「 省庁は『再編』していない 」
『Voice』 2001年4月号
竹中平蔵・櫻井よしこ連載対談 目を覚ませ、日本人 第4回
森首相は省庁再編の意味を理解していない
竹中:梅原猛さんが『将たる所以』という本を書いています。そのなかに、聖徳太子から始まる日本のリーダーたちの例を挙げながら、リーダーに必要な要素といいますか、まさに将たる所以を著しています。第一に、洞察力をもっていること。将来を見通す力と言い換えられます。第二に、自分の言葉で説明できること。孫正義さんや南部靖之さんといった若いビジネスリーダーは、ものすごく話がうまい。そして第三に、動機づけができること。組織づくりには欠かせない要素です。なぜなら自分ひとりでできることなど知れていますから、部下を引きつけ、「あの人のためなら」といった動機をもたせることが必要です。いまの日本の政治リーダーにはどれも欠けているように思いますね。
櫻井:日本の政治家には、組織力はあると思いますが、それが自分のための組織にしかなっていないように見えます。長期的に見れば手がけた人の評価が上がるような改革でも、短期的には地盤が崩れたり票が減ったり失うものが大きい可能性があるとなかなかできない。私利が先に立って、公が稀薄になっている。
二番目の説明能力についていえば、ブッシュ新大統領を小粒の大統領だという人もいますが、就任演説などを聞いていると、心に訴える内容はいくつもありました。音だけを聞いていても、韻を踏んでいて聞いていて気持ちがよかった。ところが日本の総理大臣のスピーチはダラダラと続くばかり、しかも書かれたものを読むのですから、心に訴えかけてきません。
竹中:デューイに「民主主義とは対話である」という言葉があります。政治家は国民と対話しなければいけませんし、国民に感動を与えないといけない。ところが日本の政治家はスピーチの構成がなっていない。アメリカでコリン・パウエル氏が国務長官に指名されたとき、自分の部下として誰をいちばん初めにノミネートしたかといえば、スピーチライターだったといいます。それが民主主義における政治家のあり方です。ところが日本の総理大臣はそうしたスタッフをもっていないから、国際会議などいざというときに慌てふためくのです。私は大蔵省(現・財務省)の研究所にいたいことがあるので知っているのですが、役所の局長や部長クラスが海外で講演するときは、10人くらいの優秀なスタッフが半月ぐらいかけて原稿を作成するのです。官僚でさえそうなのですから、一国の総理ともなれば、専任スタッフを何人も抱えているべきです。
櫻井:首相補佐官は官僚がローテーションのようなかたちで担当するのでなく、当の政治家が任命すべき筋の人事です。まさに省庁再編の狙いの一つがそこにあったわけです。にもかかわらず、首相が自分の選んだ補佐官を置けていないことが問題点です。
竹中:そうなんです。政治家、なかんずくトップに立つ人にとって、自分と一心同体のスタッフをもつことは、政治を司るうえで最も重要なポイントなのです。しかも、政治家が間違った判断をしたときは、「おい、おまえ、それは違うぞ。若いころ俺たちが討論したことを思い出せ」といえるくらいのスタッフが必要です。だから、トップをめざす政治家は、10年も20年も前から「俺が総理大臣になったら補佐官はおまえだぞ」という人を準備しておくべきです。
櫻井:森さんは、補佐官を2人任命しました。中曽根康文さんと建設省出身の官僚、牧野徹氏です。しかし彼らは、プロフェッショナルとしての仕事をするだけのスタッフも権限も与えられていない。
竹中:そのとおりです。そもそも、省庁再編といいますが、どう考えても再編ではない。省庁「合併」です。日本の金融機関はここ数年、立てつづけに合併を発表していますが、その後の戦略的な立て直しはまだ十分にできていない。それとまったく同じ問題が省庁にもあって、いったい何のためにやったのか。今回の「再編」は政治主導の体制をつくるために行なわれたはずですが、では具体的に政治主導とは何かというと、政治家のトップである総理大臣の権限強化であり、官に対して政治がリーダーシップをとることであります。はたしてそうした体制づくりをしたのか、検証しなければいけません。これが第一の視点です。
第二の視点は、政治とは何か、ということです。つまり、総理官邸のことをさすのか、党のことをさすのか。いまは内閣と党の二重構造になっており、ものすごく曖昧です。森総理が何か政策を打ち出そうと思っても、自民党の政調会長には逆らえない。総理大臣にさせてくれた一人ですから頭が上がらない(笑)。明らかにおかしな構造ですが、これをどう解決するかということが、まったく蚊帳の外にあります。
