「自公連立で力を失った自民党 麻生首相は本来の価値観に戻れ」
『週刊ダイヤモンド』 2009年2月7日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 775
1月25日、大相撲初場所で権太坊主の印象がぬぐえない朝青龍関が優勝した。麻生太郎首相が土俵に上がり内閣総理大臣杯の賞状を授与し、「やっぱり横綱は強くなくちゃ」と加えた。
誰の胸にも、かつて小泉純一郎元首相が貴乃花関に賞状を渡したときの鮮やかな場面が甦ったはずだ。だが、現首相、元首相の言葉の違いは大きい。それは模倣と原作の違いである。
麻生首相の笑顔が冴えず、支持率が低下し続けるのは、麻生政権が“原作”の要素を欠いているのが理由の一つであろう。首相の考えが見えないだけでなく、眼前の問題処理で手一杯の様子である。この問題は、しかし、麻生首相一人の責任ではない。
自民党が支持を失ったのは、本来の価値観を失ってきたからで、衰退はもう何年も続いてきた。特に2000年の自公連立政権樹立以降、自民党は顕著に非自民党化の傾向を強めてきた。
安全保障、憲法改正、教育基本法改正、外国人参政権などの基本的事柄から、今、麻生首相への非難が集中している2兆円の定額給付金問題まで、両党の考えはおよそ正反対だ。価値観を異にするにもかかわらず、その政党の支持なしには、自民党議員は選挙に勝てないと恐れるために、公明党に譲歩してきた。選挙という現世利益を追求するあまり、理念や価値観を後退させてきたのだ。年来の支持者にはきわめて不本意な自民党の姿である。
公平を期すために加えれば、公明党もまた、価値観の異なる自民党との連立で本来の価値観を曲げてきた。これは公明党の支持者にとっても不本意であろう。
政党が価値観を存立基盤とする限り、価値観の異なる政党同士が、選挙を共に戦い一蓮托生の抜き差しならない関係に陥ることは、双方にとって究極の自己否定である。この自己否定に安住してきた結果が、今、自民党が直面する危機なのである。したがって、麻生首相が目指すべきは本来の価値観に戻ることだ。首相は自民党総裁に選ばれた日に吉田茂について語った。祖父への思いは自らの政治的信念につながるのではないか。
吉田は、経済優先で軍事を置き去りにしたことで知られる。しかし、首相辞任後、世界各国の首脳らと会談し、外交と軍事は一体であることを痛感し、軍事力を退けた選択をしたことを悔いている。
米国にオバマ政権が誕生した今、世界は変化を迫られている。変化のなかで、自国の国益と立場を守るには、変化に耐え、変化を超える力を発揮しなければならない。
日本には、変化を活用して世界への指導力さえも発揮できるだけの資質はあるのだ。その資質が埋もれたままなのは、資質を生かし、それを国家の活力の源に変えていくための力、つまり、国家としての意思と機能を欠いているからだ。
一例がソマリア沖の海賊への対処である。自衛隊には海賊に対処する力はある。しかし、憲法九条や集団的自衛権の否定で、その力は絶望的に縛られ、発揮されえない枠組みとなっている。
一方で海賊という国籍不明の犯罪勢力取り締まりに、約20ヵ国が軍艦を派遣ずみだ。中国はすでに二隻の軍艦と一隻の補給艦を出し、台湾の商船を守り始めた。これが、中台外交関係に影響しないはずはない。同様のことが、日本にも起こらない保証はない。
日本の生命線である原油などの輸入の安全性を他国に依存し続けなければならない元凶はむろん九条にある。吉田はそれを嘆いて逝った。麻生首相は、吉田の孫として、そして首相として、事実上の九条改正につながる集団的自衛権の行使を可能にする内閣解釈を打ち出すのがよい。それが、自民党に本来の価値観を取り戻す一つの道である。そうしてこそ、麻生政権、ひいては自民党への支持も甦るだろう。
『国益最前線』サイト完成 (水間政憲) 2009-02-07 12:33:12
『 国益最前線 』サイト完成 ( 水間政憲 ) 2009-02-07 12:33:12
資料本『 国益最前線 』とのタイトルで、過去の論文集を出版する予定でしたが、情報戦に打ち勝つ最善策として「紙」を「 イン…
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