「 日本の司法が置き去りにした犯罪被害者たちの『悲痛な叫び』 」
『SAPIO』 2000年12月20日号
司法改革が日本を変える 第5回
情報も援助も心のケアもまるで不十分
平成12年度の犯罪白書によれば、犯罪被害者本人と遺族に対する意識アンケートの中で半数以上が判決を軽いと考え、その精神的影響について、殺人と傷害致死事件の遺族は「感情がまひしたようになった」(43・0%)と答えている。犯罪被害者への情報開示やケアがほとんどなく、被害者を置き去りにしているいまの司法の問題点を被害者の視点に立って考える。
アメリカでは30年も前から、さまざまな事件や事故の被害者たちの会が全米規模で作られ、犯罪で身内が殺された遺族、交通事故の被害者や遺族、そしてレイプの被害者や医療過誤の被害者など、ありとあらゆる犯罪被害者たちが各々グループをつくって連帯し、横のつながりのなかで心をケアしあうということが当たり前のように行なわれてきました。
大学をはじめさまざまなコースでカウンセリングの専門家が育成され、学問の分野でも傷ついた人々を社会はどのように受け容れサポートしていけるのかが研究され、スペシャリストを数多く輩出しています。
もちろんアメリカ社会で行なわれているのはそれだけではありません。そうした心のケアの前提として、法による被害者保護が非常に充実しているのです。犯罪被害者を保護する運動は1960年代にイギリスで始まり、70年代中頃にはほとんどすべての欧米諸国が被害者補償制度を導入しました。さらに70年代に入って、今挙げたようなボランティアによる被害者支援運動が活発になり、各国とも都市を追うごとに犯罪被害者保護をよりより充実させる方向に動いています。
一方、日本では81年になってようやく犯罪被害者等給付金支給法という法律が制定されましたが、この法律は犯罪被害者を保護するためにほとんど機能していないのが実状です。
そもそもこの給付金は、補償ではなく、殺人事件の遺族や犯罪によって重い障害を負った人に国が出す“見舞金”と位置づけられています。99年度の支給額は総額約6億4000万円。1人あたりの限度額も決められています。
しかも、その他、見舞金を受け取ったり、労災、自賠責保険などが適用されたり、加害者から賠償されたりした場合には、犯罪被害者給付金は支払われません。すでに支払われていた場合は返済を求められます。
こんなことになるのも日本では被害者への補償は「加害者が負担する」という考え方が基本にあるからですが、平成12年度の犯罪白書によれば、示談状況は3ヶ月を超える傷害では12.5%、死亡では2.9%にすぎません。つまり、多くの被害者は、被害にあってもそれに対する賠償をほとんど受けられないのが現実です。
このように、日本では犯罪被害者に対する金銭面での本当の援助はありません。医療面での補償もありません。心のケアもほとんどありません。これほど犯罪による被害者に冷たい国は、少なくとも先進国のなかでは日本だけです。
被害者になって初めてわかったこと
今年1月、日本で初めて犯罪被害者の会が発足しました。殺人事件や傷害事件、レイプなどさまざまな被害にあった人や遺族たちが会員で、現在、150名を超える会員がいます。代表幹事の岡村勲さんは、弁護士生活40年を超える大ベテランであり、第一東京弁護士会の会長、日弁連の副会長、法制審議会委員も務めた人です。
岡村さんが犯罪被害者の会を結成したのは、自分自身が犯罪被害者の立場に身を置いたことがきっかけでした。
97年10月10日、岡村さんの妻の真苗さんは、自宅の玄関先で男にサバイバルナイフで刺され、殺害されました。犯人は山一證券に対して違法な金を要求し、91年には恐喝未遂で懲役2年、執行猶予4年の判決を受けていた人物で、このとき山一證券の代理人として男の要求を拒否したのが岡村さんでした。もちろん岡村さん側にも山一側にも非はまったくなく、完全な逆恨みです。犯人は宅配業者を装って岡村さんの自宅に侵入し、岡村さんが不在なのを知ると、奥さんに凶刃を向けたのです。
なぜ関係のない妻の命が奪われなければならなかったのか。あまりにも理不尽な事件の後、岡村さんは「どうすれば自分も死ねるんだろうか」とばかり考えていたそうです。そしてそんな自分を支えてくれたのは、「私たちをみなし児にしないで」と訴えた娘さんの言葉だったそうです。
