「 台湾が危ない、中国の侵略阻止に力を貸せ 」
『週刊新潮』 2019年5月23日号
日本ルネッサンス 第852回
週末、東京・池袋のホテルで、台湾の与党民進党の前行政院長(首相)、頼清徳氏に取材した。一言で言えば爽やかな感じの人物だ。台湾出身の金美齢氏は、「政界一の美男」と評したが、むしろ「穏やかな知性の人」という印象が先に立つ。
頼氏は59歳、元々内科医だった。政界に転じ、立法委員(国会議員)、台南市長を経て2017年9月に蔡英文政権の行政院長に就任、今年1月に職を辞し、来年1月の総統選挙に名乗りを上げた。
心意気やよし。しかし、頼氏の前には、穏やかな知性だけでは到底越えられないハードルが二つある。➀民進党内の選挙で党の候補者に選ばれること、➁本選挙で国民党に勝つこと、である。
まず民進党内の相手候補は現職の蔡総統(62)だ。党内の支持は頼氏優位だが、蔡氏が猛烈に巻き返している。その激しい選挙戦の最中、頼氏は8日から5日間日本に滞在した。森喜朗氏ら元首相3人を手始めに、自民党の要人数十人と会い、政界人脈をアピールした。日本の大手メディアも取材に走り、日本側の関心の高さは台湾でも報じられた。訪日によって、頼氏の選挙運動に弾みがつく可能性もある。
日本にとっても頼氏の台湾総統就任は非常に望ましい。第一に氏は馬英九氏に代表される国民党の政治家のような親中派ではない。むしろ熊本地震の時には、台湾の人々の義援金を抱えていち早く被災地に駆けつけた大変な親日家である。台湾と日本の間には家族のようなつながりがあるとも語る頼氏は後に詳述する蔡氏の少々冷めた対日姿勢とは異なるあたたかさがある。そのような頼氏への日本政界の期待も大きい。
来日の目的について問うた私に、氏は答えた。
「台湾はいま一番大事な時期にあります。中国の脅威はかつてなく深刻です。中国の脅威に押し潰されては台湾は生き残れません。台湾人にとって最も親密な隣国である日本と、中国を含めた国際情勢に関する認識を共有したい。私の訪日目的はそこにあります」
武力行使は放棄しない
習近平主席は今年1月2日、年頭の演説で台湾に、香港と同様の一国二制度を受け入れよ、92年合意(中国と台湾がひとつの国であると互いに認めたとする合意)を認めよと要求したうえで、台湾への武力行使は放棄しないと明言した。中国は05年3月の全国人民代表大会で反国家分裂法を制定済みだ。台湾独立の動きには法に基づいて武力行使するというのだ。
台湾が中国に併合されてしまえば、台湾海峡もバシー海峡も中国の領有する海になる。そのとき日本の安全保障は危機に直面するとの頼氏の指摘は、100%正しい。中国への幻想は一切なく、外見の穏やかさの背後に、厳しい国際情勢についての正確な認識があるのが見てとれる。
台湾情勢を見詰めるとき抱く懸念は、まず第一に、頼氏が表明したような危機意識を台湾の人々が共有しているとは思えないことだ。世論調査は、蔡政権の経済政策への失望から、中国に飲みこまれる恐れがあるにも拘わらず国民党への支持がふえていることを示している。経済が少々悪くてもいまは我慢して、中国に国を奪われないように台湾人の政党を支持しようと考える有権者は、少なくとも現時点では少数派である。
来年1月、万が一、民進党が敗北して国民党が政権を奪還すれば、単なる政権交替に終わらず、事実上の国家の交替となる可能性が高い。台湾人が統治する台湾から、中国人が統治する中国の一省としての台湾へと変わってしまうであろう。
そう断言する理由は、国民党の候補者、たとえば元国民党主席の朱立倫氏も、総統選に名乗りを上げる場合、どの候補者よりも強力だと見られる高雄市長の韓国瑜氏も、台湾の経済成長を押し上げるという理由で中国との平和協定締結に積極的であることだ。
平和協定について頼氏が警告した。
「絶対に受け入れてはなりません。過去の中国の実績を見れば明らかです。チベットは中国と平和協定を結びましたが、チベットには平和も経済発展ももたらされませんでした。逆に彼らは国土を奪われ、ダライ・ラマ法王は亡命しました。中国に苦しめられる悲劇の平和協定には絶対に反対です。一国二制度も同様で、台湾は第二の香港にはなりません」
国民党政権になれば、ほぼ間違いなく中国との平和協定が成立するだろう。頼氏が国民党の政策は台湾を失う危険の道に通ずると警告しても、国民の支持は民進党より国民党に向かっている。
台湾人の国
台湾大手のテレビ局TVBSの世論調査は、いま選挙が行われれば完全に国民党が勝利するという結果をはじき出した。調査では蔡氏は野党国民党のおよそどの候補者にも勝てない。頼氏なら勝てる見込みは少し高くなる。
だが蔡氏は再度総統職に挑戦する構えを崩さない。私は蔡氏に幾度か会ったことがあるが、真面目で純粋な学者タイプだ。韓国の前大統領、朴槿恵氏と少し似ている。まず、中国への信頼感が想像以上に強い。朴氏は政権発足から2年余り、中国を信頼し、中国に頼り、日本にはつれなかった。中国の正体をようやく理解して日本に接近したときにはすでに政権基盤が危うくなっていた。彼女の戦略的失敗は、国内で左派勢力の増長を許してしまった。
蔡氏は中国の要求する92年合意を拒否したところまではよかったが、中国とは摩擦を起こしたくない、話し合いで解決したいという姿勢だった。対中融和姿勢は、民進党の政権なのに、中国人の政党といってよい国民党の幹部を外相、国防相などの重要ポストにつけたことにも表れていた。その後、閣僚は交替させたものの台湾人には納得のいかないことだっただろう。
学者であったがゆえに、熟考することが多く、素早い決断ができず対応が常に後手に回った。経済運営の不器用さに加えて、決断できないことが、国民の支持を失ったもうひとつの理由でもあろうか。敢えていえば、勝ち目のない総統選から蔡氏は身を引く方が台湾のためになるのではないか。いまは己れを捨てて台湾人のための未来作りに集中するときではないかと思えてならない。
頼氏は、自身が選挙に勝てば、台湾独立の言葉は封じつつ、台湾の軍事力を強化し、日米印豪のアジア太平洋戦略に参加したいと述べた。TPPに参加し、福島をはじめとする東北の産品の輸入にも道を開きたいとも語った。
米国はホワイトハウスも議会も台湾支援を明確にした。事実上の民進党支援である。日本も同様に、台湾を台湾人の国とするための支援を打ち出すべきである。強力な官邸主導の台湾支援戦略が必要だ。