「 『黙秘権』『供述拒否権』の誤解から『サラリーマン検事』の台頭まで日本の検察制度は時代の壁にぶつかり停滞してきている 」
『SAPIO』 2001年4月11日号
司法改革が日本を変える 第11回
検察官の付けているバッジのデザインは「秋霜烈日(しゅうそうれつじつ)」と呼ばれ、秋に降りる霜と夏の強い日差しが厳しい刑罰を意味する。この霜と日差しの組み合わされたバッジは、まさに検察官の理想の姿とされているのだ。国民がいま期待する検察官のあり方とはどのようなものなのか、日本の検察官の現状を探る。
福岡地方検察庁の山下永寿次席検事(当時)が、福岡高裁の古川龍一判事に対し、検事の妻・園子被告の脅迫容疑に関連する捜査情報を漏洩した問題は、検察のみならず司法そのものに対する信頼を失墜させました。
裁判官はあくまでも中立で、検察と弁護人双方の主張を聞き、有罪か無罪か、有罪ならばどの程度の量刑が適当かを判断する立場にあります。法曹三者は互いに独立していなければならないにもかかわらず、三者のうち裁判官と検察の癒着が疑われることは、非常に深刻な問題です。
「裁判所は検察の言い分を容易に聞き入れる傾向がある」と批判するのは、元共同通信社の司法記者で『特捜検察』(岩波新書)などの著書のある魚住昭氏です。
魚住氏は裁判所は検察に対する歯止めであるべきにもかかわらず、相当程度まで検察の主張が通ってしまうという具体例として、被疑者の保釈なども検察官が反対すればほとんど認められないと次のように述べました。
「検察は、被疑者が罪を認めなければ延々と拘束し続けます。実際は無罪を主張したいのに、保釈されたいために有罪を認めてしまったケースも多いのです。裁判所が保釈の決定を出すときに、検察官の言いなりになっているという部分が大きい。逮捕状を取るときも、裁判所が検察、警察の請求をチェックし、これはだめだと突き返すケースはほとんどありません。裁判所が、検察に対するチェック機能をきちんと果たしていないことは、戦後の刑事司法の一番の問題点です」
では、そもそも検察官とはどのような人たちなのでしょう。まず検察庁とその役割について簡単に説明しておきましょう。
現在の検察庁は、1947年5月3日、現行憲法の発足と同時に誕生しました。それまでは裁判所に付属し、検察局と呼ばれていましたが、戦後のアメリカの民主化政策下での司法制度改革によって独立機関となりました。
検察庁は行政組織の1つではありますが、法務省から独立して職権を行使できる特別機関として位置づけられています。但し人事面では法務省と密接に結びついていて、法務省の主要ポストの大半を検察庁から出向してきた検事が占めています。
検察庁の主な役割は、警察から送られてきた事件や、検察官に直接告訴・告発のあった事件などについて捜査を行ない、裁判所に告訴するかどうかを決めることです。日本では「起訴権独占主義」といって、起訴する権限も不起訴にする権限も、すべて検察官が握っています。刑事事件を起訴できる権限は警察官にはありません。
国によっては警察が起訴する警察起訴や被害者本人が起訴できる私人起訴というシステムを取り入れている国もありますが、日本では国家訴追主義を採り、検察が独占しています。この制度は警察の捜査をチェックし、疑わしき人間でも、しっかりした証拠や容疑なしにやたらと起訴することを防ぐ機能を果たしており、日本が刑事裁判で99%以上という極めて高い有罪率を誇っているのも起訴権独占主義によると言われています。
検察庁には裁判所と同様、最高検察庁を頂点とするピラミッド型の組織構造をしています。
最高検察庁は1か所だけで東京にあり、高等検察庁は8都市に、地方検察庁は各都道府県の県庁所在地および北海道の4か所をあわせて50か所あります。最高裁判所に対応するのが最高検察庁、高等裁判所に対応するのが高等検察庁、地方裁判所に対応するのが地方検察庁です。
各検察庁には殺人や強盗といった刑事事件を担当する刑事部、過激派や労働事件などを担当する公安部、これらの事件を法廷で立証していく公判部などがあり、また、東京地方検察庁(東京地検)と大阪地方検察庁(大阪地検)、名古屋地方検察庁(名古屋地検)には特捜部が置かれています。
東京地検特捜部でロッキード事件を担当し、退官後、弁護士となってさわやか法律事務所を開いている堀田力さんは、
「特捜部だけは、独自捜査で、まったく警察の手を借りずに自分たちで捜査します。汚職事件と脱税事件、それから経済事件の大きいものですね」
といいます。つまり警察が摘発することのできないような重大事件を独自に捜査し摘発するのが特捜部であり、それが特捜部が「検察の中の検察」と称されるゆえんです。