当時の状況や心情を語るとき、冷静な岡村さんが、しばし、呼吸をとめるかのように固く唇をとじました。そうでもしなければ悲しみが溢れ出し、奔流となって岡村さんをとらえてしまうからでしょう。その姿が語っていたものは、理不尽に命を奪われた夫人への限りない愛惜の想いでした。犯罪の理不尽に対する限りない憤りでした。
他人には到底、計りしれない悲しみと愛情と憤りが大きな塊となって被害者や遺族を打ちのめします。この塊を、司法は本来、ほんの少しでもほぐしてくれなければならないのです。犯罪者の罪を暴き、どのようにして犯行が行なわれ、なぜそんなことになったのか、被害者になり代わったつもりで、検察官が明らかにし、犯行がどれ程の悲しみと憤りを被害者にもたらしたかをも、きちんと表明してくれなければならないのです。
少なくとも、それが被害を受けた人々の思いです。でも、岡村さんは、法廷の弁護士席ではなく、被害者として傍聴席に座ったとき、そんなことは求めるべくもないのだと感じたといいます。犯罪被害者がいかに無視されてきたかに初めて気づいたといいます。
「弁護士として法廷に立っていたときには気づかなかった。本当に恥ずかしくて慚愧に堪えません」
と岡村さんは語りました。
結婚したときに「生涯、市井の弁護士で終わる」と奥様に約束したほど、依頼人に対する誠意をもって地道な活動をしてきたのが岡村さんでした。その彼をもってしても、犯罪被害者の置かれた辛い状況に気づかなかったのはなぜでしょうか。
「日本には被害者保護という法律がなく、国家対加害者という法律ばかりです。被害者という言葉自体がどの法律の教科書にも出てきません、どの教授もいいません」
司法修習生の時代にも被害者という言葉に接する機会はなかったというのです。つまり日本では、どんなに良心的な法曹人であっても、被害者に目が向かないような枠組みになっているのです。
その原因は、犯罪を「国家対加害者」という二者の対立構造でとらえる日本の法体系にあります。
「戦争中の拷問の記憶などがこびりついていたんでしょうね。つまり国家は加害者を捕まえて縛り上げ、刑務所に入れる強大な権力を持っている。それに対して加害者は無力だというわけです。そして新しい憲法が人権擁護を掲げたことで、さらに国家対加害者という関係で二極化され、被害者は置き去りにされてしまったのです」
と岡村さんは言います。
日本の法の精神のなかでは、そもそも被害者の存在が顧みられていないのです。憲法には加害者の権利がいくつも書かれていますが、被害者についてはまったく書かれていません。岡村さんによれば、刑事訴訟法もある意味では「加害者保護法」であり、被害者については全く触れられていないそうです。
人権擁護というのならば、まず被害者の人権こそが守られなければならないはずなのに、その部分が完全に抜け落ちています。日本の法律は何のためにあるかと言えば、社会秩序の維持のためなのです。しかし被害者のことも考えないとしたら、一体何のための社会秩序でしょうか。こんな心の通わない法律でよいのでしょうか。
ある種の正義かもしれないけれど、人間に冷たい司法の姿を物語る判例があります。90年2月、ある犯罪被害者が「捜査機関の捜査が不適正だった」などとして損害賠償を求めた裁判で、最高裁が被害者の主張を退け、下した判断です。最高裁は次のように言い渡しました。
『犯罪の捜査及び検察官による公訴権の行使は、専ら国家・社会の秩序維持という公益を図るためのものであって、被害者の被害の回復を目的とするものではないし、告訴は、捜査機関に犯罪捜査の端緒を与え、検察官の職権発動を促すものにすぎず……』
刑事裁判の目的は被害者のためではなく、国家・社会の秩序維持であると最高裁が明言したわけです。日本の司法制度の中では、検察官は被害者のために犯人を追及しているのではなく、あくまでも国家の代表として社会秩序の回復のために追及しているということになります。
そのため被害者は、裁判の場から完全に除外されるのです。しかし、社会を構成するのはひとりひとりの人間です。国家を構成するのはひとりひとりの国民です。生身の人間の集合体である社会や国家の秩序は、人間の心を守ったうえに築かれていなければならないはずです。心や想いを踏みにじった末に築かれる秩序など、意味はありません。誰もそんなものは欲していません。
岡村さんも実情を訴えました。「刑事裁判の当事者とは、裁判所、検察、加害者とその弁護士の3者であり、被害者は部外者に過ぎません。ですから起訴状や冒頭陳述、捜査資料など、基本的な資料は何一つ被害者には渡されないのです。日本の司法は、被害者がどのようにして殺されなくてはならなかったかを、遺族が知る必要などないと考えているとしか思えません」
