんがロシアでしたことは、1956年の日ソ共同宣言を公式の場で初めて文書で確認する、という馬鹿げたことでした。あの共同宣言は、日ソ両国が批准したものですから、確認するもしないもありません。森さんの行為は、これまでの日ソ外交の努力をすべて無にして、時計の針を45年前に戻したようなものです。これまで日本は、エリツィンを相手に「個人的な信頼関係のなかで領土問題を解決する」(橋本氏)といて巨額の援助を約束しました。総額70億ドルです!その4分の3はすでにキャッシュで払っています。プーチン大統領も、日本の政治家を相手に、政府内の議論が二分されていることを十分に活用して、正論をいう人を排除してロシアに都合のいい人を呼び、56年まで、交渉の歴史を引き戻すことに成功しました。そうなると二島返還があたかもロシア側の大きな譲歩のように見えてしまいます。わがほうには「領土問題=国後・択捉・歯舞・色丹の四島問題」だと問い詰めた歴史があるのですが、それを無視した森さんの行為は、国益に反するものであり、国民に対する背信行為にほかならないと思うのです。
竹中:たいへん勉強になりました。いまいちばん最後に「国益」について話されましたが、まさに日本が政策、とくに外交を論じるときに根本的に欠落していたものが「国益」という概念でしょう。政治家にも欠落していますが、ジャーナリズムが正面から議論しているのを見たこともないですし、われわれ研究者も政策論の根底にあるべき国益の議論をほとんどやってきていないように思います。たしかに、国益とは何か、という問題は難しい。一筋縄で決められるものではありません。とはいうものの、いやむしろ、だからこそ、外交を行なう際には必ず国益の議論は欠かせないのです。それが日本には決定的に欠落していた。
外交というのは、つねにダブル・スタンダードです。つまり正統性とリアリズムの兼ね合いです。アメリカなどダブル・スタンダードの権下です。日本の対ロ外交が骨太だったというのは、正統性を追求してきたからでしょう。裏を返せば、リアリスティックな交渉がほとんどなかったのかもしれません。それが、近年になってかなり現実味を帯びてきた、つまり四島が、返ってきそうもなかった状況から返ってくる可能性が見えてきた段階で、正統性を確保しながらどこまでリアリスティックになるか、この両者をつないでいるのが「国益」の概念だと思うのです。
そして大事なのは、メディアは何をチェックし、何を伝えるべきなのかということです。いま、国民はこの問題に関してほとんど蚊帳の外に置かれています。政治家のスタンドプレー的な政策や外交だけが報じられ、正統性とリアリズムのあいだでどういう位置づけがなされているかが見えてこない。きわめて問題です。
櫻井:原則論をいうだけでは外交はまったく動かないことはよくわかります。この10年間のロシア外交は、リアリズムを重視してきました。しかし、誰を相手にリアリズムの追求をやってきたかが問題です。プーチンが大統領代行になる99年末まで、ほとんど国内基盤を失っていたエリツィンを相手に70億ドルという大金をつぎ込み、かつ「国境線画定問題」とか「平和友好条約」といった表現を使いはじめるという大きな譲歩をしています。当時、橋本首相が親しさの象徴として強調した「ボリス」「リュウ」関係は、はたして何のリアリズムにつながるのか、何の正統性につながるのかというと、そこにはまったく何のつながりもないのです。橋本さんの思い込みだったのではないでしょうか。リアリズムはとても大事ですが、日本の政治家は、目の前のほんの小さな友情や、うわべだけの微笑みのために大金をつぎ込むことがリアリズムだと思い違いをしているようです。
ジャーナリズムの責任もとても大きいと思います。今回の森さんのイルクーツク訪問について、どの新聞もテレビも、詳しくは論じませんでした。「56年の日ソ共同宣言をはじめて文書で確認した」で終わりです。勉強不足です。たとえば、北方領土といいますが、それがどれだけの広さの土地なのかということさえ伝えていません。「返してくれ」というけれど、そもそも日本の領土だったのかどうか、といったことを事実関係として伝えていない。
北方領土は沖縄諸島の2倍くらいの面積があり、それはまぎれもなく日本固有の領土でした。これらの島には1945年8月18日にソ連が攻め入ってくるまで1万7000人の日本人が住んでおり、1度も帝政ロシアやソ連の支配下に入ったことはありませんでした。日本が連合軍に降伏した8月15日以降、すべての戦いが終わらなければいけないにもかかわらず、8月8日に日ソ中立条約を一方的に破って対日参戦したソ連が北方領土に上陸したのが18日、占領を完了したのが9月5日です。この経緯を見れば、ソ連による穂法領土占領は明らかに違法です。そうした事実さえも、マスコミは国民にきちんと伝えていない。森さんのロシア訪問についても、これら全体的な枠組みのなかでどういう位置づけにあるものなのかを伝えなかったのは問題です。
