「“モンゴル人ジェノサイド 実録”」
『週刊新潮』’08年6月19日号
日本ルネッサンス 第317回
モンゴルの研究で知られる宮脇淳子氏の『朝青龍はなぜ強いのか?』(WACBUNKO)に、「モンゴル人が中国人を嫌いな最大の理由」が次のように書かれている。
「清朝を継承したと主張する中華人民共和国が、清朝の領土をすべて回復しようと企んでいる点にある。清朝の支配者は中国人ではなかったし、満州皇帝はモンゴル人の同盟者だった。北のモンゴル国(外モンゴル)は、事実上いまだ中国人に支配されたことはないのだ。中国農民に草原を荒らされたり、中国商人に好き勝手にされるのは、絶対にご免だとモンゴル人は考えている」
モンゴル人の国はいま、中国内に封じ込められた内モンゴル自治区と、外モンゴルと俗称されるモンゴル国に二分されている。内モンゴル自治区に対して、後述するように中国共産党は過酷な弾圧と虐殺を重ねてきた。歴史も捏造してきた。
中国は、チンギス・ハーンのモンゴル帝国を元と呼び、歴史はわずか100年程度の短いもので、明に滅ぼされて消えたと言う。モンゴル人は中国人で王朝を建てた蛮族のひとつにすぎないと位置づけ、元朝消滅後、完全に中国人の支配下に入って今日に至ると見做す(『刀水』2003No7、「モンゴルとは何か?」宮脇淳子)。
モンゴル人らは、そうした中国共産党の主張が歴史の捏造だと識っているのだ。第一、明が元を滅ぼしたといっても、実際はモンゴル帝国のなかの中国人が住んでいたごく一部分が明朝として独立しただけだ。中国を世界の中心に置いて歴史を見る中国人が、明朝の成立イコールモンゴル王朝の消滅としているだけなのだ。モンゴル人の元朝は現在の内モンゴルでその後も続き、後裔もずっと生きて、皆独立していたというのが事実である(『刀水』岡田英弘)。
支配者=中国人という無理
モンゴル研究の専門家である両氏は、チンギス・ハーンの時代には元朝という呼び名さえもなかったと指摘する。チンギス・ハーンは中国には無関係の人物であるにも拘らず、中国の文献は彼の作った王朝を元朝と記す。これこそ中国による歴史のすり替えだと、両氏は批判する。
中国人ではないにも拘らず中国人とされたチンギス・ハーンの末裔たちが、今も無理矢理中国人だとされ、弾圧され続けている現実に強い怒りを抱くのは当然だ。中国共産党が、中国の歴史上、最大の版図を誇った清朝時代の領土奪還を目指すことに強く反発するのも当然だ。なぜなら、それは、モンゴル人を含めた異民族の領土全てが、中国の領土だという前提に立っているからだ。
たしかにモンゴル人は清朝時代、清朝皇帝に仕えた。けれど、清朝皇帝は満州人であり、漢人(中国人)ではない。清朝は漢人をも支配したのであり、モンゴル人から見れば、漢人も自分たちと同じく清朝に支配された民族ということになる。
清朝とモンゴル人の関係をみるとさらに面白いことに気づく。清朝を築いた満州の女直人(女真人)はモンゴル帝国時代、モンゴル人の支配下にあったのだ。すると、清朝は、モンゴル帝国の゛弟分〟だったとも言えるわけだ。事実、宮脇氏は、清朝はモンゴル人の建てた元朝の継承国家だったと指摘する。
中国政府がモンゴル帝国を過小評価し、中国の一部とし、自治区にモンゴル人を閉じ込め、支配し続けるのは歴史の捏造と蛮行以外の何ものでもない。
異民族を中国人と決めつけ、その人々の領土を勝手に奪い中国共産党の支配下に置くのには、非常なる無理がある。無理を押し通すために、中国共産党が採用したのは弾圧だった。中国共産党の弾圧は並ではない。モンゴル人はそれを「ジェノサイド」と呼ぶ。
私の手元にアルタンデレヘイ著、楊海英編訳の『中国共産党によるモンゴル人ジェノサイド 実録』(以下『実録』)という赤い表紙の小冊子がある。静岡大学人文学部「アジア研究プロジェクト」によって刊行された同冊子は、毛沢東、周恩来らが始め、鄧小平の時代を経て今日まで続くモンゴル人虐殺の凄惨な事例を詳細に伝えている。
