「 安倍総理の死で歴史を書き換えるな 」
『週刊新潮』 2022年10月13日号
日本ルネッサンス 第1019回
NHKの看板番組のひとつ、「クローズアップ現代」(クロ現)が9月14日、「日朝首脳会談20年 元外交官が語る北朝鮮との秘密交渉 その舞台裏」と題して、小泉純一郎首相の訪朝を実現させた田中均アジア大洋州局長の証言を伝えた。
私自身、拉致問題には長年関わってきた。それもあって注意深く見たが、田中氏の発言にもクロ現のまとめ方にも重大な偽りがあると感じた。そこで拉致問題の第一人者、「救う会」会長の西岡力氏、安倍晋三元首相に最も食い込んだ記者、産経新聞編集委員の阿比留瑠比氏と共に「言論テレビ」で田中発言を検証した。
田中氏は2001年9月、アジア大洋州局長に就任、小泉首相の許可を得て、同年秋から02年9月までの1年間、北朝鮮と30回近く交渉した。クロ現は田中氏の構想をこう描いた。
「田中は、拉致問題や核・ミサイル問題、国交正常化、その後の経済協力などをパッケージにして包括的に解決し、朝鮮半島に『大きな平和』を作ろうと呼びかけ続けた」
田中氏が番組内で語っている。
「拉致の問題をクリアしないと、先には行けない。日本からの資金の提供というのも、拉致とか核の問題を解決しないで、進むことはできませんと。だから、その『大きな道筋』を作りたいんだと。これはもう全部パッケージなんだという話を交渉の間ずっとしていました」
私は拉致について20年以上取材してきたが、田中氏や外務省が「拉致、核、ミサイル、国交正常化、経済協力」をひとまとめにして解決を目指し、拉致問題に真剣に取り組んだとはどうしても信じられない。
阿比留氏が語った。
「当時、私は官邸担当で拉致問題を取材していました。小泉さんも福田康夫官房長官も古川貞二郎官房副長官も拉致問題は全く二の次でした。古川さんは記者会見で、小泉さんの訪朝は拉致問題解決のためかと質され、そうではない、まずは国交正常化だと、ハッキリと言いました。小泉さんも自民党議員との夜の会合で、拉致であまり期待されても困ると言っていた。政治家にとって国交正常化はこの上ない外交上の手柄です。外務官僚にとっても同じです」
「めぐみちゃんは生きています」
ちなみに当時、世論も拉致問題には冷たかった。冷たい世論作りの先頭に立ったのが朝日新聞だった。朝日は1999年8月31日の社説で「日朝の国交正常化交渉には、日本人拉致疑惑をはじめ、障害がいくつもある」と書いた。横田早紀江さんら拉致被害者のご家族が、拉致問題は障害だと言うのかと憤ったのは当然だった。
西岡氏は、2002年9月17日、小泉首相が訪朝して北朝鮮外務省が5人生存、8人死亡説を日本側に伝えたときのことを振り返った。拉致問題についての田中氏らの冷淡さが拉致被害者の安否情報の扱いに反映されている。
「何言ってんだと。彼が本気で拉致問題を解決しようと思っているのなら、9月17日の朝、北朝鮮外務省の局長から8人死亡、5人生存のペーパーが出てきたとき、なぜ確認作業をしなかったのか。北朝鮮の言葉を鵜呑みにして横田さんたちに、お亡くなりになりましたと断定形で伝えたのです」
「死亡」を通告された当日、ご家族の記者会見を記憶している人も多いだろう。滋さんが泣き崩れ、皆が8人の死亡を信じそうになった。そのとき、早紀江さんが声を振り絞って言った。
「いつ死んだのかも分からず、めぐみちゃんが死んだなんて信じません。絶対に信じません。めぐみちゃんは生きています」
愛する家族の生死に関する情報でご家族の側に立ったのが安倍氏だったと西岡氏は言う。当時、北朝鮮との交渉は田中氏、福田官房長官、古川官房副長官らが中心になっており、安倍晋三官房副長官は蚊帳の外だった。その安倍氏がこの局面で動いたのだ。
9月18日の朝、安倍さんが、政府の公式の説明会ではないのですが、家族のところに来てくれました。家族みんなが、いつ死んだんですか、死因は何ですかって聞いた。安倍さんは分からない、分からない、と言うのです。安倍さんが、政府は確認していない、と教えてくれた。安倍さんの話で平壌で蓮池さん夫婦、地村さん夫婦、めぐみさんの娘と言われる人に会った外務省の人間がいることが分かった。その人をつかまえて聞いた。すると彼も死亡の確認はしていませんと言ったのです」
田中氏以下外務省の面々、小泉氏も福田氏も誰一人、拉致された日本国民の安否情報を確認しようとさえしなかった。田中氏らの頭を占めていたのは日朝国交正常化だけだった。田中氏らが「拉致」をトップ項目に掲げて解決に向けて努力したというのは真実ではない。他方いま、私たちはめぐみさん達が生きているというより確かな情報を持っている。
「安倍さんが反撃した」
田中発言の次なる嘘は、同年10月15日に日本へ帰国した5人を再び北朝鮮に戻すか否かの動きについてである。田中氏はそれは「政治判断」だと語り、自身は意見は言っていないととれる説明をしている。だが、当時、政府内には5人の処遇について明確な対立があった。
田中氏や福田氏は北朝鮮に「5人の滞在は2週間と約束した」と主張し、北朝鮮に戻すべきだという立場だった。それに対して安倍氏と内閣官房参与だった中山恭子氏らは明確に、日本にとどめるべきだと主張した。
阿比留氏が語る。
「今になって安倍さんが5人の北朝鮮行きに反対しなかったと示唆したり断定したりする発言が出てきています。酷いものです。田中氏が顔を真っ赤にして北朝鮮に返すべきだと言っていたことを私は安倍さんだけでなく、中山参与、谷内(やち)正太郎内閣官房副長官補からも聞いています」
西岡氏も証言する。
「福田さんが北朝鮮に返すと言ったとき、安倍さんが反撃したのです。5人を北に返して、二度と(日本の)家族と会えなくなったら、責任とれるんですかと言ったんだよと、直接安倍さんから電話で聞きました」
クロ現は田中氏の発言のファクトチェックを行って報道すべきだった。田中氏の言わなかったことについての闇も探るべきだ。田中氏は日朝交渉の議事録の最後の2回分を提出していない。日朝首脳会談を実現に導いた交渉の、恐らく山場であったであろう最後の2回、田中氏は北朝鮮側と何を話し、何を譲歩したのか。明らかにする責任があるが、そんな点にはクロ現は全く触れていない。
拉致を国際社会に周知徹底させ、どの政治家よりも拉致問題に力を注いだ安倍氏の功績を無視することでクロ現は一体、何を訴えようとしているのか。政治家安倍氏を貶めることが目的ではないかとの思いが拭えなかった。