「 また始まった農業バラマキのアリ地獄 」
『週刊新潮』 2000年12月21日号
迷走日本の原点 第10回
日本のコメ農政の壮大なる失敗が、今や国民に不当な財政負担を強いているだけでなく、日本外交の基本方針を大きく狂わせている。
去る10月4日に決定された、北朝鮮への50万トンのコメ支援は、一体何を意味するのか。河野洋平外相は、拉致及びミサイル開発問題など、懸案事項の「解決に至る環境整備に役立て」、「自分が全責任を取る」と述べて、50万トンの支援に踏み切った。
50万トンという量は、国連の世界食糧計画(WFP)が要請した19万5000トンを日本一国が引き受けるだけでなく、要請を遙かに上回る量だ。この異例中の異例の日本の援助は、コストにして1200億円もかかる。
極めて異例かつ高額の同支援は、しかし、外相の言葉とは裏腹に、解決には何の役にも立ってはいない。理由は明らかだ。同支援が外交政策からではなく、農政の失政を粉飾する国内政治から生まれてきたにすぎないからである。
自民党の平沢勝栄代議士は、そもそも、50万トン援助の決め方からが異常だったと語る。
「党外交部会での決定の仕方はまさに噴飯ものでした。普段は滅多に出てこない河野外相や農林族議員らが出席していました。河野外相は、とにかく自分が全責任をとるからやらせて欲しいとの一点張りでした。とくに酷いのは鈴木宗男総務局長で、大きな声で“大臣の意見を聞こう”とか“大臣がおっしゃってるんだからそれでいこう”とか叫んで、そんな雰囲気の中で50万トンの支援が決まってしまいました。18人の出席者のうち、明確に反対意見を述べたのは私1人。あと2人が疑問視する意見を言っていましたが、鈴木氏の大音声に仕切られてしまった。」
この日の様子を伝えた『毎日新聞』は、コメ支援について自民党内の反発が少なかったのは、余剰米の処理に困っていた農林族議員の後押しがあったためだと指摘した上で、鈴木宗男氏が「有力農林族議員の松岡利勝氏に電話を入れ、“外交部会でコメ支援は大切だ、とぶって欲しい”と要請し」、「松岡氏は打ち合わせ通り」にしたと報じている。
横田めぐみさんをはじめ、少なくとも10人の日本人が北朝鮮に拉致されているというのが日本政府の公式見解だ。だが北朝鮮は、同件についてまともに取り上げることもしていない。拉致問題で何の進展もない時、当の北朝鮮に対して、本来警告を発し、一切の援助は解決の目処がつくまで控えるのが筋である。
だが、そのような可能性を検討もせずに、異例かつ高額の援助を渡すのは、日本国民の生命や安全をないがしろにする政策である。そんな政策に河野外相を駆り立て、日本政府を走らせた一つの要員がコメ余りである。
現在、余剰米は335万トンに上る。適正備蓄量は150万トンとされているため、2倍以上もの古米や古々米や古々々米が積み上げられているわけだ。
保管にはコメ1トンにつき、1年間で1万2000円、今年だけで保管料は426億円が必要ということになる。355万トンの中には95年のコメが41万トン、96年分が82万トンも残っている。97年時点の余剰米は450万トンに上っていた。
こうして考えると、保管料だけでも莫大な額に上ることが分かるが、さらに酷いのは、余りに古くなったコメは、家畜の飼料用に回されることだ。当然、価格は激安に値引きされる。年によっても異なるが、2000年度で言えば、トン当たり25万2000円ほどの生産者米価で買い取ったものが、飼料用として放出される時はトン当たり1万3000円程になるのだ。一連の保管・処分などを含めると、国民の財政負担は1兆円規模になる。
「日本人のコメに関連する負担は、単に保管料などに留まりません。米価そのものが世界一高いのです。日本のコメは、1俵(60キログラム)当たり平均で、1万5000円で農協に買い取られています。米国は1俵4000円、豪州は3000円です」
こう述べるのは、千葉県印旛沼の兼坂祐氏だ。氏は、コメ農家の未来を切り拓くべく、大規模農業を実践している人物だ。
米国、豪州は、日本人向けに品種改良したコメを作り、美味しさにも定評がある。にもかかわらず、値段は日本の5分の1から4分の1である。
これ程高い価格がついていても、日本のコメ農家の未来は暗い。
「日本の農業は潰れかけています。今のままでは3、4年で完全に駄目になります。零細家族経営から脱皮していかなければなりませんが、日本の農家は大概が、小規模です。平均耕作面積は1・2ヘクタールで、コメ生産高は100俵、約150万円の収入です。農業従事者の平均年齢はすでに64歳、多くが70代だということです。それで政府の指導と保護に頼っての経営です」