政治家はメールマガジンを出せ
竹中:外交の基本は首脳外交です。リアリズム、つまり現実的な判断は、最後は首脳の主観的な判断となる。しかし判断が主観的であればあるほど、それに対する評価は客観的でなければならないわけで、それをするのがジャーナリズムの重要な役割でしょう。ところが問題は、ジャーナリズムの体制が主観的な判断に対する客観的な評価、という前提に立っていないことです。日本のジャーナリストがトレーニングを受ける場所は、役所の記者クラブでOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)です。ほとんど影響力をもたない公定歩合があれだけ新聞に書かれる理由は、みな日銀の記者クラブで「公定歩合は大事だ」との教育を受けているからにほかなりません。実際、日本には「ジャーナリズム学」が存在していないのではないでしょうか。日本のジャーナリズムはひどい、とは多くの心ある人の意見でしょうが、それが体質を変える「声」になりえていない。といって、記者クラブをなくせばそれで問題が解決するほど単純ではないと思います。ジャーナリストとしての櫻井さんの診断と処方箋は、どうでしょうか。
櫻井:一筋縄ではいかない難しい問題です。ジャーナリズムは巨大な産業になっていますし、それぞれの企業が官僚組織にも似た強力な組織力を誇っています。世間に対するアピール力もありますから、改革は容易ではありません。結局、地道に優秀な記者を育てていくことしかないと思います。若いころ優秀だった記者もAほどなくして出世し、管理職になって記者業をやめてしまう。ジャーナリストを一生の仕事とするためには、フリーになるしかない。いまのマスコミは組織的にはよい記事を書ける記者を育てる仕組みにはなっていないのです。
もう1つ必要なことは、きちんとした評価システムをつくることです。アメリカにはメディアウォッチのNPOが20ほどあって、報道に対してさまざまな批評をします。しかも、報道した記者の実名を挙げて批評するので、記者はつねに緊張して記事を書いている。新聞社のなかにもオンブズマン委員会があります。オンブズマン委員会の出した発表は、どんなに批判的な記事でも、無条件で、いっさいの修正を加えずに載せなければいけない決まりになっています。オンブズマン制度は、心あるジャーナリストを育てていこうと思ったら、1つの新聞社、あるいは放送局でも、すぐにもできることであり、こうした自浄作用が働く風土をつくっていかなければいけません。
と同時に読者も、マスコミのいうことを羊のごとく受け入れるのはやめなければいけません。問題意識をもつためには、まったく違う傾向の新聞や報道をつねに比較しながら見てほしい。朝日新聞をずっと購読してきた人は読売新聞や産経新聞を併読するというように。そうして情報を見る目、マスコミを評価する力をつけていくことが、日本のジャーナリズムをよくしていくことにつながると思います。
竹中:いま「自浄作用」という言葉を使われましたが、メディアの側が報道にあたっての明確な行動基準をつくらなければいけません。先日、ある新聞が、私に関わる明らかに誤った記事を書いていましたが、そんなことは本人に確認すればすむ問題でした。しかしそれをしない。あるいは、政治家の秘書のようなことをやっている政治担当記者、企業の御用聞きのようなことをやっている財界担当記者もたくさんいます。そういう記者にならないための行動基準が必要です。この対談シリーズで以前にもお話ししましたが、スピリッツ・オブ・ジャーナリズムとは何であるかといえば、権力からも、大衆、つまり読者からも距離を置くことです。距離を置かないで客観的な評価などできないのですから。
櫻井:日本の「番記者」といわれる人たちは、距離を置くことをしません。むしろ置かないで、懐に飛び込むほうがニュースが取れるという姿勢です。しかし、ニュースを取るにしても、距離を置くことは大切です。ある有力政治家の番記者の1人が、番記者の役割とは何かと話していたのを聞いて、唖然としたことがあります。なんと彼は、番記者の役割の1つは、自分の所属する会社に何かあったときに、その火をもみ消すための企業防衛である、という意味のことをいったのです。想像を絶するメンタリティです。日本では政権政党の政治家といかに親しく話ができるか、いかに一緒に料亭に行けるか、いかに緊密に情報交換ができるかが、番記者の、あるいはマスコミ人の隠然たる力の源泉になっている。アメリカでは、メディアの幹部が政治家との親しさをアピールするなど考えられません。そんなことをしたら、そのメディアはいっぺんに信用をなくしてしまいますから。
