「 福島復興を妨げる『1ミリシーベルト神話』 」
『週刊新潮』 2012年12月20日号
日本ルネッサンス 第539回
民主党政治の3年余を問う12月16日の衆議院選挙を目前にして、福島は依然として苦しんでいる。3・11から1年と9ヵ月、福島第一原発(F1)の立地する双葉町、隣の浪江町と富岡町はいずれもまだ大部分が警戒区域であり、一時帰宅は可能だが、誰も住んでいない。大熊町は10日に警戒区域が解除されたが、中心部は依然として立入禁止である。
12月8日、上の4町に加えて楢葉町、広野町、川内村、葛尾村の8町村の議会議長会に招かれ、福島再生について率直な意見交換をしてきた。郡山市の福島県農業総合センターの会場には各自治体の議会の長、多くの議員に一般の人々も集った。
出席者の中には川内村の遠藤雄幸村長もいた。一部に放射線量の高い居住制限区域があるが、同村は全体的に放射線量が低く、今年3月末に村役場の職員60人全員が村に戻り、4月1日から役場はフル稼働だ。
8町村の人々、それに遠藤氏らの話を聞くと、いま、被災地で「1ミリシーベルト神話」が横行し、福島をあらゆる意味で窮地に追い込んでいる実態が見えてくる。「1ミリシーベルト神話」は、民主党のポピュリズム政治の最たるもののひとつであり、原発事故収束・再発防止担当大臣だった細野豪志氏らが、除染の基準値を年間1ミリシーベルト以上にしたときから横行し始めたと言ってよい。
国際放射線防護委員会(ICRP)は年間100ミリシーベルト以下の低線量被曝の人体への健康被害は明らかではないとしつつも、被曝量は出来る限り少ないのがよいとの視点に立って、次のような基準を設けた。
100ミリシーベルト以下の放射線量は健康への影響が認められないが、安全を期して、100ミリシーベルト以下を、影響の認められている100ミリシーベルト以上の範囲の延長と仮定し、出来るだけ被曝量を少なくする。医師や看護師、鉱山労働者、造船技師など職業として放射線を浴びる機会の多い人々には5年間で100ミリシーベルト(年間20ミリシーベルト)以下、または1年で50ミリシーベルト以下という基準を設けている。
細野氏らの責任
一般の人々に対しては、1ミリシーベルト以下を目指すが、緊急時から普通の状態に戻る過程では年間20ミリシーベルト以下を許容範囲とするとなっている。
ちなみに、日本人は平均値で、自然界から年間1・5ミリシーベルトの放射線量を、レントゲン検査やMRI検査などの医療行為で年間4ミリシーベルトを、さらに食物を介して0・5ミリシーベルト、合計6ミリシーベルトを浴びる。
民主党がICRPの基準に従って、年に20ミリシーベルトなら戻って暮らせる、従って20ミリシーベルトを除染の基準値としていれば、もっと多くの住民が故郷に戻っていたと指摘する町村議長の声もあった。他方、会場での質疑応答では「年間1ミリシーベルト以下」に拘り、1ミリシーベルト以上を許容する姿勢は断じて許せないという強い声もあった。というより、そのような意見のほうが断然多かった。
興味深かったのは、声高にその種の意見を述べた町議会議員の、「信じられるのはICRPの意見だけだ。日本政府、日本のメディア、日本の学者の言うことは信じられない」という発言だった。
だが、すでに述べたように、出来るだけ早く1ミリシーベルト以下に戻すべきだが、緊急時からの回復過程では年間20ミリシーベルト以下であれば、許容範囲という基準はICRPの基準である。この町議会議員は明らかにICRPの基準の概要を把握することなく前述の発言に至ったわけだ。直接、住民の健康や暮しに責任を持つ地方自治体の議員であればこそ、ICRPの報告書の重要点くらいは知っていてほしい。だが、政府自体がそうした点を踏まえないのであるから、地方議員を責めるのは酷である。
それにしても、いま、「1ミリシーベルト神話」が一人歩きして、戻れる状況になっている故郷に戻らない人々が大勢いることを考えれば、1ミリシーベルト以下になるまで除染すると発表した細野氏らの責任は極めて大きい。
遠藤村長は、実態を見詰めて冷静に考えることの重要性を強調する。
「新しい政権には多くのことを根本から改善してほしいと思います。川内村は目標値としての1ミリシーベルト以下を掲げながら、5ミリシーベルト以下は戻っても安全だと言っています。けれど、神話は非常に根深く住民の間に定着し、1ミリシーベルトが安全か危険かの限界線ととらえられています。その状況を変えるために、きちんと説明する勇気が必要です」
遠藤村長は、物事を怖れすぎたり、或いは自立心を失ってしまえば、故郷の再生は到底出来ないと断言する。
「政治、行政と住民の関係の見直しが必要だと痛感しています。村に戻って1年が経とうとしています。川内村は線量が低く、戻れる人々はもっといるのですが、思うようには戻ってくれていません」
「自立に向けた心の準備を」
遠藤村長は村民が戻って生活していけるようにと、いち早く村に企業を誘致した。八王子の総合製造業「菊池製作所」は川内村に工場を新設。地元から33人を雇用し、いずれ50人に増やす。ハウスメーカーの四季工房は2人を採用したが、技術指導などを行い、いずれ10人に増やす。12月にはファミリーマートも通常店舗より品揃えを増やして開店した。
働く場所も増え、来年は稲の作付けもする。しかし、人々が戻らない理由のひとつが利便性の味を知ったことだと遠藤村長は語る。
「避難先の郡山市などでは、川内村のときより楽で贅沢な暮しが出来ます。しかし、それは自力で支えているのではなく、東電などの生活支援による生活です。足るを知る次元から、遠くなりつつあると私は感じています。困ったときの行政頼みの傾向が強くなったのも明らかです」
現在、仮設住宅や借り上げ住宅に住んでいる人々には、1人月額10万円が東電から支給され、それは平成26年3月まで続行される予定だ。自宅に戻りたくても戻れない人々には必要な支援だが、戻れる環境が整っても戻らない人々が出てくる背景には、この種の支援があるのも確かだと遠藤村長は語る。
「新政権の援助は住民の自立を促すものにしてほしい。月額1人10万円の援助は、少なくとも、26年3月以降は延長しないことを明確にして、自立に向けた心の準備を促してほしいと思います」
困難でも自立なしには何も再生しない。だからこそ、線量の高い自治体に対しても、必要な援助は行いつつ、前述の放射線量に関するICRPの情報などを正しく理解してもらうことこそ重要である。新政権はいち早くそのことに取り組まなければならない。
最後に遠藤村長が言った。
「問題は山積ですが、それでもいま村には1,160名が戻りました。約4割です」
村長の誇り高い声が心に響いた。