「 外務省の詭弁 」
『GQ』 2001年6月号
COLUMN POLITICS
台湾の李登輝前総統が心臓病を患って、治療のために来日したいと4月10日にビザを申請したことから始まる一連の出来事は日本外交の汚点のひとつとなってしまった。
当初日本の外務省本省は、中国に気兼ねするあまり、李登輝氏にビザを出さないといった。けれど、正面 きってビザを出さないとは言えずに、さまざまな口実を設けて説明した。そのやりとりの中から形容し難い小国ぶりが見えてくる。心狭く、情にうすい卑小な国の姿である。
李前総統夫妻の代理として、日台交流協会台北事務所の山下新太郎所長に申請書を手渡した彭英次氏が改めて語った。
「4月10日午前にたしかに李夫妻の署名した申請書を山下所長に手渡してきました」
ところが外務省のアジア太平洋州局長の槙田邦彦氏らは、申請書は「受理」していないと強硬に否定した。申請書は「向こうが置いていった」というのである。
元々親日派で知られる彭氏がさすがに憤って言った。「山下所長の手元に申請書があるのです。山下所長が受け取ったことは、受理したということです」
日台間には外交関係がないため、大使館の代わりに交流協会があり、大使の代わりに所長がいる。山下氏は韓国大使をつとめたこともあるれっきした外交官だ。その人物も「受理した」と言った。にもかかわらず、本省の外務省が「受理していない」と否定したことについて、彭氏ならずとも憤るのは当然だ。
李氏の来日をなんとしてでも阻止しようとしている槙田局長は、申請書が提出されることを察知して、台北の山下所長に「申請書を受け取ってはならない」「李氏が日本に来ないように説得せよ」と訓令したそうだ。
それでも李氏側は申請書を提出した。山下所長は、李氏の病状を知っている立場から、当然、これを受け取った。するとまたまた槙田局長から、日本の専門医を台湾に派遣することで折り合いをつけ、李氏の来日を阻止せよとの内容の訓令が行ったという。
槙田局長と福田康夫官房長官は「申請書は受理していない」「申請書の提出はなかった」と発言したが、一連の当事者、関係者らの言葉をあわせてみると、外務省側の発言には詭弁もしくは嘘である。
李氏の来日に強く反対した河野洋平外相も含めて、正面切ってなぜ日本は李氏を受け入れてはならないのかを論ずる人はいなかった。聞こえてきたのは、「受け取ったけれども受理したわけではない」「向うが勝手に置いていったものは、受理とは言えない」などという言い訳ばかりだった。
外相はじめ外務省首脳部が反対するというならば、言葉をもてあそぶような“詭弁”ではなくきちんとした理由を言ってほしいと思うのだ。
北京政府との関係が悪くなることを心配しているのは明らかだが、李前総統の来日を断ったとして、日中関係がどのように“改善”されるというのだろうか。中国から見れば、「日本は強く言えば屈服して従う国だ」と、改めて確認するにすぎない。日本は将来にわたってこれまで以上に、中国から厳しい批判を、ことあるごとに受けることになるだろう。
そればかりではない。日本の世論は、そんな中国に対して反発を強めたり反中国的な見方をとったりすることにもなり兼ねない。
双方の側から、互いに対する軽蔑・侮蔑の感情的反発の悪循環に陥る危険性がある。李前総統の来日を阻止することは決して日中関係をよくするものではなく、かえって日中関係にも悪影響を及ぼすと考える。
李前総統はアジア諸国の中でもとびきりの親日派である。その人物を拒むとしたら、親日的だった台湾全体がひどい反日になり兼ねない。日本にとってこれ以上の国益を損うことはないだろう。第一、病気の人を拒絶して、私たち日本人がどうして胸を張って生きていけるというのだろう。
こうしている間に、李前総統へのビザ発給を求める世論が高まり、ビザは発給された。外務省の論理がおかしいことを世論が示したといえる。日本の外交のスタンスを、この事件を奇貨として、改めていくことだ。