櫻井:橋本元総理が省庁再編のアイディアを出したときは、できるだけ官の仕事を減らすという、ほんとうの意味での再編を考えたと思います。だから、不十分とはいえ10年間で25%の人員削減を打ち出したわけです。
竹中:自然減の数字ですね。
櫻井:ハッハッ、そうです。積極的な削減ではまったくありませんね。でもそれなりにやろうと思った。ただ残念なことに、橋本さんには力がなかった。いちおう計画し、国民にプレゼンテーションし、官僚を押さえていく政治家としての力です。しかし省庁再編の意味はわかっていた。一方で森さんは、再編の意味を、理解していないのではないか。
竹中:そうかもしれませんね。
櫻井:たとえば中曽根さんは、教育改革担当ということになっていますが、文部科学省も同じようなプロジェクトで取り組んでいます。補佐官はお役所のタテ組織のなかに入っていませんから、そうとう元気のある人が、首相に任命されたこと、特別の課題を与えられたことを根拠に、バシバシやっていくようでなければ求心力は働きません。もともと、現状を変えようという試みですから、そこはそうとう権力を振り回すほどのことをしなければ、お役所集団のなかで孤立化させられてしまいます。そうならないように、森さんが総理大臣として、閣議の席でも補佐官の役割と権限を明言し、各省庁に徹底させなければならないのですが、おそらく、そうはしていないのでしょう。
過日、閣議で橋本龍太郎行革相が公益法人の改革について発言したら、片山虎之助総務大臣が、公益法人は自分の所管だと反発して“火花が散った”などと報道されていました。あの件も、森さんが首相として行革特命相をつくったのですし、他省庁に関係する問題が発生したときには特命相が担当したほうがスムーズにいきますから、公益法人の整理等は行革相の橋本さんに任せますと明言すれば済むことです。だいいち、これまでの閣議で他省庁に関係するテーマは特命相に申しつけると決められているのです。閣議決定も踏まえず、いまは行革の動きが空中分解しかねない状態です。
国のあり方を変えるには補佐官を任命するだけでは不十分です。予算、つまりお金の流れを変えなければいけないのですが、旧態依然の予算の組み方をしています。たとえば牧野補佐官には都市政策を担当させるということです。現在は税金の大きな部分を地方にもっていって、それほど緊急でも重要でもない道路や橋を建設しているけれど、むしろ都市部で必要とされるインフラ整備をしたほうが経済的波及効果も大きく、役にも立つのではないかということで、都市計画の重要性も出てくるわけです。しかし、牧野氏一人では何もできない。都市計画全体を考える頭脳集団と、その考えを実現させるような予算の組み方をしてやらなければ、手も足も出ないのはわかりきっています。にもかかわらず、森内閣は、相変わらず地方のあまり緊急でないプロジェクトに予算をまわしています。一例が、整備新幹線です。整備新幹線をいま、つくるなんて後ろ向きです。特殊法人、認可法人、公益法人についても、整理する気配はまったくありません。結局、省庁という巨大な仕組みと権益が絶対に失われないように、官僚が政治家を操って組み替えをやっているだけです。そこに政治家はメスを入れられていない。むしろ政治家が官僚たちの悪知恵にぶら下がっている。政治家が業界利益に振り回されている。村上正邦さんとKSDの関係もそうです。いちおう立派な政治家の一人といわれていた人が、ありていにいえばKSDに取り込まれていた。こういう仕組みは、どの政治家にもついて回っているように見えます。
党と内閣の歪んだ二重構造を解消せよ
竹中:政治家というのは必ず二面性をもっていると思います。一方は、きわめて現実的な、選挙に勝ちたい、そのためにはお金が要るという側面。そしてもう一方は、やはり政治家として国民のためになる仕事をしたいという側面。オール・オア・ナッシングではなくて、つねにこの2つの狭間で揺れ動く存在だと思います。これが政治のリアリズムであり、だから政治家に聖人君子であれと求めることはできません。ただそうはいっても、あまりに前者では困るわけです。前者は精いっぱい選挙を戦わなければ議席を取れない政党のすることであって、日々国民に対して最大の責任を負っている内閣、つまり政権政党は後者でなければなりません。
だからこそ、党と内閣の歪んだ二重構造を解消しなければならない。議院内閣制では二重構造の矛盾は完全にはなくせませんが、党の実力者が内閣を構成することで矛盾を最小に抑える努力は欠かせません。ではどうしたらいいかとなると、必ず首相公選制の議論が出てきます。そのためには憲法を改正するというものすごい労力を要するのであって、そんなことができるのなら苦労はしません。私は、首相公選制に賛成かと問われれば、もちろん賛成ですが、そこにいく前に現行の制度のなかでもっと改革すべきことはたくさんあると思います。