兼坂氏は厳しく警告する。氏の警告の背景には、現在、高い関税によって辛うじて守られている米価だが、近い将来の関税の引き下げに対処する力が日本農業に無いこと、後継者がコメ農家120軒に1人と言われる程、いないこと、実態として全国一律約35%の減反では、経営が成り立たないこと、にもかかわらず、政府の無策が続いていることなどがある。日本の農業はなぜ、ここまで落ち込んだのか。
族議員と農協の利害
日本の農政の特徴、食糧管理法は、戦時中の昭和17年に施行された。食糧不足を乗り切るための同制度は敗戦後、農地改革が断行され小作農が自作農に変わった後も続いたが、その目的はコメの値段の暴騰を抑えることだった。
今、食管制度といえば、米価の値上げ、若しくは高値安定のイメージしか湧かないが、施行当時はむしろ、米価抑制の機能を有していたのだ。
昭和30年には、戦後初めて大豊作となり、以後数年間、生産者米価は1俵4000円から4100円台で安定した。「1961年には農業基本法が出来ました。日本は高度成長の時代に入っており、農家所得を急速に伸びる他産業の収入に負けないように確保するのが基本法の狙いでした。で、目的の達成は、選択的拡大によるとされました」
千葉経済大学の唯是康彦教授が説明する。選択的拡大とは、漫然とコメのみを作るのではなく、需要の伸びの大きい作物を選択して作ること、また、高度経済成長で農村の若い労働力が都市や工場に吸収され、農家人口は減少していくなかで、残った人々が農業を担えば、当然規模が拡大されると思われた。農作物を選び、規模拡大によって生産性を上げるのが選択的拡大であり、その方向に行くべしとしたのが農業基本法だった。
「ところが2つの理由で規模拡大は出来ませんでした。経済成長が余りに急で、労働需要は若い労働力ばかりか、中堅の人材まで吸収していったのです。次男、三男のみならず、長男も一家の主人も工場などで働いた。農村に残されたのは、じいちゃん、ばあちゃん、母ちゃんで、三ちゃん農業が始まったのです」
唯是教授は、農業人口は減少したが、農家戸数は減少しなかったというのだ。
「第2の理由は、農作業がうんと省力化され、三ちゃん農業を助けたことです。除草剤を始めとする種々の農薬や、小型トラクターが大省力化につながり、零細、高齢者の農業経営を可能にしたのです」
大阪市立大学の杉畑正博教授も、戦後農政の最大の問題点は、結局、規模拡大による構造改革を目指したにもかかわらず、それが挫折したことだと指摘した。
「規模拡大政策は、単純に考えても農家の戸数が減ることです。しかし、農民票に依存する自民党議員にとっては農業人口が多い方が都合が良い。そこで、効率が悪くて所得の少ない農家を農業から撤退させていく競争の原理を導入するかわりに、農業所得を増やしたのです。これで三ちゃん農業も存続可能となり、農業人口の減少は、結果としてくい止められました」
時代と共に、人口はますます都市部に集中したが、その間議員定数は一向に改定されず、農村を代表する政治家は人口比で不当に多くなった。1票の格差は今、最大で4・98倍にも開いている。農政は長期の目標としての構造改革と、目前の利害が絡んだ所得政策とが矛盾したまま混在して形成されていった。
規模拡大に失敗した農業政策は、では農家の所得をどう増やしたのか。山を一つ越えるだけで気候も作物も異なるだけに、農業は実に多彩な面を持った産業だ。そんな中で、全国の農家の所得を上げて行くには、唯一の共通の作物であるコメを保護するのが最も手っ取り早かった。
唯是教授が語る。
「米麦の価格維持の考えがこうして生まれたのです。本来、価格政策は変動幅を一定の枠に収める目的であるはずなのに、食管制度は価格を上げる方向に働きました。価格が上がれば農家の増産は当然です。片や、コメの消費量は1962年をピークに減少します。62年には一人当たり1年間で約120キログラムの消費が、以降は一途に下がり、今日では60キログラムに落ちています。しかし、食管制度の下では、作れば作る分だけ政府は買い上げてくれた。そして、在庫が積み上がっても、農家は作り続けました」
遂に政府は、69年に第一次減反に踏み切った。だが、73年には世界は異常気象で農作物が不作になる。小麦、大豆を始め、価格は3倍に暴騰、コメの備蓄は減反の結果、50万トンの水準に減少した。
農水省はこれを機会として、減反をやめてしまうのだ。が、その後、再び減反を行うなど、幾度か迷走を繰り返して今、減反率は35%に至る。