検察官には、最高検察庁の長である検事総長をトップに、高等検察庁の長である検事長、地方検察庁の長である検事正といった役職があり、検事のほかにも副検事がいます。検事は主に司法試験に合格し、司法修習生を経て検察庁に入庁してきた人たちで、副検事というのは検察事務官や警察官等から内部試験をパスした人たちです。現在、副検事を含めた検察官は約2200人、検察庁にはほかに8600人あまりの検察事務官、その他の職員をあわせて1万1000人あまりが所属しています。
裁判官や弁護士とは異なる“検察文化”
検察官は職務上は法務大臣の指揮監督下にありますが、裁判官と同様に、「独任制」といって検事1人1人が独立して職務を行なうことができる建前になっていて、個々の事件については法務大臣の干渉をも受けない立場が保証されています。
ロッキード事件を始め、過去に幾多の政治家や大物財界人を逮捕できたのも、こうした検察官の独立性ゆえでした。大きな汚職事件や疑獄事件などがあると、検察官志望の学生たちが増えると言います。これは、検察官が「社会正義を実現する理想の職業」と見られるからです。
堀田力氏も、社会正義実現の理想を抱いて検察官を志したそうです。
「私の場合は、ともかく汚職事件を手がけたいというのが検事になった動機でした。大学は京都大学ですが、4年生のときに大阪で浴場汚職がありました。大阪府の府議会議員がお風呂やさんの認可を取れるよう口利きをして賄賂をもらったのです。それで大阪地検特捜部が10数人を芋づる式に逮捕した。やっぱり学生ですから、単純にこれはいいじゃないかと(笑)」
堀田氏のように正義に憧れて特捜検事を志す人も、その他の理由で志す人もいると、氏は次のように語りました。
「検察官の出世コースには法務省から出世するコースと現場で出世するコースがあり、現場の出世コースは特捜部なのです。だから事件が好きで特捜部を志望した人間ももちろんいますが、出世のために考えていた人間もいたでしょう。なかには特捜部で名前を売って弁護士になり、その名前で儲けてやろうというのもいたかもしれません。残念なことに、事件好きというのはやはり少数派でしょうかね」
しかし犯罪者を逮捕し起訴する検察には、裁判所や弁護士とは異なる、“検察の文化”とでも呼ぶべきものがあるようにも思います。かつての特捜検事の堀田氏は“検察文化”を次のように語りました。
「政治家からの介入を受けないよう、検事は政治家と一切付き合いませんし、まったく政治家とは関係ないですね。ただ法務省の検事は、法律を作って国会を通さざるをえないので、政治家とも接触せざるをえませんが、検察庁のムードとしては、政治家と近づくというのはまずないと思います。たとえ政治家が同級生であっても、むしろ注意しすぎるほど注意して避けていると思いますね」
元東京地検特捜部長でロッキード事件を担当した弁護士の河上和雄氏が述べました。
「検察首脳部と政治家の密接な関係は、現時点でもないとは言い切れません。検事総長以下検察は法律上は法務大臣の下に入るわけですから。しかし、それもポストによる部分が大きいのです。法務大臣と直接、接触しなければならないようなポスト、例えば刑事局長や官房長官に就いた人間は、どうしても政治家と親しくなるし、互いに影響もし合います。しかし、そのことで検察全体が政治と近くなりすぎることはないと思います」
この点について魚住氏も述べました。
「検察という組織自体が政治からの独立性が非常に高いですね。人事を見るとよくわかります。検事総長になる前は東京高検の検事長、その前は法務省次官というのが大体決まっています。いわば検察内部の人事の方程式が確立されていて、外からの人事への介入を防ぐ手段となっているわけです。官僚的といえば官僚的ですけど、人事の独立性が政治との距離を置くのに役立っているのです」
魚住氏はまた、検察が他の組織と異なるのは、検察官出身の人間が警察や弁護士とは異なってあまり政界に出馬しないとも指摘しました。
政界には公明党衆議院議員の神崎武法氏、参議院議員では、第二院クラブの佐藤道夫氏、自民党の佐々木知子氏ら、検察官出身の議員はいますが、その数は少ないという指摘です。
さて、検察官は一般的にマスコミと接触することを禁じられています。事件の捜査情報が漏れないようにするためで、副部長以上でないと、取材に応じてはならないことになっているのです。
河上氏が説明しました。
「捜査が成功するか否かの分岐点は秘密が守れるか否かにかかっています。相手に不意打ちを与えない限り、捜査はうまくいきません。秘密が漏れれば、相手は証拠隠滅をはかったり、口裏を合わせたり、或いは逃げたりしますから」
接触を禁じられていても司法記者はあの手この手で検事に取材を試みます。魚住氏の話です。