竹中:その記者は、ジャーナリストとしては三流ですが、サラリーマンとしては超一流ですね(笑)。
櫻井:先日、公正取引委員会が再販制度の継続を決めましたが、新聞の再販制度はほんとうによいことなのか、よくよく考えたほうがいいと思います。日本の大新聞は、この制度に支えられて巨大部数を誇っています。しかし、アメリカにもイギリスにもフランスにも、部数は小さいけれど、きちんとした報道をし、主張を貫く「いい新聞」があります。日本でもそうした新聞を育てていく必要があります。再販制度によって支えられている大部数が健全だとは思えないのです。
竹中:ニューヨークでは日経と朝日と読売が現地印刷されて売られています。値段は全部、違います。ちゃんとマーケット・メカニズムが働いています。再販制度がないと市場が成り立たないというのは、明らかにウソです。国内向けにカムフラージュを続けているメディアの状況を変えさせられるとすれば、それは読者ではないでしょうか。読者が洗練されればマーケット・メカニズムを働かせることは可能です。
もうひとつブレークスルーがあるとすれば、政治家がメールマガジンを配信することです。政治家の皆がみな、新聞はきちんと書かない、ひどいといっています。そのとおりです。しかしそれならば、政治家自身が自分の言葉で国民に語りかければいい。記者が書いた記事と、政治家自身がほんとうに思っていることがいかに違うかを配信したらいいのです。わざわざアクセスしなければならないホームページと違って、1度登録さえすれば自動的に送られてくるメールマガジンなら、読者に手間はいらない。たとえば内閣総理大臣から毎日メールマガジンが届けば、楽しいじゃないですか。そういう努力が、政治の側に欠けています。
教育問題は基本的には大人の問題
竹中:さて、成熟した市民社会の知的なコアを担う部分としてのジャーナリズムを論議してきましたが、もう1つの大きな柱は教育です。当たり前の話ですが、人間が賢くならないかぎり世の中はよくなりません。しかし柱となるべき教育が、恐ろしく空洞化しています。1億2700万人が教育の当事者であり、かつ全員が評論家ですが、専門家がほとんどいない。文化人と称する人たちが審議会などで提言を出しますが、どれも思いつき以上のものではないように見えます。空洞化した教育を、いかに骨太のものにするか。
櫻井:いまの教育に欠けているものは、理念と実践のうち、とくに実践なんだろうと思います。先日、兵庫県の真ん中あたりにある、朝来町という小さな町の公立小学校の授業を見学して、感動を覚えました。まず、算数の授業が始まると、最初の10分くらいは「百マス計算」というものをやるのです。縦に10の数字、横にも10の数字があり、それらを足したり引いたり、掛けたり割ったりさせる。全部のマスを埋めるのに、私は5分くらいかかってしまったのですが、速い子は1分3秒で計算を終えてしまった。子どものほうが私より5倍も速い(笑)。あるいは国語の授業では、最初の10分くらい漢字の熟語練習をやる。
これらは、いわゆる反復練習にすぎないのですけれど、いまの子どもたちができないのはここではないか。もちろん計算の仕方は知っています。しかし教材がどんどん薄くなっていますから、実践練習があまりに少ないのです。人間の脳はどのようにして鍛えられるかといえば、反復練習ではないでしょうか。知識を得たら、それを使うことで消化し、頭に入っていくのです。
6年生の国語の授業では、福沢諭吉の『学問のすすめ』とか、古典の『平家物語』『伊勢物語』『源氏物語』などを大きな声で暗誦していました。昔の人たちは子どものころ、こうやって漢文の素養を身につけていたんだと思い、思わず感動してしまいました。いまは完全に理解できなくても、いずれ必ず素養となって花開くと思います。
私がいいたいのは、創造性や独自性はしっかりした土台の上に花開くものであり、その土台は、詰め込みによってつくられるということです。この小学校ではこうした実践を13年くらいやっていて、そうした教育を受けた子どもたちの「1期生」が2、3年前に大学を受験しました。これまで10年に1人というくらいの割合でしか入らなかった国立大学に何人も入った、しかも東大や京大といった大学に合格した子もいたというのです。べつに国立大学に入るのがいいというわけではありませんが、学力が向上したことの1つの証にはなると思います。