雲澤ことウラーンフらの指導の下、内モンゴル自治政府が作られたのは1947年5月1日である。同自治政府は中国に抑圧されるウイグルやチベットなど他の異民族同様、烈しい弾圧を受け始める。文化大革命がひとつの大きなきっかけである。というより『実録』は、「毛沢東と中国共産党は内モンゴルから文化大革命を開始した」「北部辺疆に住むモンゴル人たちを粛清して、国境防衛を固めてから、内地の文化大革命に専念」したと記している。
「50種以上」の拷問考案
中国共産党が用いた弾圧の口実は「内モンゴル人民革命党」である。彼らは同革命党を反中国、反社会主義の総本山で、メンバーは修正主義者で反毛沢東思想の輩だと決めつけ、粛清した。1966年7月2日、鄧小平もモンゴル人の指導者、ウラーンフを呼びつけ、厳しく批判した。
反毛沢東、反社会主義の輩を「えぐり出して粛清する」運動は、「謖柾l(ワーソ)」と呼ばれた。『実録』によると、謖柾lによって、内モンゴル人民革命党員とされたのは34万6,653人、当時の内モンゴル自治区のモンゴル人の人口140万人弱の約4分の1に相当する。うち1万6,222人が殺害され、烈しい拷問による障害が残ったのは8万7,188人だったという。しかし、『実録』におさめられた右の数字は、1980年に中国の最高検察院特別検察庁、つまり、中国政府当局が発表したデータで、少な目に見積られている可能性がある。実際の犠牲者はこれよりはるかに多いと、モンゴル人たちは訴える。
中国共産党はまず、ウラーンフの例でわかるようにモンゴル人の指導者と知識人たちを狙った。文字を読める人は殆ど生き残れなかったと言われるほどの粛清が行われた。50種類以上の拷問が考案され、実行された。たとえば、真赤に焼いた棍棒で内臓が見えるまで腹部を焼き、穴をあける。牛皮の鞭に鉄線をつけて殴る。傷口に塩を塗り込み、熱湯をかける。太い鉄線を頭部に巻いて、頭部が破裂するまでペンチで締め上げる。真赤に焼いた鉄のショベルを、縛りあげた人の頭部に押しつけ焼き殺す。『実録』には悪夢にうなされそうな具体例が詰まっている。女性や子どもへの拷問、殺戮の事例も限りがない。中国共産党の所業はまさに悪魔の仕業である。
内モンゴルのモンゴル人が中国共産党の非道なる圧政で未来を奪われているのは明らかだ。親日的なモンゴル人のためにも、日本はアジアの道義大国として中国政府に物を言い続けなければならない。それが中国の圧制に苦しむ諸民族のために日本がなすべき最低限のことである。
日本国憲法の本質は条約-温故知新無効論 米占領軍に消された戦前日本人の直感
日本国憲法の新旧無効論は、いずれも日本国憲法の制定=帝国憲法の改正が帝国憲法に違反している以上、日本国憲法は最高法規として無効であり、帝国憲法が我が国の最高法規である…
トラックバック by 森羅万象を揃える便利屋(大東亜戦争の名著からフィギュアまで) — 2008年06月20日 18:48
【櫻井よしこ 福田首相に申す】日本の地位沈めた言動
■ 福田首相って昔からこういう考えだったんだろうか。
昔はどうでもいいけれど、総理大臣がこういう言動ばかりとっていて大きな問題にならないこの国はどうすればいいんだろうか…
トラックバック by ウスログ — 2008年07月10日 11:22
[…] 【櫻井よしこ】「“モンゴル人ジェノサイド 実録”」 http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2008/06/19/%e3%80%8c%e2%80%9c%e3%83%a2%e3%83%b3%e3%82%b4%e3%83%a… […]
ピンバック by ハダ氏と家族を釈放せよ!中国政府の南モンゴル民族弾圧に世界同時抗議 | 台灣建國應援團 — 2011年01月13日 01:11