こうしてみると、日本の農業はコメに対する不合理なコントロールと保護によって曲げられてきた事が分かる。それは、新規学卒就農者の数を見ても歴然としている。60年には14万人の新規学卒者が就農したが、98年にはその数はわずか2200人、しかも、大半は園芸農家である。米作農家に就いたのは、全体の15%と見られている。どれ程の補助金を与えても、コメ作りは若者を惹き付けていないのだ。
農水省は、95年に悪名高かった食管法を廃止して新食糧法に替えた。コメを作るのも売るのも、農家の自由にはなったはずだ。
が、秋田県大潟村の専業農家の黒瀬正氏は変化はないと言う。黒瀬さんは75年に大潟村に入植し、現在15ヘクタールの稲作を経営している。
「食管制度の下、政府は大規模農家にも小規模農家にも一律に減反を課しました。今、食管制度がなくなって、自由意志で農業が出来るはずが、実質的には変わりません」
現在、コメだけを作っている専業農家は、全農業家数233万戸の内、42万余戸に過ぎない。残りは兼業農家だが、彼らは一律に減反させられてきたと、その政策の非を黒瀬氏は強調するのだ。
どんな小規模農家も一緒に抱え込んで行く仕組みは、農村を地盤にする政治家のみならず、農協にとっても好都合だった。農業人口の数は、そのまま農協の政治力につながるからだ。農協は元々、農家から独占的にコメを集荷し、政府に売り、代金は一括して政府から受け取っていた。農家にコメ代金を配分する際には、彼等に独占的に売った肥料、農機具、米袋、種籾、果ては生活物資の代金まで、確実に口座から引き落として手数料を引いた。農機具や肥料などは国際価格の3割は高いといわれ、代金の回収は間違いないのであるから、こんな楽な商売はない。それを支えたのが食管制度である。同制度が53年間もの間長きに亘って続いたのも、また、新食糧法が施行されたにもかかわらず、実質的に食管法が続いているのも、農協の生き残りがかかっているからであろう。
時代錯誤の愚策
日本のコメ市場に小さな風穴が開けられたのは93年だった。細川内閣の下で、ウルグアイ・ラウンドの結果としてコメの部分自由化が決定された時だ。当時、「一粒たりとも外国のコメは入れない」とする農協の強硬意見は退けられ、日本は関税化の代わりにミニマム・アクセス(最低輸入義務)を受け容れた。義務づけられた最低輸入量は当初計画どおりなら、2000年には85万トンのはずだった。
が、膨大な量の在庫を抱える日本がコメを輸入するのは理に合わず、政府は99年4月に関税化を受け入れた。関税さえ払えば、理屈の上では誰でも自由にコメを輸入できる体制が整ったのだ。
農業問題に詳しい評論家の土門剛氏は、コメも含めて農産物の自由貿易体制が出来上がった今、日本は農業の構造改革に取り組まなければ、米国のみならず、中国や豪州などに、容易に市場を席捲されてしまうと警告する。
「日本の農政は、日本の国内事情にしか目が行っていません。農水省の高木勇樹事務次官が6月に訪中しました。WTOの農業交渉が本格サする前に中国側と意見交換するということでした。彼は中国側に日本の農業は多面的機能を有しており、だから守られなければならないとの点を強調したようです。多面的機能とは、農業は食料の供給だけでなく、国土、環境の保全、良好な景観の形成などの多様な役割を果たしているという意味です。中国が、そんな理由で日本の農業を守る方向で協力してくれるなどと思うとしたら、余りにも楽天的すぎはしないでしょうか」
土門氏は、関税化にシフトしたことは、競争の原理を受け入れたことなのだという点を日本政府も農協も理解していないのではないかと言っているわけだ。
例えば、12月5日、政府自民党は、意欲ある農家40万戸を対象に所得を一定水準にまで補填する農業経営所得安定対策を実施する方針を固め、同対策を2002年度からでも実施したいと発表した。
「時代錯誤も甚だしい。この政策は農民を公務員にするようなもので、かつてのソ連の国営農場のようなものです。こんな愚策を考えざるを得ないのは、政府が食管法で需給を完全に統制し、減反を強制し、逆らう者は法に訴え、その一方で補助金や各種保障で農家の意欲を減退させ、生産の合理化、効率化の努力を妨害してきた結果です」
土門氏は、このような補償こそが農家のやる気をなくさせてしまうと憤るが、岩手県東和町の町長だった小原秀夫氏も同様の指摘をした。
やる気のある農家が本当にやりたいことは力一杯コメを作ることだと指摘した上で、小原氏は語る。
「政府の言うことを守って減反し、クワひとつ取らないでキノコ採りにでも行っていれば、結構、国から金が入ってくるんです。これではやる気のある後継者も農家も育つわけがありません」
