「 皇位継承安定化に必須の学習院再生 」
『週刊新潮』 2023年10月19日号
日本ルネッサンス 第1069回
自民党の萩生田光一政調会長は9月13日の内閣改造時に岸田文雄首相から二つの課題を託された。その二つとは、➀皇位継承策の作業を急ぐ、➁首相任期中に憲法改正発議を目指す、だった(『産経新聞』9月27日)。氏は➀について「この1年、党でそれほど動きがなかったので、私のもとで受け皿を作っていかなければいけないと思っている」と述べている。
昨年1月、岸田政権は、皇位継承を安定化させなければならず、そのために皇族の皆さん方の数を増やす手立てとして、旧宮家の男系男子が養子縁組などで皇籍復帰する、女性皇族が婚姻後も皇室に残るなどの案から成る有識者会議の報告書を国会に提出した。だがそれから2年近く、国会には何の動きもない。そこで首相は、国会に提出された提言の実現を萩生田氏に託したというのだ。
旧皇族の方々が皇籍復帰するとして、その方々には悠仁様のよき友、或いは相談相手になることが期待される。その際に、皇籍復帰した若い方々はどんな心構えを持っているのがよいのか。必要な教育はどんな内容なのか、一体彼らを誰がどこで教育するのかが課題となる。
このような問題意識を持って、10月6日、「言論テレビ」は竹田恒泰氏と評論家の江崎道朗氏を招いて学習院問題を論じた。学習院は江戸時代後期、孝明天皇の時代に皇族の子弟のための学校として発足した。明治、大正、昭和を通して宮内省の直轄学校だったが、敗戦でGHQの大鉈に切り刻まれた。まず皇室から切り離され、学習院は単なる民間の一教育機関となった。それまで皇室の資金で支えられていたのが、他の教育機関同様、文部省(文科省)の予算を貰うようになった。一方、戦後の風潮の中で学習院の教育は左傾化していった。そしていま、学習院はかつての姿をほとんど失い、ただの私立の、それもかなり左傾化した学校となっている。竹田氏が語る。
「なぜ左傾化したか。理由のひとつがGHQの政策です。GHQは日本弱体化には国柄の土台を崩し、日本を精神的に骨抜きにすればよいと考えた。第一の標的が皇室だったのは明らかです。皇族を教育する学習院、皇室及び日本国の歴史の真髄を研究する皇學館大学、國學院大學も同じです」
皇室への冷たい視線
左翼勢力も同様に考えた。結果、学習院や皇學館、國學院などは執拗に攻撃され、左翼系の学者達が入り込んだ。たとえば福島瑞穂氏は学習院女子大の客員教授を11年間も務めた。また、佳子内親王が最初に入られた学習院大の文学部教育学科では一時期、第二外国語は中国語と韓国語しか選べなかった。竹田氏が指摘する。
「戦後、日本の学界はどんどん左傾化しました。かつてはしかし、歴代天皇には立派な教育者がついていました。明治天皇には西郷隆盛、西郷亡きあとは儒学者の元田永孚(ながざね)、昭和天皇には乃木希典大将、上皇陛下には慶應義塾の塾長でいらした小泉信三先生らです。当代きっての教育者が天皇の教育係として重きをなしましたが、今はそれがありません。天皇の教育者もいない。皇族を教育する学習院も今申し上げたような状況です」
私の手元に2001年発刊の小坂部元秀氏の著書『浩宮の感情教育』(飛鳥新社)がある。小坂部氏は今上陛下(浩宮様)が学習院高等科在籍時、2年から3年の2年間、担任教師を務めた。小坂部氏は上皇陛下と同じ年に学習院大学を卒業し、自身の子息も高等科から学習院で学んだ。氏はこう書いている。
「浩宮に担任として接した二年間、私を深くとらえていたのは、天皇家が現代日本の社会で果す役割は、〈擬制〉としてのそれではないかという一点だった。/それは、明治の文学者森鴎外の表現を借りれば、天皇制の神話が現代になお生きている『かのやうに』振舞うことの奇怪さということになる」
小坂部氏は浩宮様の担任を務めた2年間のことをこうも書く。
「浩宮から何かを愬(うった)えられたことも、相談されたこともない。どんな生徒でも普通は二年間担任をしていれば、大なり小なり何らかの心理的な交渉が生ずるものだが、浩宮にはそれがなかった」「私にとって浩宮は、そういう意味では抽象的な存在にとどまっていた」
浩宮様に対する師としてのあたたかい感情は、ここからは全く読みとれない。同書全体が皇室に対する冷たい視線に貫かれている。それは竹田氏の言う学習院における左傾化と通底する。
皇族の人々がこのような学習院で学ぶことを拒否してもおかしくはない。その典型的事例が秋篠宮家の方々であろうか。眞子さん、佳子様はICUに行かれた。悠仁様はお茶の水女子大附属から筑波大附属である。
「皇族の皆さんが学習院に行かなくてはならない理由がなくなってしまっている。それが一番の問題のような気がします」と江崎氏は指摘したが、当たっているのではないか。
「活気のある大学か」
竹田氏も応えた。
「例えばイギリスですと王族が行く学校は最高の人脈が築ける学校だったりする。それを学習院が実現できているか。本当に誰もが憧れて行きたい大学であるか。家柄だけではない。能力があり仕事もできる人や、将来、伸びていく人がワーッと集まってくる、そういう活気のある大学か。全くそうではありませんね。多分、学習院自体が本来の教育目標であった日本人としての教養を身につけさせ、日本を深く理解させることより、もっと普通の学校になっていくという方針を選んだのではないか。結果として、他の学校が絶対に手に入れることのできない伝統や歴史があるのに、その学習院の真の魅力を活かしきれていないのです」
もはや学習院には建学の志はなく、本来の機能も果たし得なくなっている。学習院の再生は可能なのか。以下、竹田氏の指摘に耳を傾けたい。
学習院は日本の国柄の基である皇室の藩屏を教育する機関だった。将来、日本を背負っていく責任感と素養を重視した。そのためには初等、中等教育が最も大切なのだ。
「皇室を知る、天皇を知る、日本を知る、そういう授業を組む。初等科から入って、高校を出たら立派な日本人であり、堂々たる皇室の藩屏だねと、みんなが認めるようなカリキュラムが必要です。もう一つ、学習院には日本研究の核となる皇室関係の貴重な資料をはじめ、膨大な歴史資料があります。日本のことを学ぶのに最適な大学が学習院なのです。そのことを前面に出し、世界中の日本研究者に選ばれる大学になることです。そこに本当に日本を守りたいという気概を持っているご家庭のお子さんが入る。そういう本来あるべき姿に戻すことが、学習院が息を吹き返すための最大の鍵なのです」
学習院の再生は皇室及び日本の安定に欠かせない要素なのだ。