「 気球と無人機で世界を席巻する中国 」
『週刊新潮』 2023年3月2日号
日本ルネッサンス 第1038回
直径60メートル、中国の巨大スパイ気球は南シナ海の海南島で打ち上げられ、太平洋に出てアリューシャン列島、アラスカ、カナダ経由でアメリカ本土の上空に入った。海南島は世界最大規模の水中潜水艦基地や文昌衛星発射センターがあることで知られる。同島の位置する南シナ海は、中国最重要の対米軍事拠点だ。
米軍は2月4日、中国の気球が海上に出たところで撃ち落とした。回収された残骸の分析はこれからだが、情報収集のためのセンサーなど電子機器が積み込まれていたことが明らかにされ、米国はこれをスパイ気球と断定した。
証拠をつきつけられても自分たちの悪事を認めない中国は米国政府の見解に大いに反論した。徐学淵駐米臨時大使は17日、米紙「ワシントン・ポスト」に寄稿して論難した。
気球は「民間」の「気象科学研究用」で「偏西風の影響を受け、自身の制御能力に限りがあるため、誤って米国の領空に入ってしまった」というのだ。また「米国は、中国の民間飛行船をスパイ気球だと公然とけなし」、「米国の安全保障に実質的脅威となっていないにもかかわらず武力を乱用して撃墜」したとも非難した。
政治局委員で中国の対外政策を担う王毅氏も同じ日、ドイツのミュンヘンで開催された安全保障会議に合わせてパキスタンのブット外相と会談し、「ヒステリックなやり方は米国の中国に対する偏見と無知が馬鹿げた水準にあることを示している」と批判した。いかにも傲岸不遜な王毅氏らしい言い草だ。
王毅氏は習近平国家主席に書類を渡すとき、ひざまずいて頭を垂れるそうだ。それ程習氏を怖れ絶対的に服従しているのに、気球は単に民間の気象科学研究用だと主張して大丈夫なのか。私には関係のないことだが、習氏は国家戦略として軍民融合政策を唱えており、王毅氏の主張と習氏の戦略には齟齬がある。習氏は民間も軍も同じ、収集した情報は全て国家のもので、軍が共有すると言っているではないか。
そもそも軍民融合の精神は中国共産党の前々からの考え方だ。1999年のベストセラー、『超限戦 21世紀の「新しい戦争」』(喬良、王湘穂著邦訳は坂井臣之助監修、劉琦訳、共同通信社)にも明確に書きこまれている。
「恐ろしい暗殺者」
同書は年来の戦争の概念を根本から変えることの必要性を説き、政治、経済、文化、情報など全ての分野の枠を取り払い、あらゆる組織の垣根を超えて、戦争に勝利するために全てを活用する、それが超限戦だと述べている。たとえ敵が強大であっても、「非対称の戦法を採用」すれば勝てるとし、「非均衡の原則を正しく把握し運用する」ことで「敵の弱点を見つけ、しっかりと掴むことができる」と説く。習氏の軍民融合戦略は人民解放軍(PLA)の戦い方の基本、中国共産党の本質なのだ。
気球の活用もPLAにとっては常識だと言ってよい。軍の機関誌「解放軍報」には気球の軍事活用について少なからぬ論文が掲載されてきた。2021年12月には「気球、戦場における有用性」として「将来、気球は潜水艦のような恐ろしい暗殺者になる」と書かれている。これが中国の気球の実体である。
気球はわが国にも飛来していた。19年11月に鹿児島県薩摩川内市、20年6月は宮城県仙台市、21年9月は青森県八戸市である。いずれも衛星打ち上げセンターや自衛隊、米軍基地の上空を通過している。海南島から飛び立ってこれら日本各地に到達するには、気球が台湾上空を経由していることを忘れてはならない。
それでも彼らは気球は風に乗って流される、ルートのコントロールはできないと主張する。東京工業大学特任教授の奈良林直氏が彼らの嘘を証明した。今回、中国の気球は10日以上も飛行し、日本の南1600キロメートル付近で急に北に進路を変えてアラスカ方面に向かった。
「中国は地球を取り囲む成層圏の気流の方向や速度を綿密に調査して『地球風マップ』を作成しています。目標地点上空に気球を到達させるにはどこで特定の気流に乗せればよいのか、正確に測りながら操作したと思います」
なぜそんなことができるのか。
「中国の気球は外側の大きな気球と内側のより小さい気球の二重構造になっています。内側の小さい方の気球内にヘリウムガスを充満させておいて、コンプレッサーで外側の気球に送り込むと、容積がふえて上昇します。その反対の作業をすると気球は小さくなって下降します。こうして高度を変えることで、成層圏の目指すべき気流に気球を乗せて目的地に誘導するのです」
だからこそ、偵察気球は米国でICBM(大陸間弾道ミサイル)配備、爆撃機運用、核ミサイル配備、空軍基地、ステルス爆撃機運用、原子力といった軍事的に重要な施設の上空を辿っていけたのだ。
21世紀の戦争
気球は情報衛星よりもはるかに安価だ。ゆっくり浮遊することで衛星では取れない情報も収集できる。中国の得意とする非対称の戦法の一例である。
21世紀の戦争は従来の武器よりも気球や無人機が重要な役割を果たすと見られる。「フォーリン・ポリシー」誌に無人機の専門家、ファイネ・グリーンウッド氏がウクライナ戦争で主役を演じている中国製無人機について論文を発表していた。
中国製無人機は小型で安価、驚く程使い易く、初心者でも扱えるという。暗視カメラや温度センサーの機能もあり、敵の所在を突きとめる。爆弾を運んで敵を殺す。上空から全てを見てとり状況を把握する。このような理由で戦場特派員にとって無人機は取材に必須の道具となっているそうだ。戦争当事国のロシアやウクライナが中国製無人機を欲する理由もよく分かるというものだ。
グリーンウッド氏は戦争開始時点からこれまでに無人機に焦点を絞って調査した結果、戦場で使用された無人機の59%がDJI社製だったと報じている。DJIは中国広東省深圳のドローン製造会社だ。
DJI社は「戦闘用に自社の無人機を売り込むことはしない」との立場でロシアにもウクライナにも売らないことになっている。だが、両国の支援者グループがクリプト(暗号資産)を活用して広く資金を集め、DJIの無人機を購入して双方の国に提供しているのが現実だ。ウクライナ上空で飛び交うDJIの無人機はインターネット上のバイヤー達が提供することで、戦争で大きな役割を果たしている。
気球の活用から無人機販売まで、平時においても有事においても中国は抜け目なく利益を確保している。中国はこんな国だ。私達の直面する最大の脅威国の有り様を肝に銘じて努々(ゆめゆめ)油断してはいけない。