櫻井:池田大作氏が首相公選制に賛成しています。あの方は600万票や700万票を動かす力があります。その点で心配する人もいますね。
竹中:政治制度というのは、どちらをとっても完璧なものはないと思います。直接民主制では独裁者が出てくる可能性もありますが、しかし制度としてよくないかといえば、間違いではありませんから。
櫻井:2000年のアメリカの大統領選挙は、きわどい要素がいろいろありましたけれど、やっぱりいいなと思いましたね。どちらを選んだのかということを、国民が徹底的に議論していましたから。
竹中:党と内閣の二重構造を解消するには、やはり与党の責任において行なうしかなく、国民がそれに直接手を突っ込むのはきわめて難しい。
櫻井:それは制度的な改正のことですか。
竹中:制度的な改正を考えると首相公選制にいってしまうので、いまの制度のなかで党の実力者が内閣に入ることが議院内閣制の本来の姿である、とマスコミを通していいつづけることが大事だと思います。今回の省庁再編についていうならば、内閣総理大臣の機能を強化する仕組みが有効に使われたかどうかを見なければいけないのですが、先ほど話題に出ましたスピーチライターを含め、総理大臣がポリティカルアポインティ(政治的被任命者)を政治主導で任命できていません。そんなことをされたら困るという官僚側の意向が協力に働いたということと、もう一つは、ならばあなたやりますかといわれたら、みんな尻込みしてしまう。社会全体に雇用の流動性がないからです。
もう一つ重要な改革のポイントがありました。それは副大臣制です。これまでの政務次官は、省の政策に対してアドバイザー的な位置づけでしたが、副大臣は完全にラインに入っている。つまり、政策は副大臣のハンコがないと決定できなくなった。したがって、副大臣とは大臣が省に対して政治力を発揮するための有能な補佐役でなければなりません。だから大臣が自分の気に入った人を直接任命すべきポストなのです。いまもかたちのうえではそうなっているかもしれませんが、現実には派閥の均衡で従来の政務次官と同じように割り振られているため、当初の意図が見事に裏切られた。
櫻井:政治家の責任は大きいですね。省庁再編は国家運営を政治主導で行なうことを大目的にしていましたが、これがいま、政治家主導になっています。声が大きく、利権の塊の上に安住しているかのような政治家が、強い影響力を行使しています。そうした政治家たちに、森首相も振り回されています。
経済が悪くなっただけで政権は代わらない
竹中:自民党をあえて定義すれば、与党でありたい人たちの集団でしょう。なぜ与党でありたいかといえば、官僚がもっている利権配分機構に乗っかりたいからです。
櫻井:自民党は国民政党であることをやめて久しいと思います。その現状は、業界の利益を軸にして、所管の役所や役人と固く結びついた利権政党です。でもこれからは、やりにくいでしょう。地方での公共投資をいくらやっても景気浮揚にはつながらず、世論の批判も強い。ザル法ではありますが、斡旋利得を処罰する法律もでき、これまた抜け道はありますが、連座制が導入され、外堀が埋まりつつある。自民党を支えてきた利権政治が終わりに近づいています。では彼らがそうしたことに気がついて、自ら変われるかといえば、変われない。今年7月の参院選で大敗でもしなければ、変わらないと思いますが、どうでしょう。
竹中:今度の選挙で自民党は苦しいと思いますし、大敗する可能性もありますが、でも、去年の衆議院選挙で自民党が勝っている以上、しばらくは自民党を中心にした政権が続かざるをえない。国民の怒りが爆発してすぐに政治が変わるという状況ではないのではないでしょうか。
櫻井:それはどうでしょうか。
竹中:先日のダボス会議で、民主党の鳩山由紀夫さんは「今年、日本は2つの選挙を行なう」と言い放ちましたが、参議院で自民党が負けたからといって、次に衆議院選挙を行なうまでには時間がかかるでしょう。自民党はできるだけ引き延ばしますから。少なくとも半年以上の時間がかかるとすると、そのあいだが心配です。
櫻井:引き延ばせば引き延ばすほど、日本の問題はそのぶん深刻になります。経済も政治も信頼を失います。アメリカも日本が構造改革をやらないのなら勝手にしてくれと突き放しています。
竹中:ブッシュ政権というのはそういう政権です。