さらに重要なことは、この学校には荒れる子どもがいないのです。いまの子どもたちが描く絵と10年前の子どもたちの描いた絵を比べると、個人差を差し引いたとしても、全体的に感受性豊かな絵が増えています。算数の計算が速くできるとか、古典を暗誦できるということは、つまり能の働きを高めているのだと思いますし、能の働きが高められた結果、感受性が豊かになったと考えられます。感受性が豊かになり、ものに対する観察眼が鋭くなることで、人に対する思いやりも生まれてくる。
いま、日本では教育「論」がさかんに論じられていますが、それを実際に現場で具現化することがあまりにも軽視されているように感じられます。
竹中:私は先日、NHKの『ようこそ先輩』という番組の収録で母校の小学校に行ってきました。私が生まれたのは和歌山市ですが、そこで熱のこもった教育を受けられたんだということを思いだして、感動してしまいました。入学式のとき、母に「しっかり勉強して立派な人間にならなきゃだめだよ」といわれて緊張したことを覚えています。当時、国民は皆、教育とか知といったものに対して敬意を払い、資源の投入もしていたのではないでしょうか。
教育について考えるとき、重要なポイントが3つあると思います。1つは、われわれ日本人はそうとうな覚悟で勉強をしないといまの生活を維持できない、「知」以外に頼るものはないことを認識する。2つ目は、だからこそ資源、具体的にはお金をかけなければだめだということです。親は子どもの入試のためにはお金を投入していますが、高等教育や、ほんとうの意味で人間の知を高めるための教育にあまりお金をかけていない。
そして3つ目に、競争でしょう。近年いわれる「ゆとり教育」は、一種の護送船団方式で、日本の子どもたちの知的レベルを著しく下げようとしている。それ以前に行なわれていた、あるいはいまでも一部で行なわれている受験戦争は、大学に入るところまでしか視野に入れていない。知的なものを大切にする社会をつくるためには、勉強をした人間にはうんといいことがあると実績で示すことが大事です。会社の採用の基準、給与システム、税金のシステム、その入り口にあたる大学入試のシステムなど、社会全体のシステムを変えていかなければなりません。
私は自分の娘を小学校から高校までアメリカの学校に通わせましたが、そこで感じたことは、社会が子どもに対してものすごくディマンディングである、つまり要求水準が高いということでした。これはやらなくていい、あれもやらなくていいという日本のゆとり教育に対して、アメリカではもっとやれ、もっとやれという。教育とは実践だとおっしゃいましたが、私は、子どもを一種の知的興奮状態に置くことだと思います。
櫻井:資源の投入が大事だとおっしゃいましたが、まさに私も同感です。そしてそこには、親の気持ちや時間なども含まれると思います。いまほど、子どもの受験教育にお金をつぎ込みながら、一方で手抜きをしている時代はないでしょう。
子どもたちの成績や能力と子どもの食べる食品の数についての面白い比較がありまして、お母さんが手料理をつくらずコンビニ弁当などを与えていると、子どもは知的にも体力的にも少し劣るという調査が出ていました。親がどれだけ子どもの教育に手をかけているかが問われているということでしょう。
竹中:教育問題は、基本的には大人の問題だと思います。子どもはその鏡でしかない。これも以前お話ししたことですが、総理府(現内閣府)のアンケートで、仕事以外で自分の能力を高めるための勉強をしている人が11人に1人しかいないことがわかりました。大人がしっかり勉強していれば、子どもも親を見習うものです。
櫻井:子どもたちが使っている最近の教科書をご覧になったことがありますか。教科書というとすぐに歴史問題が話題になりますが、算数、数学の教科書、地理の教科書、どれもすごく薄いんです。教科書がこんなに薄いということを親は知るべきですね。そしてそれをどう補うかまで、親は口出しをしていかなければなりません。
竹中:アメリカにいるとき、中学生だった娘の歴史の教科書を読んで感激したことがあります。数百ページの厚い教科書で、中身もすごく面白い。歴史とは論理であるということがよくわかりました。大学教授が読んでも知的に面白い話が書かれていることが驚きでした。
一方で日本の歴史教