「 漂流するフリーター『200万人』の存在理由 」
『週刊新潮』 2000年12月28日号
迷走日本の原点 第11回
フリーターという言葉が就職情報誌『フロムA』に登場したのは1987年だった。はっきりした定義はまだないが、労働白書は、フリーターはパートでアルバイトをする、学生ではない人々、女性は未婚などとしている。
その数は15年間で3倍の151万人に達した。これも97年の数字であり、現在は200万人に迫り、将来も増えていくと分析されている。
フリーターとは一体、どういう人々なのか。彼らはどこに行こうとしているのか。日本の未来社会に関して、彼らはどんなメッセージを発しているのだろうか。
「とくにフリーターとして言いたいことがあるわけではない。自分は何をやろうかなと考えている程度です」
こう語るのは、集まってもらったフリーターの一人、尾形友信氏、30歳だ。高校卒業後、植木屋に就職、怪我で退職してデザイン会社に就職、同社の倒産でアダルトビデオ制作会社に入った。ビデオパッケージのデザインをするつもりがビデオ制作も担当した。
「人間の本音の部分が見えてしまって、怖くなってここも辞めました。今は建設現場の仕事も含めて数種の仕事で一応自活しています」
彼は、10年後の自分は新宿の公園で寝ているかもしれないと不安を抱きつつも、現在付き合っている“彼女”と、安定した暮らしをしたいと考えている。
秦寛憲氏は23歳。高校に入ったが中退し、数々の職業を体験した。両親を含めて10人の家族と同居中だ。
「今はスカイパーフェクTVのアダルトチャンネルで、ビデオ内容のチェックしています。将来はポルノビデオの巨匠になりたい。もっと崩れた凄い人間を見て、極めた後は、坊さんになりたい」
彼は大きな体を揺すりながら、自分は他人を騙しても騙される“軟弱な”人間には決してならないと宣言する。
岩崎裕保氏は20歳。高校はひと月で辞めて、今はライブハウスのバーテンをし、ミュージシャンを夢見ている。
「住所不定で居候しています。茨城から東京に出てきて半年、7キロ痩せました」
彼はこの頃、酒が抜けない生活が続いていると語る。
有野あきさんは、20歳。高校入学後、1年生の2学期から留学し、そのまま日本の高校を辞めた。今年7月に帰国。コンビニエンスストアでアルバイトをしながら、10歳の時から習い始めたクラシックバレエのプロを目指してレッスンを受けている。
「正式には高校も出ていないから就職は難しい。でもフリーターがいて正社員も助けられているはず。なのに、正社員はフリーターを外注扱いして見下しています」
彼女は10年後の職業は想像できないが、「とりあえず主婦はしている」だろうと語る。
山下純加さんは22歳。短大を卒業してアパレル会社に就職したが、インテリアデザインを志して退職。現在、アルバイトをしながら就職活動中である。
「親に心配をかけないために、就職しようと考えています」
最年長の尾形氏も含めて、危うい感は否定出来ないものの、目標がないわけではない。そう指摘すると、有野さんがこう話した。
「大半のフリーターは、今、私たちが語ったような目標を持っていないと思いますよ。年をとってもフリーターのままでいようと考えている人はいないと思いますけど」
学習院大学教授で、労働経済学が専門の玄田有史氏は、フリーターは社会の縮図であり、若者たちもなぜ自分たちがフリーターになったのか、よく分からないのではないかと、次のように述べる。
「突き詰めて行けば、この問題は世代間抗争です。つまり、中高年の雇用を守るために若年層がフリーター化せざるを得ない実態があるのです。今、50代の団塊の世代は、高度経済成長の最後の時期に採用されました。人は就職すると3年、5年、7年の区切りで転職を考えがちですが、彼らは区切りの時が石油ショックの不景気で転職もままならなかった。社に残った多くの同期の人間を、今、企業がどうにかしなければならなくなっています。配置転換や出向という対処も限界に近く、企業は新規採用の削減に踏み切ったのです。若年層の正規採用が出来なくなり、こうしてフリーターが生まれてきたのです」
日本労働研究機構主任研究員の小杉礼子氏は、フリーター現象の深刻さを指摘した。
「全体で言えば150万人から200万人で、それほど多くないという見方も出来ます。しかし、15歳から24歳の男性グループを見ると、平成元年から12年で6・3%から18%に3倍増です。この世代の5人に1人がフリーターとは深刻です」