「検察担当記者は検察庁から情報をとるのが仕事です。ですからどうしてももらう関係になる。結果として検察批判の色彩は消えていきます。記者としてこの点はきちんと距離をもって対処しないと信用されません。
検察庁は政治、政局を本当に左右するような情報をもっていますから、漏らすほうも命がけ、書くほうも命がけみたいなところがある。情報をめぐる極限状況みたいなものがあるのです」
長年司法記者として仕事をした魚住氏は、氏の知る限りの検察官を高く評価しています。
「少なくとも僕の知っている範囲内では、検事は手土産などは絶対に受け取らないし、一緒に飲みに行っても、5回に3回は検事が払います」(魚住氏)
少なくとも外務官僚をはじめ他省庁の行政官よりも正義感が強く、潔癖な人が多いというのです。
捜査のノウハウについても、独特の“文化”があると河上氏が話しました。
「取り調べは、実は大工と同じで、理屈じゃなくて体で覚えるものです。独自の取り調べ方を工夫して、相手の心理まで洞察して、うまい具合に真実をひきだすことができる能力を持っているのは、エリート検事に限りません。そうでない人のほうが取り調べ能力がある場合が多い。そういう捜査技術というか、取り調べ技術みたいなものがずっと受け継がれてきているのです」
検察官というと、エリートで頭の良い人たちの集団というイメージがありますが、彼らも大別して2つにわかれると河上氏は指摘します。
「検事の仕事は、机上の空論というとおかしいけれど法律論だけでこなすような仕事と、ドロ検と呼ばれる泥にまみれて調べを進めていく仕事に大別されます。両方できれば理想的ですが、どうしてもどちらかに特化していく。
そして、大きな仕事に取り組むとき、法理論と理屈が得意な、いわゆる利口な人間ばかりを集めてチームを組むと、非常にォれいだけど、小さな富士山で事件が終わってしまう。しかしその中にガムシャラに捜査や取り調べをする人間が何人か入っていると、ポロッと思いもかけないことが出てくる。すると、このぐらいだろうと思っていた山が、とんでもなく大きな山だったということがあり得るわけです。ところが一方では、そういう人間ばかりを揃えていると、山が崩れたままでまとめることができない。組み合わせが大切で、ガムシャラに引き出す人間も、引き出したものをうまく整理して全体像を見通す人間も、両方必要なのです」
いくら嘘をついても処罰されない被疑者
検察の取り調べでは、拷問はもちろん禁じられていますが、容疑者を精神的に追い詰めるような厳しい追及が問題視されることもあります。
なぜ、そんな厳しい追及が行なわれるのか、堀田氏の説明です。
「日本では昔ながらのお代官の取り調べのように、自白で事件を固めていくという構造で、情に訴えて調べを進めるのが捜査の特徴になっています。しかし、自白しない人は決してしません。田中角栄さんは一切自白していません。中村喜四郎さんもしていません。しないと決めたらしないのです。アメリカなどでは、自白しない人に刑事免責の制度を取り入れて、処罰しないから真実を言いなさい、それでも言わなかったり、嘘を言ったら処罰するということで、本当のことを告白させる制度をつくりました。日本にはこれがない。もうひとつ、日本にないのは、取り調べ段階で嘘をついた被疑者を罰する制度です。こうなると、その気になれば嘘はいくらでもつけます。ですからこの状況下では心理的に追い詰めないと被疑者は本当のことは言いません。自白が前提になっている、嘘が罰せられないというのは、取り調べには非常に無理があります」
裁判で、証人が嘘の証言をすれば罰せられます。しかし被疑者、被告人は検事に取り調べられているとき、嘘をついても罰せられないというのはおかしなことです。被疑者、被告人の権利を保護することはもちろん大切ですが、これでは真実を明らかにし、公正な裁きをするという裁判の目的を達成できないのではないでしょうか。堀田氏がさらに続けました。
「原因は、日本の憲法をつくるときに、黙秘権、供述拒否権を誤解したことにあるのでしょう。供述拒否権というのは、供述を拒否できるだけの権利であって、嘘をつく権利ではない。しかしそれをひっくるめて、嘘をついてもいいことにしてしまったことが大きな間違いだと思います」
偽証罪がないことは、取り調べる側にとってだけでなく被疑者、被告人にとってもよくないと考えます。どうしても自白させなければならないとなれば、検察官もかなり強引な取り調べをせざるをえません。その厳しい追及ゆえに、本当はやっていないのに「やりました」と嘘をつき、逆に冤罪を生み出す危険性も否定できないからです。
アメリカでは偽証罪だけでなく、司法取引が盛んに行なわれています。供述拒否されると事実を明らかにすることが難しい場合、司法取引によって「処罰しないから、本当のことを言いなさい」という刑事免責の制度を取り入れているのです。
