「 櫻井よしこ怒りの緊急座談会・日本の司法は地に落ちたのか!」『薬害エイズ』弁護士、医師と激論 『安部無罪』は患者の視点が欠落した信じられない判決だ」
『SAPIO』 2001年4月25日号
司法改革が日本を変える 第12回
東京HIV訴訟弁護団・清水勉弁護士
東京ヘモフィリア友の会・仁科豊弁護士
川崎幸クリニック・杉山孝博院長
3月28日、東京地裁(永井敏雄裁判長)は、エイズウイルス(HIV)が混入した非加熱濃縮血液製剤の投与により患者が感染し死亡したと、業務上過失致死罪に問われた帝京大元副学長の安部英被告(84)に無罪判決を言い渡した。HIV感染者1800人、死亡者500人を超すという史上最も悲惨な薬害エイズ事件で医師として初めて刑事責任を問われていたのだが、エイズにより死亡する予見はできたがその程度は低く、過失があったとは言えないとの判決が下された。
櫻井:今回の「安部被告無罪」の判決に、驚くと同時に、失望しました。82年頃からにわかにエイズの危険性が議論されるようになり、83年には厚生省にエイズ研究班ができました。研究班の班長を務めた安部被告はその時点ですでに非加熱濃縮血液製剤の危険性を心配していたし、新聞の取材に「いてもたってもいられない」と述べています。同年6月の第1回研究班でも「毒を打っているような気持ち」と発言していた。にもかかわらず、85年5月から6月になって、まだ感染していない自分の患者さんに非加熱濃縮血液製剤を投与させ感染させたのです。結果的にその方はエイズに感染して亡くなってしまうわけです。しかもその少し前の3月には安部被告は自分の1号症例の患者と2号症例の患者がエイズで亡くなったということを朝日新聞に話し、これは「朝日」のスクープになりました。一連の安部被告の言動の中でこの事件を見つめれば、過失を問わない判決とはどういうことなのか、納得できないのです。
仁科:私は自分自身が血友病患者として医師の治療を受けてきたわけですが、85年当時に非加熱濃縮血液製剤を使うことはとても許されないことだと思っていました。しかもこの事件ではHIVに感染していないことがわかっている血友病患者に、あえて非加熱濃縮血液製剤を投与し、感染させ死亡させたのです。それが無罪になるというのは信じがたいことです。
杉山:私は血友病の患者さんを77年から診察してきて、治療のためにクリオも非加熱濃縮血液製剤も使っていました。ただ私としては、血液製剤のもつ問題とか、どう使えばいいのかということを、患者さんと一緒に勉強会を開いてきた。できるだけ比較的安全だと思われるものを、患者さんと一緒に勉強しながら選択してきたわけです。
櫻井:血液製剤の問題とは?
杉山:第1に、血液製剤にはいろいろなウイルス、病原体が入ってくる可能性があるわけです。だからその危険性をまず認識した上で、本当に最小量で十分な効果を上げるような使い方をしていこうと。
第2には、血液製剤を使うのは臓器移植と同じではないか、それを大量に輸入して使うことが果たしていいのかという点です。そして3番目には、非加熱濃縮血液製剤の危険性です。5000~1万人からプールされた血漿を使うので、もし1万人のうち1人でもウイルスに汚染されていたら全部汚染されてしまう。例えばエイズにしても、シングルドナーであれば血液製剤を介してこれほど蔓延しなかったのではないかと思います。
櫻井:そういうお話を伺うと、なおさらこの判決はひどいと感じますね。この患者さんは安部被告の治療方針の下で手首の関節の出血で合計2000単位の非加熱濃縮血液製剤を投与されています。杉山さんの病院だったらどうですか。
杉山:まずありえません。
仁科:出血の部位によって治療の緊急性が異なってくるのではないですか。例えば脳出血で非常に危険な場合などはできるだけ初期に投与するやり方がありますが、血友病患者にとって手首の出血というのは極めて軽い。そのときに使われるのは、危険な非加熱濃縮血液製剤では断じてありえないと私は思います。
杉山:当時は、非加熱濃縮血液製剤はそれほど危険なものではないという認識が基本的にあったと思いますね。保険でも使えるしいくらでも輸入できるから、むしろたくさん使ったほうがいいというとらえ方があった。私はむしろそのとらえ方自体が大きな問題だったと思うんです。非加熱濃縮血液製剤はいろいろなウイルスが混入する危険性の高いものだという理解を、血友病医は持っていなければいけなかった。