小杉氏は95年に発表された日経連の『新時代の日本的経営』という報告書に注目する。同報告書は、雇用を三種類に分類、第一は長期蓄積能力発揮型社員で大卒の正社員に当たる。第二は高度専門能力型社員で、一時的、短期的に雇い入れる人材だ。第三が雇用柔軟型被雇用者で、フリーターに近い流動的人材だ。
「日経連はこの三つが組合わさる形で日本の雇用は変化し、第三分類が増えていくと報告しました。現状はその通りになっています」(小杉氏)
崩れる日本型雇用
さくら総合研究所の続木文彦主任研究員は、ここ数年若者の雇用に警告を発してきた。
「バブル期の大量採用の反動もあって、今年3月以降の15歳から24歳層の完全失業率は、8%を超えています。高卒、大卒者の就職浪人は計22万人で最悪の数字です。しかし、これは雇用の場が少ないという要因のせいだけではなく、若者の意識とも深くつながった現象です。職場への定着意識は各国の中で日本が一番低いのです」
総務庁の11カ国の18歳から24歳までの調査を見ると、「現在の職場でずっと働きたい」と答えた若者は意外にも日本が最も少なく、27・5%なのだ。再考はドイツで53%、流動性が高いと言われる米国でも38%に留まっており、20%台の低さを見せたのは日本のみだった。
加えて文部省の「学校基本調査」が、ただならぬ状況を伝えている。高卒や大卒の若者の就職率が、この10年で前者は半減、後者は25%も減少しているのだ。
卒業しても就職しない若者、就職しても同じ職場に定着したくない若者が急速に増え、フリーターの増加につながっているのだ。
『1940年体制』の著者で経済学者の野口悠紀雄氏は、そうした人々を食べさせていける社会の豊かさが、第一の要因だと指摘した。
「ひと月程前、マレーシアのIT会議に出席しました。同国はマレーシア人の優遇政策をとうの昔にやめて、外国人を採用し、専門家集団を作りつつあります。しかし、その中に日本人はいません。日本は海外からひとを受け入れる体制がないだけでなく、外に出ていく人間も少ないと痛感しました。日本にいればそこそこ生活できるからです」
評論家の宮崎哲弥氏は、現状は危機的であると憂慮する。
「人間のアイデンティティ、統一的な自我の核になるのは、職業意識です。職業を獲得し、それが自分の天職だと考えた時から、真の意味での社会的アイデンティティが育つというのが、近代的なアイデンティティ論ですが、これが崩れつつある。一生涯を通じて職業意識によって育てられるような人格が獲得出来なくなってきているのです。日本の近代化を支えて来た勤勉な心性が失われて来ている事の象徴的な現象で、正社員になるか否かの問題に留まらず、家庭を持つかどうかという問題にも波及していくわけです」
確かに、若者たちの結婚率は目に見えて落ち、周りを見渡せば結婚しない若者たちが少なからずいる。5年前の統計でも25歳から29歳の年代の男女は、結婚していない人が共に過半数を占め、男性は68.4%、女性は50.4%だった。四半世紀前の1970年には男女ともに過半数が、とくに女性は80%以上が結婚していたことを思えば、まさに隔世の感がある。
働くことに意義を見出せず、一体何のために生きているかも分からない。かといってせっぱ詰まっているわけでもない人々の増加は、社会全体が基軸を失い、偶然的、疑似現実化してきた戦後の動きと軸を一にする。再び宮崎氏。
「皮肉ですよ。戦後の進歩派は、自立的市民を生み出すといってやってきた。しかし、その後の世代は我が儘と依存の世代になってしまったのです。国としての意識も独立も、個人の独立も全うされなくなって来ているのです」
氏は、原因としての社会構造は、米軍の日本占領時以降に複合的要因がより合わさって作られたと指摘する。吉田茂以下、池田勇人、佐藤栄作ら保守本流政治家の政策が、GHQの設置した政治、社会制度とあいまって加速度的に日本と日本人の自立を損ね、欺瞞と甘えを助長してきたというのだ。一貫して日本の行動原理となったのが“和”であり、その和は「場の利益」に過ぎないとも主張する。
「山本七平が“空気の支配”と呼んだものと全く同じ事なのです。これは戦前、或いは江戸時代からずっと続いているかもしれない日本的心情で、言葉を変えればその場の利益優先なのです」
その場その場で最適の方法を選ぶといえば聞こえはよいが、論理的な思考の末の帰結ではなく、場の空気を“絶対の権威の如く”尊重し、信念を貫くことなく妥協し、それに巻き取られていくということだ。こうした価値観に浸っているのがフリーターだという指摘でもある。フリーター問題は即、日本人全体の問題だということだ。
国家観と社会活力の喪失
