大反響! 現役裁判官座談会 第2弾「裁判官には最高裁多数派につく『家風』がある」
『SAPIO』 2001年1月24日・2月7日号
司法改革が日本を変える 第7回
1999年9月に現役裁判官の有志で結成された「日本裁判官ネットワーク」。とかく閉鎖的だと見られてきた裁判官たちだが、司法を考えるシンポジウムを開き、市民たちの声を聞き、率直に自分の意見を述べる彼らの姿に、日本の新しい裁判官の姿を見出すこともできるのではないだろうか。以前、この連載の中で行なわれた櫻井よしこ氏との座談会(2000/11/22号)では、読者から大きな反響が寄せられた。今回はその第2弾として、裁判のあり方から現在の司法改革をめぐる問題点まで論じてもらった。
〈座談会出席者〉
井上康弘 神戸家庭裁判所
森野俊彦 和歌山家庭裁判所
安原浩 大津地方裁判所
櫻井:先のアメリカの大統領選挙では、裁判所の党派性の強さなど多くの問題点が浮き彫りになりましたが、と同時に州の最高裁も連邦の最高裁も、政治では解決できない問題に対してきっちりとした結論を出し、司法としての機能を果たしたという評価もできると思います。
翻って日本の裁判所を見ると、最高裁レベルに近づけば近づくほど、政治に対して腰が引けている印象が強い。まず、この点について伺いたいのですが、非常にわかりやすい例でいえば「一票の格差」をめぐる裁判についてどうお考えですか?
森野:たしか80年頃の衆議院議員選挙だったと思いますが、私は大阪高裁で、一票の格差の事件を担当したことがあるんです。この種の事件は高裁が一審となります。もちろん3人の裁判官の合議による判決ですが、この時の結論は「議員の定数配分規定は全体として違憲だけれども選挙は無効にしない」という、いわゆる事情判決でした。
櫻井:本来は違憲だけれども、現状を考えて、今回は受け入れましょうということですね。
森野:「事情判決の法理」といいますが、それを最高裁が考え出して以降、こういう違憲判決を出すようになったんです。
櫻井:その法理がなかったら、どんな判決になったのでしょう。
森野:違憲であれば選挙は無効となるわけですから、速やかに再選挙すべきということになります。但し「40日以内」に行なわなければならず、定数を見直したうえですることは相当大変です。それで最高裁は違憲宣言にとどめたわけですが、それでも画期的だと思います。それまでの定数訴訟をみると、最高裁判決が出る前に解散になってしまったりして、訴訟をした意味がなくなった場合もあったのですから……。でも一番問題なのは、そういう違憲判決が出たにもかかわらず、国会が定数をなかなか是正しないことなんです。これには、国民の皆さんがもっと怒っていいと思うのですが。
安原:無効な選挙で選ばれた議員が作った法律はどうなるんだという問題も出てきます。裁判所としても法的な安定というものを考えなければいけないわけですから、事情判決自体が悪いとは思いません。ただ、民主主義の基本は一票の投票の価値だという原理原則を尊重する理念が、日本の場合はまだまだ弱かった。そのために事情法理というものが出てきました。そしてそれが、これまで長く続いてしまったために、国会は「裁判所はどうせやる気はない」と完全になめきっていますし、財界からは「最高裁がこんなに弱腰でいいのか」という批判が出てきている。こういう事態ですから、もはや最高裁は、もう一つ踏み込んだ判断をすべき時期なのではないかと思います。
櫻井:突っ込んだ判断とは、具体的に言うと?