百歩譲って考えれば、所得補償は米欧諸国で採用されている政策である。中核的な農家が安心して農業を営み、消費者も低価格で農産物を購入できるメリットはあるかもしれない。しかし、中核農家だけにこの補償を限ることは出来るのか。減反や各種補償金の従来の例をみると、農家全体に対して一律に補填しないという補償はあるのかなど、疑問を抱かざるを得ない。
自民党をはじめとする農林族と農協の思惑は、磁石のように極めて容易に合致する。そこから農業に対する不合理な補助が生まれてきた。新たな補助は、過去の農政の不合理を引きずってはならない。
土門氏が語る。
「日本は今、二つの方法でコメを輸入しています。ひとつは食糧庁が指定商社を通じて輸入する最低輸入義務、もうひとつはSBSといわれる同時売買です。SBSはコメ卸など買い手が輸入業者とペアで入札します。SBSの枠は今年12万トン、中国はこの枠の50%以上を2年連続で確保しています。米国は30%台スレスレです」
中国が米国を凌ぐ強さを発揮しているのは、猛烈な努力がその裏にあるからだという。まず、中国は、日本から「越光」「一目惚」などの原種を持ち帰り、日本の最新鋭の精米ラインを設置した。三井物産や伊藤忠、ニチメンなどの精米工場を手本にして、日本向けに美味しいコメをつくってきた。それを運搬するのは、旧満鉄の線路である。
「中国はコメ輸出が外貨獲得の有効な手段であることをよく知っているのです。中国は内陸地方は食糧難ですが、そんなことはお構いなしに外貨のためにはコメを輸出します。内陸で餓死者が出ようとも我関せず、まさに飢餓輸出です。これ程の気迫で中国は農業構造改革を行い、対日コメ輸出に力を入れている。それにひき較べて日本の生ぬるさはどうでしょうか」
土門氏は、現在の関税率が低くなり、日本が正面から外国産米と競争しなければならなくなるのは10年後だとみる。それまでに、日本は何をなすべきか。
国は口出しするな
「米国や豪州では、1俵3000円や4000円なのに、人を雇って農業経営をしています。日本ではとても出来ないことを彼らがやれるのは、規模が大きいからです。日本も大規模農家を育てていかなければなりません」
兼坂氏は自身の体験に基づいて次のように説明した。
1960年には、日本の米作農家の収量は10アール当たり448キロで世界一を誇っていた。生産者米価は1俵で4162円。
約40年後の99年、日本の農家の収量は10アールで510キロ、米価は1俵1万5528円で、価格は世界一である。だが、米国の農家は10アールで収量700キロ以上、価格は1俵4000円程度だが、味は日本に負けないコメを作り始めているというのだ。
米国も中国も、価格、質ともに日本のコメに負けないコメを生産しているのだ。外国のコメに対抗し、成功するには、個人的には1軒の農家で30ヘクタールはほしいと兼坂氏は言う。裏作もすれば年間1億円の売り上げが見込めるとも述べる。1枚の田を数ヘクタール単位で大きくして、機械をフルに導入し、種も飛行機で蒔く。省力化で越すとも大幅に下げ、人件費に5000万円としても、残り半分は種や機械にかけられるとの計算だ。
「この規模の拡大化を妨げるのが零細農家です。これからの農政は、いかに零細農家の土地を意欲ある専業農家に集約していくかを焦点とすべきです。皆で仲良くという政策から、本気で生き残ろうとしている農家に手を貸すことで日本の農業の立て直しをすべきです」
日本の農業は基本的に二分化していくべきなのだ。大規模農家と自分の楽しみで農業を続ける零細農家である。どちらも大切にしつつも、後者は、個人の趣味の範疇となれば、後者への補助や補填は必要ないのである。
大潟村の黒瀬氏が語る。
「全国の農協をよく見ると、コメへの依存率が高いところほど、経営が苦しい。食管制度で政府にコメを買ってもらい、自助努力をしていないからです。大潟村はコメ取引の会社を最初から別に作りました。従って農協はコメ以外のものを扱っていて、この不景気の世の中で、元気な経営をしています。自主独立がどれほど大事かということです」
唯是教授が断じた。
「農業経営に霞が関の農業を余りよく知らない人が口出しすべきではないのです。一番よく知っている農家に任せるべきです」
政治家が農業を政争の具にし、官僚もまた、農林族と一緒になって農業を食い物にしてきた。票とカネとがより合わさって、日本の農業は、後継者を見つけるのが難しい魅力のない産業となった。消費しきれない備蓄を抱え、拉致された日本人救出に全力を尽くして対処しなければならない北朝鮮に、むざむざと切り札でもあり得る膨大な量のコメを送る羽目にもなった。
こんな状態から脱し、日本を支える農業に立て直すために、国はまず、農業への口出しをやめよ。大規模化の道を切り拓くための、税制や行政措置を一刻も早く、実施せよ。