仁科:安部被告をはじめとする当時の血友病専門医と言われる人たちは、おそらくそういう理解は持っていたけれども、あえてその考え方に基づいて治療しなかったのではないですか。
杉山:ただ、医療というのは結果論というのも一方ではあるわけで、場合によっては私のやり方が批判される可能性もあるわけです。
清水:私は、なぜ非加熱濃縮血液製剤が安全だと最初から血友病の専門医たちが思ったのか、ということがむしろ疑問です。血液は危険という基礎的な知識から出発していれば血友病の専門医の誰もが持っていてもいいような意識だったのではないかと思うのですが。
杉山:そうですね。そこが一番の構造的な問題だと思います。
仁科:血友病の専門医だからとか、治療水準がなどと判決文は言っていますが、果たしてそうなのか。血友病の専門医でなくたって、こんな治療はしないと思いますよ。
清水:これは結果論で議論するのではなく、医師として85年当時にどれを選ぶべきだったのかを相対的に考えなければいけない。相対的には杉山先生たちのようなやり方が基礎的な堅実な考え方で、別に専門医でなくても常識的な考え方としてそれが選択できたのではないか。なのになぜそれを多くの医者が選ばなかったのか。さらに詳しく状況を知っている安部被告はそれを選択しなかったのか。そこが問題なんです。
仁科:ただ私たち患者は、当時国産製剤は安全だと感じていたわけです。科学的な根拠としては100%ではなかったにしろ、少なくとも国産製剤のほうが危険率は確実に低いだろうという情報はあった。そういう情報があったにもかかわらず、患者がどういう血液製剤を使うのかという選択をさせてもらえなかった。そこも問題です。
杉山先生の場合は患者と一緒に考え、選択の道もきちんと確保されていた。でも、杉山先生は血友病の専門家ではないんですね。
杉山:違いますね。論文を書いたりしたわけではないですから。
清水:ここで杉山先生とお話ししていて思ったのは、裁判官は情報量、知識量が多いのを専門医とイメージしているけれども、患者にきちんと説明ができて、患者と一緒に考え、堅実な選択をしていくというのが、本当の専門医ではないですか。
医学論争に走った患者不在の裁判
櫻井:判決文を読むと、7割強が医学論争に使われています。例えばHIV抗体陽性の意味などについて、延々といろいろな論文を解釈し載せている。それも大事なことです。が、裁判官の視線の中には患者がいない、最も重要な要素として患者の存在が見えていない。
清水:たしかにそこが間違っている。85年5月から6月の時点で、帝京大学病院では加熱濃縮血液製剤の治験もやっていたし、手に入れようと思えばクリオだって簡単に手に入った。それなのになぜ安部被告は国内血のクリオより理論的に確実に危険な米国血の非加熱濃縮血液製剤しか選択しなかったのか、ということが問題なんです。なのに裁判では何%の血友病患者が感染するとか、何%が発症して死ぬのかというような議論をし合っているだけで、この1人の患者さんを、万が一にも感染させてはいけなかったのではないかという議論の立て方をしていない。
櫻井:例えば論文の英訳について、判決では「they have therefore been infected with the virus」を弁護人は「ウイルスの感染を受けたことのある」、検察官は「感染している者」というふうに訳したが、検察官の訳は受け入れられないなどと延々と書いている。
清水:これはいかに裁判官が議論を弄んでいるかということを示している部分の1つですね。臨床は、こんな論文が出たから何をやる、というものではないのですから。
杉山:血液製剤とは何か、治療にはどんなものがあるか。それから何かあったらどう回避するか、そういう臨床では常にやっていることが、書かれていないところが問題だと思います。
仁科:人の命がかかっている問題を論じているとはとても思えないですね。判決文を最初から最後まで読んでみて、安部被告が行なった治療行為について、ほとんど書かれていないんです。この患者にとって一番大事な、その注射を打つか打たないかということが、数行ですんでしまっていいことなのでしょうか。