宮崎氏の指摘した、吉田政治以降の国家観の喪失のもう一つの側面は、自分の夢と社会の夢がある程度一致していた時代から、自分と社会の有機的なつながりが実感出来なくなった時代への変化だ。世の中が自分からとても遠ざかったり、全く関係が無いように感じる乖離性は、恐らく現代日本人が多かれ少なかれ感じており、それがフリーター現象の一側面だということだ。
「それを問題だと考えることも、ひとつの過渡期現象で、仮に彼らが膿だとして、それが瘡蓋になって新しい皮膚が生まれてくるという風に積極的に考えることも出来ます」
こう述べるのは、リクルート社のフェローである藤原和博氏だ。氏はフリーターがもっと肥大化して、ひとつの社会勢力になってしまう位が日本のためには良いという。
「仮にフリーターにならず、普通に大学を卒業して会社に入る人も、9割は澱むと思うのです。フリーターが澱んでいるとして、会社人間も澱んでいるのが今の日本です」
澱みは、さまざまな現象となって顕れている。例えば、社会活力の無さである。日本で新設された会社の数は、96年以降99年まで、年平均で18万5000社余りだった。会社の誕生は、新たに組織を作り、製品やサービスを世に問うという意味で、その社会の夢を描く能力を示すものだ。資本力も必要なため、経済的活力の明確な表現でもある。
そうした意味を含む新会社設立数が日本では過去四半世紀、ほぼ一貫して減り続け、ここ数年は先述のように、年間18万5000社だった。一方、米国では96年までの15年間、ほぼ一貫してふえ続け、96年には84万2000社が設立された。
人口比で日本は米国の2分の1、従って日本でも42万余社程が、誕生してもよいはずが、実際はその半分以下だ。
しかも米国の企業を見ると、2330万社近くの法人のうち、実に1720万社が、従業員のいない個人会社である。個人が自己責任で自分の夢とアイディアを基に、自分で資金を都合して起業しているのである。小さな会社がピチピチ飛び跳ねながら、社会の活力の強力な下支えとなっているのが伝わってくる。
企業興しの活力の無さは、例えば学生たちの公務員志向の強さにも表れている。
日本青少年研究所の、21世紀の夢に関する調査では、日本の中高生が将来就きたい職業のトップが公務員だった。経営者や管理者が希望職種の上位を占める米国、韓国、中国、とは際立った違いだ。日本の若者は事業リスクに立ち向かい、自己責任で人生を切り拓いていくという意識を深く欠いているということだ。
もうひとつ注目すべきは、国立社会保障・人口問題研究所の全国家庭動向調査だ。なんと未婚男性の約52%、未婚女性の73%が、母親に身の回りの世話を焼かせている。また、若い女性の約半数が専業主婦志向だ。
まさに他者依存の“パラサイトシングル”の氾濫である。がA社会全体が澱んでいる今、フリーターが現状に変革の雪崩を起こす役割を果たし得ると藤原氏は期待する。
「日本脱出がひとつのきっかけになると思います。企業は今、雇用に対して厳しくなっており、中途半端な大学に入って卒業しても、恐らく採用はされない。そういう意味で、高校くらいからでも海外に出て行く若者が増えます。彼らが海外を見た上で、もう一度日本を見た時に何を思うか、そこに期待をかけたい」
海外生活を体験して日本人が感ずる事は、強烈なアイデンティティではないだろうか。他者との対照の中で、彼らは自分が自分であること、日本の風土の中で育った日本人であることなどを鋭く意識し始めるのではないか。
「僕はそれを自分軸と呼びます。人間には自分軸と会社軸があり、この2つのベクトルの和で、対角線上に補助線を引いて仕事をするのが一番幸せなのではないかと思います。自分軸を作るには、常識を片っ端から否定していきます。ワインはフランスという常識を。チリのワインもカリフォルニアのワインも同じく美味しい。何故なら、醸造技術や運搬技術が技術革命で飛躍的に改善されたからです。世の中が進歩することで、常識が非常識になってしまう例を多く知ることです。会社という巨大な常識化装置に自分が負けそうになったら、それを思い出して自分を保つ支えとすることが出来ます」
自分で考える力や感ずる能力を、常識に譲り渡してしまうなということだ。
氏はさらに「自分軸」を強化するために、肩書きなしで自己紹介が出来るか、自分を失敗談を通して語れるかなどを問いかけるのだという。
いずれも自分を見つめなければ出来ない作業だ。自分を見つめれば、社会のどこに自分の居場所を求めたいのかも見えてくる。そうすれば、澱んだままでいなくても済む。
「独立の気力」を
私たちはフリーター現象にどう取り組めばよいのか。
「逆説的に聞こえるかもしれませんが、日本は社員を解雇するのが非常に難しい国です。ポルトガル、ノルウェーに続いて解雇が困難な状況を変え、解雇しやすくすべきです」