安原:一票の格差について、何対何を次回までに破ったら無効判決を出すという警告判決です。
櫻井:国民の側から見ると、警告判決はとっくの昔に出ているべきだと思うのですが……。
もう一つ、田中角栄元首相のロッキード裁判では、最高裁が事実上判決を下さないことで、田中角栄という人物に政治活動を許してしまった。この件についてはどうお考えですか。高裁判決から4年数か月も判決を出さず、最高裁は田中が死ぬのを待っていたという見方もありますが。
安原:最高裁では民事、刑事の調査官が下調べをし、整理をした上で最高裁の裁判官に上げるのですが、普通の事件でも2年くらい待たされます。大きな事件ですから、調査官が何人か関わっていて、準備が滞っていたという可能性もあります。意図的に引き延ばしたとは決めつけられないと思いますが……。
櫻井:そうした事情はあるにせよ、もっと敏速に判決を出すべきだと思うのですが。
森野:それはそうですね。例えば、最高裁は、下級審の裁判官が事件の処理が遅いことについては結構厳しくチェックして注意するんです。裁判を受ける国民の立場からみればそのことは正しいと思いますが、それなのに田中事件について肝心の最高裁自身がなかなか判決を出さないのは、どういうことなのだろうと、当時、議論になったことをよく覚えています。政治的配慮があったかどうかは、われわれ一般裁判官には知る由もありませんが。
最高裁の多数意見を尊重するキャリア裁判官の『家風』
井垣:下級審の話ですが、キャリアシステム(※1)のなかで3、4年ごとに裁判官は転勤しますから、面倒な事件を抱えた時は、なるべく判決をせずに後の人に引き継ぎたいという欲求に負けてしまう場合もあると思います。結果、ずるずると引き継ぎを繰り返し、提訴から20年もかかってしまう裁判もある。最近の例では、松山地裁(※2)の伊方原発の判決ですね。
ロッキード裁判でも、判決しにくい事件はなんとなく先に延ばしてしまいがちな、体質的なものが絡まっているかもしれません。もうしばらくしたら亡くなるかもしれないという気持ちが期せずして関係者の間に共通してあったかもしれない。
櫻井:そうした「キャリア裁判官の体質」があると……。
井垣:最高裁は下級審とは違って、非常に多様な裁判官が入っています。ところが裁判官だった人や元検察官だった人たちの意見は一致すれば、最終的には(※3)必ず多数で勝つシステムになっているんですね。「一票の格差」もそうですが、人的構成は多様ではあるけれども、結論は見えているというシステムで運用されているわけです。そういう最高裁が出す多数の考え方が、現実問題として下級審の裁判官を気持ちの面で強く縛っているという面がある。最高裁の多数派の意見を大事にしなければいけないというような、いわば「家風」が裁判官のなかには強いんです。
櫻井:その家風には「仕方なく従う」という姿勢なのですか。
井垣:我が家はこうあるべきだ、これが我が家の伝統だと、むしろ積極的にとらえていますね。そうでない裁判官たちは、疎外されるというか、裁判官としての適格性が少ない人間だと見られるんじゃないかという怯えがあります。
櫻井:そうした官僚裁判官の体質が「世間知らず」というような批判につながり、司法改革の一つの柱である「法曹一元」(※4)の議論になったのだと思います。皆さんは法曹一元には賛成ですか、反対ですか。
井垣:私は法曹一元大賛成です。通る保証のない司法試験の勉強に何年間も費やし、運良く合格すると司法研修所を経て判事補となる。社会から隔絶された状況下で、社会での実体験がないまま裁判官にさせるというプロセスは、自分を振り返ってみてもあまり勉強になりません。たとえば10年間の弁護士経験をし、社会との接点を持った上で裁判官になるというシステムのほうが、理念的にも実際的にも、よりすぐれた選考制度だと思います。
森野:官僚裁判官の弊害をなくす一番の方策としては、すべて法曹一元で、というのが理想かもしれません。ただ現状では、キャリアのなかで判事補という形で10年間それなりにやってきた人たちを、およそ裁判官としては失格だというのは言い過ぎでしょうし、判事として採用しないというのも極論だと思います。すべて判事として採用すべきでないというのは行き過ぎのような気もします。
井垣:私もいきなり判事補からの採用をゼロにしろとまで言うつもりはなくて、プロセスとしては、たとえば判事補出身の人も5割程度は判事に任命するという形で混合させても構わない。今は弁護士任官(※5)は微々たるものですが、半分も入れ代わってしまったら、「家風」も混合してかなり自由闊達な経験交流ができると思いますから。ただ30年50年単位で考えると、最終的には官僚制度を廃止するのが正しいだろうと思っています。