清水:被害者のお母さんは、判決が言い渡された後に「あれは私の息子の裁判じゃない」という言い方をしていましたね。
櫻井:と同時に、やはり間違いなく有罪となるべきケースであるとお母さんは確信していて、「私は息子に報告できない」とも言っていました。この判決を、亡くなった方は絶対に許してくれないと思います。本件の結果が「誠に悲惨で重大」と書いてありますが、その悲惨さ、重大さの中身を裁判官はどれくらい理解し、実感しているのでしょうか。
仁科:「生じた結果が重大」と言っていますが、結果が悲惨だということより、されたことが悲惨で重大なんですよ。その「何をされたか」ということがこの判決文では何もわからない。こんな判決を受けて、それこそ「誠に悲惨で重大」なことですよ。被害者は二重に被害にあったのも同じです。
薬害エイズ事件というのは、血友病という特定の患者集団のなかで500人もの人が死んでしまったわけですから、かつてない悲惨な事件です。ところが判決では、その悲惨さが逆に作用している。500人のうちの1人、みたいな感じで。いずれは誰だって死ぬんだというような、命の軽さをこの判決は感じさせますね。本当は逆で、1人1人の命が失われて500人にもなってしまったというところが悲惨なはずなのに。
櫻井:安部被告は医学者ではあるが、臨床医です。目の前の患者が83年7月に1人亡くなった。84年11月にもう1人亡くなった。ほかの抗体陽性の患者も免疫が下がっている。となれば、HIVについての科学的、医学的解明がまだできていなくても、非加熱濃縮血液製剤を投与するのは危ないんじゃないかと判断して当然なのです。
清水:証明されていないという視点は、判決文冒頭の「検討に当たっての基本的な視点」ですでに予定されていて、「最先端の専門家によってウイルス学的な解明がなされるとともに、その解明が進むのを受けて血友病治療医らがエイズへの対処法を模索しているという状況にあった」という認識を示しています。でも、これは違うんですよ。臨床というのは、危険性がすべて解明されるまで、その治療を継続させるということではない。危険性があると思ったら、確率的により安全な方法をとにかく模索する。自分を信頼してきている患者さんを1人でも死なせてはいけない、感染させてはいけないというのが医の論理のはずです。
ところがこの裁判官たちは、ウイルスの専門家が解明してくれるのを受けてから動けばいいと書いている。だから当然、その後は学術的論争になってしまうんです。
櫻井:例えば家が火事になったとき、煙が出て、炎も出てきたというときに、火事の原因が何かわかるまで水をかけないというのと同じですね。そんな論理を許すということは患者はみんな死んでも臨床医は許されるということです。
患者に対する視線の冷たさと臨床医に対キる視線の優しさ。この格差のなかに、私は一種の差別意識さえ感じます。
清水:本当に、それははっきり感じますね。
判決から全く抜け落ちた経済的背景
櫻井:また、この判決は、非加熱濃縮血液製剤を使うとすごく儲かったということについて全く触れていません。安部被告の一番弟子だった風間睦美教授は企業に対して、非加熱濃縮血液加熱製剤の投与によってもたらされる薬価差益が治験に入るとなくなるのでその薬価差益分を補償するように求めています。薬価差益こそ、医師が非加熱濃縮血液製剤を使い続けた大きな要因のひとつだったといえるのです。実際に非加熱濃縮血液製剤は国産のクリオに比べて、かなり利益率が高かったのです。科学論争だけでは片づかないドロドロした大問題があるのに、判決はそれらを全部削ぎ落としている。
杉山:それは非加熱濃縮血液製剤を使ったほうが経営的には断然いい。一番初めに私が国産のクリオ製剤を使ったときは、本当に資金的にも厳しかった。それでも患者さんと一緒に考えながら、いろいろ問題があったにしても、より安全なものを選択していこうということでやっていたわけです。
櫻井:安部被告は、庶民感覚からすると極めて多額のお金を製剤メーカーから貰っています。自ら主宰する財団法人を作るのに4300万円と言われましたが、実はその他にもこの財団法人には企業のお金2000万円が入れられていた。山口銀行に1億円の預金があり、これは後に「メーカーの寄付金をプールしておきました」と検察官に白状したそうです。そのお金は自分のためには使っていないというのが安部被告の主張ですが、そんな弁解が通るとは思えない。