「日本の捜査は相変わらず情の世界です。しかし今では“正直は美徳”ではなく、正直者はバカをみるという時代になり、人間的な情もなかなか通じない。欧米は理性に基づく論理で、嘘を言ったら処罰し、黙っていたら取引にもっていくという制度をつくりました。日本の制度はだんだん時代に合わなくなってきているのです。現状では汚職事件も十分にやれないし、拳銃の密輸や麻薬の密売なども一番下っぱの現行犯しか捕まえられないのです」(堀田氏)
魚住氏は、堀田氏同様、検察の力が落ちてきていると言いますが、それには別の理由があると指摘しました。
「政財界の汚職事件をやるのは大変な能力のいることです。非常に厳しい条件のもとで、血の滲むような努力をしてやっと物にしたのがロッキード事件やリクルート事件でした。ところが今は捜査の障壁がなくなってきた。冷戦構造が崩壊して社会主義のリアリティーがなくなり、自民党が崩壊しても体制はかわらないという安心感が検察官のなかに芽生えてきた。しかも自民党自身がかつてのような大きな力を持っていませんから、自由にやれる。しかし、本当に事件をきちんとやろうと思えば、極めて優秀は職人がいて血の滲む努力をしなければいけないのに、彼らは安直に立件しようとする。なおかつ自分たちは正義だという思い込みが強いから捜査が上滑りしてしまうのです」
魚住氏はこの数年の検察の動きに特に、ずさんな捜査が目立つと言うのです。
一つの時代に区切りをつけた金丸事件
92年の佐川急便事件で、東京地検特捜部は金丸信元自民党副総裁に対し、5億円にも上る献金疑惑を追及せず、政治資金規正法の量的制限違反で20万円の罰金命令を下したに止まりました。そのため、東京地検は弱腰だという厳しい非難を浴び、政治と癒着しているとの批判も受けました。金丸氏を脱税容疑で逮捕したのは、彼が議員を辞職した後のことでした。
河上氏は金丸事件も含めて、検察の歴史は4つの時期に区分できると説明しました。
「第1期は昭和28年の造船疑獄で吉田首相が識見を発動するまで。日本の混乱期で、力を持っていた検察は昭和電工事件など、自由にさまざまな事件を手がけることが出来ました。
第2期が、28年から51年ロッキード事件まで。第1期が検察の実力主義の時代なら、第2期は検察の逼塞の時代といえます。指揮権を発動されて検事総長はそれに従わざるを得ないことが明確になった。それでも当初は国会議員を逮捕するくらいのことはしていたのですが、元気が少しなくなっていた。そこにロッキード事件が起きて田中角栄を逮捕した。
けれども角栄はいよいよ力をつけて、政治を完全に動かした。もし田中を有罪に出来なければ検察は完全につぶされてしまう、というものすごい危機感が検察側にはあった。ですから検察は田中角栄を有罪にすることだけに集中したといってもいい。堀田氏など優秀な検察官をみんな田中の公判につぎ込む一方で、田中以外の政治家は逮捕しないというふうになった。それは田中公判への影響を恐れたからです。
リクルート事件など、その後の事件ではいきなり政治家を起訴したりしていますが、あの頃の事件は全て在宅起訴なのです」
在宅起訴というのは、起訴するときに被告人の身柄を拘置所に入れない、つまり逮捕も拘留もしないということです。
「田中以降の、政治家には一線を引いて検察が自ら非常に逼塞した時期が第3期。
この時期の終わりが金丸事件でもたらされたのです。金丸を逮捕もしない。取り調べもしない。検察としては恥ずかしいことです。国民からペンキを投げかけられたりした。
国会議員をやめた金丸を93年ようやく脱税事件で逮捕して、検察が自らの首を絞めた検察の歴史、第3期に終わりを告げることになったのです。
その後、検察がもとに戻り機能するような状況になってきたと思います」(河上氏)
その後は自民党の分裂などによって政治の力が相対的に弱まり、検察の力が相対的に強まったと言います。しかし、同時に河上氏はこうも指摘しました。
「現実問題としては、検察も行政府の一員ですから、内閣に対する立場は必ずしも強くない。もう少し数がいて、実力のある人間がたくさんいれば、行政機関に対するお目付役を今以上にきっちり果たすことが可能ではないだろうか。東京地検の特捜部は検察官が40人もいませんから、重大な事件を次々に処理することは不可能です。やはり検事の大増員というのが期待されていると思います」
法曹人口を増やすことは、現在進行中の司法改革論の目玉です。では、検事はどのくらいの人数が適正なのか。また、被害者保護の必要性が叫ばれるなか、検察官にはどんな資質が求められるのか。次回も引き続き、検察官のあり方について取り上げてみたいと思います。