櫻井:クリントン政権は日本が望むような温情主義で、銀行は潰さないように日本に求めてきました。アメリカにパニックを及ぼさないためのもので、あくまでもアメリカの利益に合致したものでしたが、なんとなく優しい政権のような印象を日本人はもっていたと思います。しかし実際は、最悪の場合、日本を犠牲にしてもいいという政権だった。一方のブッシュ政権は、一見強硬なようですが、日本に自立を促しているだけのことです。自立しなければ、あとは放っておくというアメリカの姿勢が日本の国民に見えはじめたとき、いまの政治ではダメだとはっきりわかるのではないでしょうか。以前は、お年寄りのためには介護保険料を半年分、おまけしてあげますといわれれば、なんとなくおかしいと思いながらも、まあ、優しい政策だから、とごまかされてしまった。しかし、完全に突き放されて、生き残る道は自立しかないとわかれば、自民党の利権政治ではやっていけないという自覚が国民の側に生まれてくるにちがいないと期待しているのです。
竹中:まさに日本のガバナンス(統治)の根底が問われるということです。クリントンとブッシュの性格については、いま指摘された見方が正しいと思います。私は一度、サマーズ(前財務長官)に「内需拡大をしろと圧力をかけておきながら、その結果として日本の財政の持続性がなくなっているという事実をどう考えるのか」と聞いたことがあるのですが、彼は簡単に言い放ちました。“The most important thing first”つまり、アメリカにとっていちばん重要な政策を第一に主張し、あとは知らんよ、ということなのです。これが外圧の本質です。ブッシュさんのように自立しなさいと言ってくれるほうがよほどいい。今後日本経済はたいへんな事態になってくる可能性がありますが、経済が悪くなったという理由で交代した政権はない、と友人の政治学者が指摘していました。
櫻井:代える余裕もないということでしょうか。
竹中:経済が悪くなったうえに、さらに選挙で負けるとかスキャンダルが発覚するというイベントが発生してはじめて大きな変化が起きるのです。その意味で、やはり選挙が大事です。ところが、去年の衆議院選挙で国民はいまの政治体制を信任したのです。
櫻井:与党三党で過半数をとってはいますけれど、はたしてそれで信任といえるのか、私は疑問です。信任されたというにはいくつかの問題があると感じています。
竹中:このあいだの選挙の結果は面白かったですね。東京圏、大阪圏、名古屋圏では……。
櫻井:自民党は選挙区ではほとんど負けましたね。
竹中:3割の議席です。ところが四国では9割の議席をとっている。年齢別に見ると、高齢者は自民党、若い人は民主党と、はっきり分かれているのです。ここからわかることは、いまの制度の受益者が自民党を支持し、負担者が反自民党であるということ。見事な二極構造です。対立軸はないといわれて久しいですが、じつはある。非常に不健全な対立軸が。ところが人口構成はそんなに急には変わらないので、都市住民や若い世代がもっとおおぜい選挙に行かないかぎり、選挙の結果も変わらない可能性があるのです。
櫻井:選挙の結果が国民の総意を表していないと私が考える一つの要素は、1票の格差です。東京都民の1票の価値は、島根県民の4分の1とか5分の1しかありません。過去何回かの選挙の傾向を見ると、現状でも自民党はすでに4分の1政党になっている。個人名での得票はともかく、自民党という政党に投票した人は23~24%程度ですから。にもかかわらず政権政党でありつづけているのは、1票の格差の歪んだ構造ゆえではないでしょうか。選挙制度をどの県のどの人の1票も同じ価値だという当たり前の制度に変えるだけで、結果は激変する可能性があるように思います。
竹中:制度をちょっといじるだけでいままでのバランスが崩れる可能性はおおいにあります。98年の参院選で投票時間を長くして不在者投票の条件を緩めただけで、反自民党がものすごく増えたのは典型的な例です。
櫻井:たった2時間の延長でしたのにね。
竹中:制度を変えるのは効果があるということを自民党はよく知っている。だから非拘束名簿式などという姑息な方式にこだわっているのです。ハーシュライファーという政治経済学者の考え方に「パワーのパラドクス」というものがありますが、これはいまの日本の状況を見事に説明しています。つまり経済的弱者、たとえば地方の小さな建設会社とか農家などを考えていただければわかりやすいと思いますが、弱者ゆえに、たとえば規制によって保護されます。しかし保護によって競争がなくなると、彼らには時間がたくさんできる。その時間を何に使うかというと政治活動に使うわけです。霞が関でデモをしている人のなかに、日々の仕事に追われるデリバティブのディーラーなど見たこともありませんからね。こうして、経済的弱者であるがゆえに政治的強者になるというパラドクスが生じます。日本においては、1票の格差がこのパラドクスを加速しているのです。