安原:私は司法改革に対する自分なりの視点として、独立性、市民性、迅速性、そして専門性という4つのポイントを挙げているんです。迅速性と専門性については最高裁の方針としてある程度進んでいますが、独立性と市民性という視点では、究極的には法曹一元が望ましいのでは。裁判官が社会のいろいろな紛争の納得できる解決を出すには、やはり市民と接し、意見を聞いてきた人の中で優れた人たちを選ぶほうが、一番納得できる結論を出せると思う。
櫻井:今、日本は国家観というものが非常に希薄になってきていて、この国を国ならしめるものは何かという基準がほとんど存在しないような状況になっている。その意味では政治もマスコミもまったく役に立っていない。もしこの国家のあり方の根幹を守るところがあるとしたら、それはある意味で裁判所なのではないか、と。その裁判所を支えているキャリア裁判官を全廃したらどうなるかという点についてはどう考えますか。
井垣:私はその不安は、杞憂だという気がします。今のキャリア裁判官は基本的に足腰のしたたかさという点で欠ける。みかけは非常にガッチリしていますが、かなりか細い、ひ弱な、問題から逃げようとする発想ですからね。選ぶ手続きをどうするかはともかく、弁護士を10年、15年経験し、国民の目に触れて活動してきた人のなかから本当に足腰のしたたかな、熱意があって優秀な法律家を裁判官のポストに送り込んだほうが、よほど国の重要問題を正面から受け止めて、議論し結論を出してくれると思う。
森野:私も基本的には法曹一元を支持するのですが、仮に法曹一元にならなくても、例えば裁判官の人事のあり方がもっと透明になったり、今の裁判所が、裁判官ネットワークのような活動を歓迎するというような度量というか懐の深さといったものがあれば、キャリアシステムのなかでもっと改善できる余地があるし、司法全体のレベルも上がると思います。そうすると、キャリアシステムも案外捨てたもんじゃないという声が上がるかもしれません。
少年法にかけている「償い」の方法論
櫻井:ところで現場の裁判官の立場から、少年法の改正案(※6)に対してはどう評価されますか。
森野:刑事処分の対象年齢を「14歳以上」に引き下げるとか、16歳以上で人を死に至らしめたような場合には原則逆送致、という改正については、必ずしもそれによって事態がよくなるとは思いません。実務をやっていると、さまざまな少年がいて、そうした重い処分が妥当でないことはよくありますし、厳罰化することで本当に被害者や遺族の方が慰謝されるのか、あるいは年若い少年が刑の執行を受けることで、本当の更生になるのかという点も疑問なんです。
櫻井:被害者の方たちに聞くと、厳罰にしてほしいという気持ちはかなり強くあるようです。きれいごとを言えば、人間は罪を憎んで人を憎まずということなのでしょうが、人間の心というのはそういうものではないのだろうと思う。身内を殺されたりひどい目にあわされた人にとっては、自分たちがまだこんなに苦しんでいるのに、相手はもう少年院から出てきているとか、ちっとも苦しんでいないとか、そういうコメントが驚くほど多いですね。
井垣:私はもっぱら少年事件を担当しているので、犯罪被害者の方(※7)や遺族の方の手記などもずっと読んできましたが、わが子が殺された親の気持ちというのは、どうも4つの気持ちが折り重なっているような気がしています。一番下にあるのが、わが子が生きていた時の輝いていた姿を加害少年にもその親にも、世間にも知ってほしい。そういうかけがえのない命を奪ったんだということを認識してほしい、という気持ち。その上に乗ってるのが、加害少年に対して被害者がされたことと同じ仕返しをしてやりたい、死ね、殺してくれという感覚で、これは一生消えずにずっと残るように思います。
3番目は、きれいごとではなく、加害少年を殺さないのなら、本当の意味で更生をさせてほしい。最後に教育で少年を更生させて社会に戻すのであれば、その先、一生をかけて償いをさせてほしいというのが4番目に乗っかっている。
櫻井:確かに償いをさせるというのは、これまでの少年司法で非常に欠けていた部分だと思います。
井垣:そうなんです。少年司法の関係者は、加害少年を社会適応力を持った人間にして社会に戻すまでが自分たちの役割で、それから先、償いをさせるかどうかは加害少年本人や親の問題、あるいは社会のサポートの問題だということで、知らん顔をしてきた。そういう意味で非難を免れないようなシステムで対応してきたのは事実だと思います。
櫻井:厳罰化についてはどう考えますか?
