「文民統制、曲解された日本の解釈」
『週刊新潮』’08年12月11日号
日本ルネッサンス 第341回
航空幕僚長の田母神俊雄氏が、民間企業主催の懸賞論文に応募し、世に発表した論文を咎められて更迭され、事実上退職させられた。
田母神氏退職前日の11月2日、『朝日新聞』社説は、「ぞっとする自衛官の暴走」の題を掲げ、田母神氏の主張は「一部の右派言論人らが好んで使う」「実証的データの乏しい」「身勝手な主張」と切り捨てた。
11月8日の社説では「隊員教育の総点検を急げ」と題して、「旧軍の負の遺産とは明確に断ち切られ」た意識教育が必要だと述べた。
12日には、自衛隊を「厳格な文民統制の下に置くこと」が大原則だと強調。防衛大学校の五百旗頭真校長の、「軍人が自らの信念や思い込みに基づいて独自に行動することは……きわめて危険である」との言葉を引用し、「防衛省はなぜ省をあげての調査体制をつくらないのか」と主張した。恰も自衛隊員の思想信条調査を行えと言わんばかりである。
同日の「天声人語」は、「軍隊を文民政治家の指揮下に置く仕組みは、民主国家の原則」として、文民統制の重要性を指摘。東京裁判で文官としてただひとり、極刑に処せられた元首相の広田弘毅について、「軍に抗しきれなかったとされる宰相の悲運は、文民統制なき時代の暗部を伝えてもいる」と書いた。
『朝日』は田母神論文を「実証的データの乏しい」ひどい内容だと非難しながら、自らの主張の実証的データの乏しさ、というより、明確な誤りは気にしないのだろうか。たとえば「軍に抗しきれなかったとされる宰相」広田の悲運のくだりである。支那事変当時、外相広田は、中国に高圧的姿勢をとり、陸軍大臣と歩調を合わせて事変拡大に積極的だった。「軍に抗しきれなかった」と言えるわけではないだろう。
『朝日』をはじめ、世の中は田母神論文への批判頻りである。批判にあたってのキーワードのひとつが文民統制だ。軍人である田母神氏の発言は、文民統制を侵しかねないというわけだ。
ヒトラーも文民統制
しかし、文民統制とは一体何か。日本政府は、「軍事に対する政治的優先または軍事力に対する民主主義的な政治統制」と定義している。そのことは、軍人である田母神氏の考え方や意見を、政府見解にぴったり合わせなければならないという意味か。『朝日』の主張などを見ると、当然、答えは「イエス」であろう。つまり、自衛官は村山談話などに示される政府の歴史観に異を唱えずに従うべきだということになる。そのことは軍人が政府によって、完全に思想も行動も統制されるということだ。いま私は、田母神氏を軍人と書いたが、氏の位置づけは行政官で、基本的に他省庁の公務員と同じである。となれば、公務員はすべて、政府見解のように考え、その枠内で思考しなければならないのだろうか。
そうではないのである。『朝日』は五百旗頭氏の言葉を引用して、軍人が自らの信念などで行動することは極めて危険だと書いたが、軍人こそ考える能力が必要だ。盲目的に、絶対的に時の政府に従うことは、恐らく、日本人が軍の在り方の理想として語る文民統制に必ずしもつながらない。わかり易くするために、敢えて極端な事例を拾ってみる。ヒトラーは堂々たる選挙で選ばれた。ヒトラー総統にドイツ軍は従った。選挙で示された民意を代表するヒトラーが統率したという意味で、これもひとつの文民統制とするなら、文民統制の言葉そのものが民主主義国家の求める軍の理想形であるとは言えないであろう。だからこそ、国際社会には文民統制の考え方について明確な定義がないのではないだろうか。
この点について堀茂氏が語る。氏は、日本でも数少ない文民統制の研究者である。政治と軍、政軍関係を専門とする氏は、日本に文民統制の考えを導入したのは米占領軍だったが、米国でさえもその定義は不明瞭だと、次のように述べた。
「米国で行政改革を行ったフーバー委員会で、1949年に幹事を務め、国防総省にシビリアン・コントロール(CC)を導入したのがエバースタットです。彼は、CCとは『魔法のような言葉で、誰もがそれは何を意味しているか知らない』と書いています。『文明の衝突』で日本にも知られているハンチントンは『CCという概念は、かつて満足に定義されたことがない』と、名著、『軍人と国家』で指摘しています」
堀氏は、CCの考えは第二次世界大戦で質量ともに膨大にふくれ上がった軍にどう対処するのかという次元で考えられた概念であり、元々、民主党のリベラリズムが底流にあったと指摘する。当初から親軍的な発想ではなかったわけだ。
すべてを決する官僚
一旦は日本に対して一切の武力保持を認めないと決めた米国が、冷戦の勃発で日本を再武装させたのは周知のとおりだ。そのときにCCの考えが導入された。日本人が初めて耳にするCCを、通訳は誤って文官統制と訳したという説がある。真偽のほどは明らかではないが、それが日本独自の解釈につながっていった。
「旧内務官僚はここぞとばかりにこの言葉を恣意的に解釈しました。つまり、制服の軍人を統制するのは、背広組の自分たち、即ち官僚であり、国民の代表である政治家ではないという形を作ったのです」と堀氏。
結果として、文官統制の考えが打ち立てられ、今日に至る。たとえば、防衛省においては、防衛大臣と制服組との間に、各省庁の出向組を入れて9名の防衛参事官が介在する。およそすべての決定を彼らが行う。予算、人事、作戦に関する事柄、即ち軍令にもすべて彼らが関与する。防衛参事官としての官僚の決定が大臣を通して三幕の長に命じられる。
自衛隊の事情に詳しい人物は、参事官らの言葉に従わない大臣は任務を果たせないといわれるほど、彼らの力は強いと指摘する。結果として、日本の自衛隊は、その外見とは裏腹に、国際社会に例を見ないほど、官僚が得意とする机上の空論によって縛られている。たとえば、眼前で、敵によって自国部隊や国民に対する攻撃が発生しても、国会の承認がなければ防衛出動は許されず、反撃も出来ないというようなことだ。
堀氏が語る。
「軍を如何に効果的に活用して外敵の侵略を防ぐかというより、軍が暴走して国民の権利を侵害しないように抑制してきたのが日本の文官統制です。軍に対する徹底的な不信が文官統制の基本なのです」
つまり、田母神論文事件を文民統制の次元で考えるのは理に合わないのだ。発言も許さず放逐したのは、村山談話を守り、摩擦を避けたいというだけの理由である。それは村山談話が如何に卑劣な方法で決議されたかを忘れた麻生太郎首相、浜田靖一防衛相の不明を示すもので、それ以上でも以下でもないのである。