櫻井:日本の政治のもう一つの大きな矛盾は、省庁が補助金をばらまいて業界団体をまとめ、それが政治活動に結びついていることです。国の税金で票がまとめられ、それが自民党に集まる。非拘束名簿式の下では、官僚出身の政治家がこれまで以上に手堅く政界進出する可能性があります。なぜなら、補助金と票の関係は伝統的に見事に比例してきたからです。補助金の効用は政権政党によって最大限に使われ、ますます政治が業界向けのものになる傾向は強まると思います。だから、自民党は国民の思いとはかけ離れた、制度の歪み、税の無駄遣い、あるいは犯罪的な不正義のうえに維持されているとさえいえます。本来なら、野党が論理的にこの矛盾を衝いたキャンペーンをすべきなのですが、その力がない。
竹中:去年の選挙で国民が与党を支持したのは、やはり代替勢力がないと考えたからでしょう。自民党はひどいと思いつつも、民主党ではもっと無理だと思った。その意味では、与党を責めても仕方がない。民主党などの対抗勢力に期待すべきです。彼らにとってはいまはものすごいチャンスだと思いますよ。私たちが政権を取ればこういう人材を用いて、こう政治を変えますとアピールできるのですから。政治の流れを変える最も現実的な方法ではないでしょうか。
櫻井:でも、残念ながら民主党は国民にアピールできていない。
竹中:民主党も労働組合という利権構造をもっているからでしょうね。自民党とどっこいどっこいです。
櫻井:だからこそ、消去法でいえば民主党、という感じになってしまう。
竹中:私は、自民党には自民党ならではの重要な役割があると思うんです。だから自民党がちゃんとするためには、やっぱり一度野に下って、態勢を立て直すべきです。
櫻井:自民党への問いかけの軸はいくつかあります。一つは公明党との連立です。創価学会という宗教団体を胡散臭いという人もいますが、多くの信者さんを集めて何十年も存続してきた歴史があるのですから、宗教団体としてはそれなりにきちんとしていると考えなければなりません。胡散臭さがあるとしても、すべての宗教には大なり小なり胡散臭さはつきまといますから、それはそれで仕方がないのです。ですから、創価学会が宗教団体として存続するかぎりは何の問題もありません。ただ、それが政党をつくり、政教分離されていないことが誰の目にも明らかなときに、公明党とどういう関係を保つのかは、これからの政治の大きな軸になっていくと思います。重要な政策を決めるときに、公明党の政治家がまったく入らずに宗教関係の人たちだけが集まって決定して、それが公明党の政治家に下りてくるような仕組みで公明党が動く。それが与党の一翼を担っているというのでは、たいへんな問題です。政教分離は日本国憲法の依って立つ原則の一つでもあり、大事な価値観です。だからこそ、公明党が政教分離をしているのかどうかというのは、すごく大事な議論だと思います。
竹中:日本はアメリカやヨーロッパと比べて宗教の位置づけが違うので評価は難しいのですが、現実には宗教団体が政治結社をつくる例は世界中にいくらでもあります。世の中に宗教があり、それが心の支えになるものであれば、政治と結びついていくのは現実問題として認めなければならない。これがリアリズムというものでしょう。
ただ、日本は民主主義国家ですから、選挙の際にきちんと政教分離されていないとすれば、取り締まらなければいけません。学会員に賄賂まがいの便宜供与を行なっていたりすれば、徹底的に取り締まる。公明党だからという議論ではなく、どこの党でも同じように民主主義のルールに則って取り締まるべきです。
教育の研究者はいても専門家がいない
櫻井:このあいだ山崎拓さんが、アーミテージなどアメリカの要人と話したそうです。安全保障や懸案の普天間基地について言及すると思っていたら、一言も触れない。そこで山崎さんのほうから切り出した。すると、「われわれは在日米軍の数をフィックスしているわけではない」といったといいます。その後ワンポーズあって、「増やすこともありうるし、減らすこともありうる」と。山崎さんは、「政治家としての発言を考えるなら、いまの発言は増やすほうではなく削減か撤退の期待感で受け取られてしまう」といったそうです。するとアーミテージはそれには一言も答えなかったというのです。
これは、アメリカは削減を真剣に考えているということです。コソボ紛争で2万発の空爆をして外れたのが20発ほど、つまり99.9%のミサイル命中率をアメリカの軍事力は達成した。となれば、前方展開基地の必要性は減少します。グアムやサイパンやアラスカの基地で十分役割を果たせるということにもなります。そもそも沖縄にいるのは海兵隊が主です。白兵戦などアメリカはすでに前提にしていないですから、その面でも、在沖縄米軍基地の必要度は下がります