被害者が裁判の様子を知るには、裁判を傍聴するしか方法がありませんが、裁判の日程は被害者の事情など斟酌しないで決められていきます。また傍聴席で、事件の内容を十分射知ることもとうてい不可能です。
検察と弁護団のやりとりは「甲何号証」「乙何号証」などと呼ばれる証拠書類を引用しながら行なわれます。書証の内容を知らない傍聴者には何のことだかわかりません。目撃者や加害者の供述調書が朗読されるわけでもありませんし、現場写真や実況見聞調書を見ることもできません。
もちろん、傍聴席から発言することは許されません。たとえ加害者が殺害した被害者のことを中傷するような発言をしても、家族には反論する機会が与えられず、ただ悔し涙を流すしかないのです。
被害者より優遇される「加害者の保護」
さらに大きな問題は、犯罪被害者の被害の回復がまったく図られていない、被害者に対する援助が皆無だということです。例えば、被害者の会に岡本真寿美さんという28歳の女性がいます。岡村さんは6年前、22歳の時に男に襲われ、前身に大火傷を負いました。同僚の女性と一緒に食事に出かけた翌日、その同僚につきまとっていた男に因縁をつけられ、いきなりガソリンをかけられ、火をつけられたのです。
火傷は全身の90%に及びました。幸い一命はとりとめましたが、この6年間に23回もの皮膚移植手術を受けなければなりませんでした。加害者に支払い能力がないため、慰謝料はもちろん医療費さえも受け取ることができません。岡本さんの両親のもとには、入院先の病院から毎月100万円もの請求書が届きました。
2ヶ月間役所に通い、事情を説明し、ようやく岡本さんは生活保護を受けられるようになりました。生活保護を受ければ、医療費は無料になるからです。
しかし病院は、生活保護が認められるまでの治療費合わせて465万円分の支払いを岡本さんに求めました。この経緯について、岡本さんはこう話します。「病院に行くたびに払え、払えと言われます。犯人から、一度だけ“私が払います”という手紙が来ましたが、それを病院関係者に見せると、“あなたが刑務所へ取りにいけ”と言われました」
さらに驚いたのは、岡本さんは夏の暑い日でも「クーラーをつけてはいけない」と福祉事務所の担当者から言われたといいます。
岡村弁護士がさらに説明しました。
「生活保護を受けるには、一定以下の生活レベルでなければいけない。だから、かりにお見舞いでクーラーをもらってもつけてはいけないというのです。岡本さんは、皮膚が火傷で全部ダメになってしまっていて、汗の出る場所が背中と膝下しかありません。だから体温が下がらなくて、意識がもうろうとなり、それで病院に担ぎ込まれたこともあります。クーラーがなければ本当に大変なんです」
そこで岡本さんらが「倒れたり、死んだりしたら責任をとってくれるのか」と抗議し、ようやくクーラーの使用を認めてもらったそうです。
同様に、お母さんの車を借りて病院に通うことも「生活の質が高すぎる」という理由で、最初は許されませんでした。皮膚がないために、歩いていると股ずれで出血してしまう岡本さんに対しては酷な話です。岡本さんの事情を担当者らがよく識っていてくれればこんなことは起こらなくて済むのですが、担当者が訪ねてくる時は、岡本さんの事情を知るためというより、「生活の質」を確認するためなのだそうです。しかも、来訪は突然、行なわれるそうです。
「加害者は懲役6年ですから、もう刑期を終えて出てきているはずで、岡本さんは“お礼参り”されるのではないかという恐怖にさらされています。誰が来てもびくびくしている。だから『事前に連絡してほしい』といっても『突然行かないと、どんな質の生活をしているかを確認できない』というのです」
と岡村弁護士が代わって説明しました。
被害者に対するこの冷たく疑り深い扱いとは対照的に、加害者に対する“保護”は行き届いています。98年度には、判決に至るまでの間だけでも食費が約40億円、拘置所での食費17億円のほか、7000万円の被服費と3億3000万円の医療費が使われています。これに国選弁護人の費用46億7000万円を加えれば、ゆうに100億円を超えるお金が加害者のために使われています。
岡本さんにガソリンをかけて火をつけ、返り火を浴びた犯人の火傷は国の費用で治療されました。他方、岡本さんに唯一支払われているのは生活保護費です。しかし、これだって刑務所から出てきた加害者も、生活能力がなければ受けられるのです。肉体と心に深い傷を受け、治療費の支払いに苦しむ被害者。それに比べて、加害者はなんと優遇されているのでしょうか。