前出の玄田氏は次のように説明した。現在300万人いる日本の失業者のうち、45歳から50歳の大卒、つまり中高年のホワイトカラーの失業者は4万人である。解雇出来にくいのみならず、団塊の世代のために、定年を延長する動きもある。これは企業のコストを上げ、新規採用を抑えるためにフリーター問題を長びかせ、より深刻にさせる。従って、解雇を可能にする条件を整備せよというものだ。玄田氏が語る。
「結婚に例えれば明白です。選択を間違えた時には、離婚した方がよいケースもある。絶対に離婚出来ない社会が良いのか、お金さえ払えば離婚出来る社会が良いのか、後者が良いに決まっています」
まさに世代間抗争なわけだ。が、中高年を失業させることが問題の解決につながるのか。藤原氏が語った。
「日本は学卒の求人倍率が1.0%を切った位で騒いでいますが、、英仏などはそんなレベルではありません。失業率は5~10%、若年層はその倍と見るべきです。そうした中で、彼らはもっともっと厳しい環境の中で自分を磨かなければ自分を作り上げていくことは出来ないとして、自らを鍛えている。ですから、日本が5%の失業率を維持して行かざるを得ないのだったら、誰を失業させるのかよく考えるべきです。40代以上を失業させるのか、若い人を澱ませるのか。若い人の澱みを社会全体で認めて、そこに積極的に意味を見出せれば状況は異なってくるはずです」
フリーターを前向きに捉えるとして、問題は彼らの能力開発が置き去りにされがちな点だ。従来、企業は正社員の能力開発にコストと時間をかけてきた。その余裕が無くなり、即戦力としての中途採用を企業が選び始めた結果、能力開発されない労働力がそのまま残ることになる。
玄田氏はフリーターをはじめ若者世代が、自営業を立ち上げやすい環境を整えよという。誰か他人の下で働くのでなく、自ら経営者になるのだ。
「自分がボスだという意識が芽生えれば、自分で能力開発の努力をするはずです。こういう動きを後押しするために開業時よりも、開業後に援助する。事業がある程度大きくなり援助が必要になった時に、援助を得やすくする税制や資本市場が必要です」
この指摘は、野口氏の描いた1940年体制からの脱却である。同体制は、戦争を総力で戦うために人為的に導入された企業、経済体制の総称で、国家総動員法に代表される中央集権的仕組みの諸々をさす。典型例が終身雇用であり、源泉徴収であり、銀行を経由した間接金融だ。
1940年以前は、起業家は銀行に融資を頼まず、直接資本市場で起債して資金を手当てしていた。そのような自由さと闊達さと自己責任を日本は取り戻すべきだと玄田氏は言っていることにもなる。
野口氏が語る。
「40年体制は人間も資本も枠の中に固定させようというものです。その意味ではこれを真に打ち破らなければ起業は容易にはなりません。また、21世紀の日本の重点政策であるIT革命もうまくはいかないでしょう。なぜなら、ITはパソコンとインターネットの組み合わせで、パソコンは一人一人に非常に高度な情報処理能力を持たせてくれます。情報の分析と処理が一人一人に分散されるのです。集権的社会ではなく分散的な社会。そこでは感覚の鋭い人、能力の高い人、粒だった人が成功します」
百万単位で“漂流する”フリーター全員が社会全体にとって前向きの力になることは、企業の正規社員全体が日本の活力の源となることがないのと同じく、あり得ないことだ。しかし、漂流しているからこそ、日本を硬直させ停滞させてきた仕組みの中では見えないものを見ることが出来るだろう。そうした能力を備えた人、あるいは磨いてその能力を得る人は全体の数%にすぎないかもしれない。しかし、彼らは日本の閉塞を突破するきっかけになれる人材でもあろう。
彼らをより大きな挑戦に目醒めさせるにはどうしたらよいか。藤原氏らが指摘するように、彼らに澱んだ日本以外の世界を積極的に見させ、体験させることもひとつの手だ。日本にまだお金が残っている内に、政府は大胆に、若者たちを海外で学ばせるプログラムを組むのが良い。
フリーターは所詮、私たちの歴史、戦後史の凝縮した果実である。日本人の社会観、人生観、歴史観、国家観と深く結びついており、私たち自身の一側面である。
かつて福沢諭吉は、独立の気力なき者は、国を思うこと深切ならずと説いた。独立の気力も国を思う心も物の見事に喪ってきた戦後史からの立ち直りこそが重要なのだ。
1940年以前も含めての歴史を見つめ、国家の意味とその中で暮らす国民の関係について真っ正面から考えることが社会の漂流に歯止めを掛け、日本の立ち直りのきっかけとなるはずだ。