井垣:結局、少年院に入れて教育するかわりに、10年とか20年の間、刑務所に入れて懲らしめるというだけの発想、ようするに「一時的に社会から追放してお上に任せる」という発想なので、基本的には大反対です。もちろん、今までの手続きの中で、改善しなければいけない点はいくつもありますが。
櫻井:改善すべき点とは、具体的には?
井垣:被害者の先に「4つの気持ち」が折り重なっているとすれば、それをきちんと言っていただくための場所を少年審判手続きで提供すべきだと思いますし、サポート体制も作るべきでしょう。その上で家庭裁判所が保護、教育という道を選択した場合には、実際償いをさせるシステムを付け加えていかなければならない。
少年院の院長の何人かに、加害少年にアルバイトをさせてくれという話をしているのですが、けっこう乗り気なんです。たとえば人を殺した少年を2年間少年院で教育している場合に、毎日1時間は内職をさせて多少のお金は稼がせ、それをお花代として遺族に送り続けるということは、やろうと思えば今でもできるわけです。
それを出発点として、加害少年が社会復帰してからは、毎月何万円かのお金を一生払い続けさせるようなサポート体制を作り、更生させてもらった以上は一生かけて償いをさせるというシステム作りがどうしても必要だと思う。
森野:ただ、それも少年の保護更生を重視する方向での問題で、被害者側からすれば、それだけでは責任をとったことには決してならないとの反論が常にあります。人の命を奪ったことの責任については、大人であれ、きちんととらなければいけないという気持ちは、いつまでたっても残ると思いますね。
井垣:たしかに「殺してやりたい」という思いは一生消えない。しかし「もし死刑にしないのであれば」という仮定つきですが、本当の更生をさせてほしい、あるいは償いをしてほしい、死んだ子供のことを一生忘れてほしくないという気持ちも折り重なっている。そういう手当てを十分にすることができれば、被害者や遺族、ひいては世間、社会の理解や納得も得られるのではないかなと思うのですが。
少年審判が社会の不信を買うのはなぜか
安原:私は刑事裁判を主として担当しているので、被害者の納得とか社会の納得も大事だという立場です。これまでは被害者の声とか、罪の重さを少年自身に自覚させることが少なすぎたので、教育の過程でそれも必要だったと思う。ただ、厳しく処罰するのではなく、国が親代わりに彼らを育ててやるのだという今の少年法の理念が実績を上げてきたのも確かです。少年法が施行されて以来、少年事件はそんなに増えていないし、基本的には少年法は今の日本の社会で非常に成功した制度だと思う。
今回の改正法でも、逆送致が原則としながらも、家庭裁判所に判断権が一応留保されている。刑務所に送った場合でも教育は行うとしているので、むしろ運用の仕方が問われるのでは。決して保護主義を根底から崩しているとまでは言えないと思いますね。
櫻井:日本の少年法はアメリカのシカゴの州法を模範にしたものですが、そのアメリカでは、あまりにも現実にそぐわないということでとっくの昔に改正をし、子供性善説に立った国親思想から反対の方向に向かいました。他国の少年法も同様です。この違いについてはどう思われますか。
井垣:おっしゃるとおり、アメリカが当時の世界レベルの理想主義的な少年法を日本に持ってきたわけですが、私はそれが日本の民族性に非常にピッタリと合ったのだと思うんです。日本を含めてアジア民族は子供に甘いというか子供が好きな民族なので、基本的に子供を罰しないで教育して立ち直らせようというシステムが成果を上げ、独自の歩みを続けてきた。その結果、世界に類を見ないような安全な国になったのだと、少年司法の関係者は非常に誇らしく思ってきた。