これも被害者の会のメンバーのケースです。日立製作所の輸送システム部長だった山田卓美さん(当時47歳)は98年3月12日の夜、横浜市泉区の自宅近くで暴行を受けました。
加害者はいずれも16歳の5人の少年グループです。近くで拾ったモップで頭部を打ちつけ、代わる代わる殴り、バッグを奪って逃走しました。遊ぶ金ほしさの犯行で、もちろん最初から山田さんを狙っていたわけではありません。お金をもっていそうなサラリーマンなら誰でもよかったのです。
頭から血を流しながら自宅に戻った山田さんはすぐに救急車で運ばれましたが、深夜になって意識不明になり、緊急手術を受けましたが、以来、現在まで植物状態が続いています。
院内感染で症状が悪化し、妻の左知子さんは転院先を探しましたが、地元では見つからなかったため、自宅から片道2時間以上もかかる都内の病院に転院しました。しかしそこでも長期入院を嫌がられ、再び転院先を探すことになりました。
山田さんは一級障害者の認定を受けたため、治療費の自己負担はなく、月3万円ほどの備品代だけの負担ですむそうです。しかし、患部から感染症の膿がたまるため個室に入ることを余儀なくされ、看護婦さんも抗菌性の使い捨てのエプロン着で出入りしますから、個室代、エプロン代などが自己負担となり、その金額は月30万円近くなってしまうのです。
家族の頼りは労災保険でしたが、山田さんには労災保険が支給されません。
被害にあった日、山田さんは川崎市にある会社の施設に立ち寄った後、会社の部の歓送迎会に出席。その後、同僚と飲食店で仕事の打ち合わせをすませて帰途につきました。
会社側は山田さんの歓送迎会への出席や打ち合わせは明らかな業務だったとして、労災を適用するよう中央労働基準監督署に申請しましたが、結果は意外にも「不支給」だったのです。
「打ち合わせを行なううえでアルコールを飲むことが本当に必要だったのか」というのが労働省側の理屈です。
犯人の少年たちは家庭裁判所の審判を受け、少年院に入りました。しかし、少年審判は非公開のため、山田さんの奥さんでさえ夫がどのように襲われたのかを知ることができません。
そして愛する夫をこんな姿にした少年たちは、少年院に1年くらいいただけで、被害者家族の知らぬ間に社会復帰してくるのです。
司法の中に被害者の痛手をいやす発想を
現代では、仇討ちや報復は、「野蛮だ」ということで許されません。しかし被害者たちの、人間としての気持ちを無視することは、許されません。仕返しをしていいと言っているのではありません。理不尽な目にあって傷ついている人、愛する人をなくして自分ひとりでは処理できないような痛手を負っている人がいるときに、どういうふうに手当てしてあげられるだろうかということを、司法の精神のなかにきちんと組み込むことが大切なのです。そうした人々をどのような形で法の中で救っていくかという発想をもつことが是非とも必要です。被害者の人権をこそ、まず、守っていくというところから出発するのが、健全な法治社会だと思います。
今年5月に成立した被害者保護法は、被害者や遺族が希望すれば裁判所で意見を陳述できる、優先的に傍聴できるよう配慮する、正当な理由があれば刑事記録を閲覧・コピーできる、などとしています。しかし、これらは被害者保護のささやかな第一歩にすぎません。
法律は、本来、血の通ったものでなければなりません。私たちは法律というと、無味乾燥で四角四面だと思いがちですが、人間の争いごとを裁くのは、最もリアルな、生々しい仕事なのです。人間の気持ちをどこまですくい上げていけるか、いくか。その発想が日本の司法や行政のなかには反映されていないのです。
日本の司法や社会は、ある意味で国民の価値観の反映です。そして価値観は制度の中でますます一定方向に強められ、定着していくということが繰り返されます。戦後の日本は、一言でいえば、他人に対する思いやりを急速になくしてきました。自分さえよければいいという、かぎりない“私”主義になっています。こうした国民の傾向が、犯罪被害者を置き去りにしている根本にあるように思えてなりません。
犯罪被害者の会の設立の趣旨書には、こう記されています。
「犯罪が社会から生まれ、誰もが犯罪者になる可能性がある以上、犯罪被害者に権利を認め、医療と生活への補償や精神的支援など被害回復のための制度を創設することは、国や社会の当然の義務である」
私たちの一人一人が、この言葉に真剣に耳を傾けなければならないと思います。