杉山:やはりそういう姿勢がこそが基本的に問われるべきだと思います。非加熱濃縮血液製剤というのは、利益率が高く、すごくお金が動くところです。
櫻井:もう1つ、この判決では安部被告の責任を認めた当時の部下である松田重三さんとか木下忠俊さんの証言は信用できない、自分への訴追を逃れるために、有り体に言えば嘘をついたんだと切り捨てています。しかし私は、一連の証人や証言の中で誰の言葉に最も信を置くことができないかと言えば、それは安部被告だろうと思うのです。安部被告は取り調べ段階では、弟子たちからクリオへの転換や非加熱濃縮血液製剤をやめるよう進言を受けました、それを聞かなかった私が間違っていたのでしょうかということを言っていた。ところが法廷では安部被告の弁護人が、全面否定したわけです。
こうした安部被告側の主張に対しては信を置けないとは言わずに、木下さんや松田さんのほうを裁判官は切り捨てた。そして安部被告と同様の証言をした医師たちの証言は受け入れた。しかも彼らもまた、安部被告を擁護することで自分をも守ろうとしていることに、裁判官は気が付いていないのです。
清水:松田さんや木下さんの供述の内容が変わっているという問題はたしかにあります。でも、彼らがなぜフラフラするのかを読むのがプロの法曹なんですよ。全部が嘘なのか、どこに本当のことがあるのか、なぜ本当のことをすっきり喋れないのか。この裁判官たちはその分析が非常に単純です。彼らの証言がフラフラする理由はきわめて人間的です。医学界における上下関係ですよ。「もう君の将来はないからな」と言われれば、その通りですからね。安部被告ひとりにおびえているのではない。上下関係が支配する医学界におびえている。そういう問題がまったくわかっていない。
検察官に「死んだ人たちや患者さんのことを考えたら」と説得されればそう思うし、外に出て安部被告の息のかかっている帝京大学の中に戻ってきて、自分の道が閉ざされてしまうと思えば、それは心が揺れますよ。
櫻井:永井敏雄裁判長にも上田哲右陪席判事にも人間への理解が欠落しています。先にふれたように患者への視点も見事なまでに欠落している。人間の読み方が極めて一面的で、さまざまな心の葛藤とか悩みとか欲とか、ドロドロした人間を人間たらしめる要素というものを本当に理解していない。
私は足かけ5年、これまでこの公判を傍聴してきましたが、裁判官に対してはある種の信頼を寄せてきたんです。しかし判決を読んで、この人たちには司法を任せておけない、1日も早く陪審制か参審制を取り入れていかなければだめだと痛感しました。
仁科:昨日、ある遊園地を経営している会社の社員の方と話す機会があったんです。遊園地は大人も子供も楽しく過ごすために作っているものだから、私たちにとっては人間性ということがとても大事なんだという話をされていたんですが、突然安部判決の話になって、「あれはなんて非人間的な判決なんだろう。私たちにはちょっと理解できません」と。同時に、あれは必ず控訴審で結論が逆転しますよおも言っていました。
だから国民の大多数は、あの裁判官が間違えちゃったんだというふうに思っているのかもしれない。上に行けば必ず裁判所が正しい判断を下すと、今はまだ信用しているんじゃないですか。しかし、これがそうならなかったら本当に櫻井さんがおっしゃるように、日本の司法ってなんだろうということになってしまうかもしれない。
櫻井:裁判官の個人的な問題である可能性もあります。でも考えてみると、日本の司法のなかではこれまでにも変な判決はたくさん出ているんです。
仁科:たしかに、こんな非常識な判決が出ないようにする手だてが日本の司法制度にはない、ということは問題ですね。
櫻井:私はこれまで、陪審制や参審制に対して、法律の知識もない私たち国民が量刑にまで踏み込んで判断することに一定の留保をつけながら考えていました。しかし今回の判決を見て、国民のほうがよほど正しい判断ができるかもしれないとは思いましたね。政治に対してチェック機能を働かせることができていない司法は、医療で医師や医学界という権威に対してもチェック機能を働かすことができなかったことをこの判決は示しています。
裁判史に残る汚点の1つになるのではないでしょうか。