よその国では失敗したので厳罰化方向に鞍替えしましたが、まだ模索中というか、成功している国はまだありません。
櫻井:あえて議論のための反対論を言いますと、日本の社会が非常に安全で犯罪が少ないのは、少年法以前からの特質です。例えば江戸には100万近くの人が住んでいて、それを北町奉行と南町奉行が交代して取り締まっていた。ところが与力というのはそれぞれ3人ずつしかいなかった。当時は非常に厳罰主義でしたが、3人で100万人を取り締まれるくらい犯罪率がとても低かったわけです。
もちろん厳罰にするから問題が解決するというわけでは決してありません。しかし、加害少年が社会に出てきたときに社会に受け入れ、適応させていくためのソフトウエアと、同時に自分がどんな罪を犯し、どういう苦しみ悲しみを多くの人に与えたかということを認識させるシステムが少年法にはないんです。自分がやったことを認識しない人間は、決して真の反省などできないと思うのですが。
井垣:それは事実誤認だと思うんです。捜査プロセスと審判手続き、少年院などの努力で、自分のしたことの重要性を認識させるような教育的アプローチは当然行っていますし、それが成功して、人を殺したような子供の再犯率は非常に少ない。ただ、少年に対して何を教育しているのかについて、これまでほとんど発表しないできたために、「凶悪犯罪を起こしても、こっそり社会に戻ってぬくぬく生きている」という姿しか被害者や国民の目には見えない。官が抱え込みすぎているところに問題があるわけで、世間に理解してもらうためにも十分な情報を公開すべきだと思いますね。
安原:少年を守ってやろうという意識が強すぎて、手続きも最後まで社会と隔絶した方向で進んでしまうところが、不信感を生む一つの原因ですね。私は、例えば被害者が審判に出て、加害者に面と向かって文句を言うようなことは、もっと認めるべきだと思います。非難して、怒鳴ってもいい。それは被害者の気持ちですからね。
あまりに遅い法的な欠陥への対応
櫻井:少年犯罪に限らず、被害者の保護という視点が日本の司法制度のなかでは欠落しているように思います。被害者保護法ができましたが、まだまだ不十分な内容ですね。
森野:被害者の意見陳述を認めるというようなことですが、たしかに被害者の方からすれば、まだまだ権利としては不十分だという思いがあって当然でしょう。
安原:被害者の気持ちをケアするシステムをもっと確率すべきだと思いますね。被害者給付金の制度も非常に不完全ですし、外国では被害者を精神的にサポートするボランティアグループがたくさんあるのに、日本では下手をすると加害者が大きな顔をして歩いていて、被害者がたいへんな孤独感を味わっているという現実がある。やはり被害者をもっと社会的に守る制度を確立していかなければ。
刑事裁判の量刑を画一的に重くする方向ではなくて、被害者をもっと助けてあげようという社会的な合意なり実質的なシステムをきちんと整えることが大事だと思います。
井垣:少年の保護、教育のところでも言いましたが、刑罰を執行する場合にも、やはり償いという部分が欠けているんです。今は、国が全額ただで強制労働させて、被害者のほうに償いを回す余地がない状況です。私は例えば労働の半分は被害者への償い金に回すようなシステムにして、社会とのつながりを持たせるような大きな改正が必要な気がしています。
櫻井:加害者は法律によって権利が守られているのですから、被害者の立場を守る法律もつくらなければ不十分ですね。
欧米では、何か問題があった場合に、非常に敏速に対応します。たとえば今回のアメリカ大統領選挙でも、MIT(マサチューセッツ工科大学)とかカリフォルニア工科大学が協力して、安価でしかも信頼性の高い新しい投票装置の開発を決めました。もちろん人間のやることですから完全だとは思いませんが、世界のなかで、日本のみが欠陥に対して非常に鈍感な気がします。
座談会後記
裁判官ネットワークの方々と話をしていると、人間としての裁判官の側面が見えて、非常に興味深く、しかも親しみを感じます。しかし、日本の司法という全体の中で考えると、どうしても大きく強い不満と失望を抱かざるを得ません。
今回の対談の焦点のひとつは、司法と政治の距離でした。例えば一票の格差問題です。衆議院議員選挙での最大格差は1971年には5.08倍、77年には5.29倍、80年には5.37倍、83年には5.58倍というように選挙ごとに広がってきました。93年にはこれが6.59倍になってしまっています。地方に住む人の一票と、東京や神奈川など人口密集地に住む人の一票に、これほどの差があること自体異常なのは、国民のみならず、最高裁判所さえも認めていることです。
にもかかわらず座談会でも指摘されたように、「事情判決の法理」を持ち出して、一票の格差は国民の平等を謳った憲法に違憲するけれど、その選挙結果は違憲ではないという判断を最高裁は下しました。選挙結果までを違憲とすれば、選挙のやり直しをしなければならず、また、その選挙で当選した政治家たちが作った法律はどうなるのかという問題が生じてくるからだという理由です。
かくして、格差は今も続き、違憲の状況下で実施された選挙結果を、今も国民の私たちは甘んじて受け入れざるを得ない結果となっています。
しかし、現実の処理をどうするのかということを考えて、心配して、選挙結果を違憲と言わないということは格差を事実上、容認するということです。
どんな理屈をつけようと、これは司法が政治問題から逃げていることです。人間的には好ましい裁判官のみなさんに対して、裁判官の仕事はこんなものでよいのかと質したい。その意味で、もっと厳しい目を自らに向けよと言いたいと思います。
※1 司法修習を終えた者から判事補が任命され、10年の任期がたつとその中から判事に採用される。また判事になってもおよそ3年ごとに転勤があり、こうした人事の裁量権はすべて最高裁事務総局が掌握している。昇級や昇格も格差があり、最高裁の判断次第で決められることから官僚的な体質ができあがっていると言われている。
※2 愛媛県伊方町の四国電力伊方原発2号機を巡り、周辺住民21人が国の原子炉設置許可処分の取り消しを求めた2000年12月15日の松山地裁の行政訴訟の判決で、住民側の請求が棄却された。住民33人が78年3月に提訴したものだったが、裁判の長期化で原告のうち12人が死亡したり、訴えを取り下げている。
※3 最高裁の構成は最高裁長官1名と最高裁判事14名の計15名から成る。最高裁の判事は40歳以上の学識経験者で、15人のうち10人は20年以上の法律家経験者でなくてはならない。裁判官、検察官を含めた官僚出身者が常に過半数を占め、行政に有利な判決が出るとの指摘もある。
※4 弁護士、裁判官という法曹をすべて弁護士に一元化し、一定期間弁護士として活動してから裁判官を選任する制度。
※5 91年、日弁連と最高裁が合意し、弁護士から裁判官を任命する制度ができた。毎年6名程度の弁護士が裁判官に任官している。
※6 少年法は2000年11月に改正された。刑事罰の適用年齢が16歳から14歳に引き下げられ、16歳以上の少年が故意に被害者を死亡させた場合は検察官に送り裁判にかけることなどが骨子。
※7 犯罪被害者保護法は2000年5月に改正された。主な骨子は性犯罪の告訴機関の撤廃、被害者遺族の意見を裁判で陳述できたり傍聴を優先的にできることなど。