「 中国全人代、李克強演説の欺瞞 」
『週刊新潮』 2019年3月21日号
日本ルネッサンス 第844回
3月5日、北京で全国人民代表大会(全人代)が開幕し、李克強首相が政府活動報告を行った。米中貿易戦争の最中に行われた演説で、中国は軍事面で強気の姿勢を打ち出した。国防予算の伸びを、経済成長の目標値よりも高い7.5%、約20兆円とした。日本の防衛費の4倍規模だ。
経済成長では、6~6.5%と低めの目標値を掲げながらも、すべてうまくいったと自画自賛した。中国経済を蝕む最も深刻な要因のひとつが「国進民退」、つまり官業優先と民業圧迫の構造問題だが、李氏は胸を張ってこう言ったのだ。
「経済構造は絶えず最適化された」
「国務院および地方政府の構造改革は順調に実施された」
中国の金融制度ほど危ういものもないが、李氏は「金融運営は総じて安定している」「的確な貧困脱却は強力に推進された」とし、人民の可処分所得は6.5%も増えたと誇った。その上で、国内経済運営は総じて成功なのだが、外部環境が大きく変化し、特に「米国との経済・貿易摩擦がマイナスの影響をもたらした」ゆえに問題が生じたのだと、事実上外部に責任転嫁したのである。
だが李演説の数字は偽りばかりだ。米国との貿易摩擦が負の効果を及ぼしているのは確かだが、それよりずっと前に中国は自らの問題で深刻な苦境に陥っていたのではないか。
日本の企業でも欧米の企業でも、このところ業績見通しの下方修正は珍しくない。各国にとって最大級の貿易相手国である中国経済の激しい落ち込みが要因である。にも拘わらず、李氏は昨年は6.6%の成長を達成したと報告した。これには中国の専門家でさえ、疑問符をつける。人民大学国際通貨研究所副所長の向松祚(こうしょうそ)氏は実際はマイナス成長の可能性さえあると指摘しており、6.6%などあり得ないだろう。
バブルのツケ
中国の統計はおしなべて信用できないのだが、その中でも比較的信用できるといわれる増値税の統計からも中国経済の厳しさが窺える。増値税は日本の消費税に相当し、税率は業種によって多少異なるが、17%だ。年間の税収は日本円で100兆円程のはずだった。ところが昨年秋、これが対前年比でマイナスになった。加えて、自動車などの贅沢品にかけられている特別税においても顕著な税収減が見られた。こちらの税収は前年比でなんと70%も減ったのだ。
中国経済失速の原因を、李首相はじめ中国当局は米国との貿易摩擦に求めようとするが、それは彼らの失敗を隠す方便でしかない。米国との摩擦以前に、中国は二つの大きな問題を抱えてしまっており、実はそちらの方がより深刻な病根だとの指摘がある。
その第一がバブルのツケである。08年にリーマンショックが起きた。世界は震撼したが、そのとき中国は4兆元、当時のレートで約57兆円相当の公共投資中心の経済刺激策を打ち出した。日本のみならず、どの国もこれ程大規模な刺激策を打った体験はない。世界は大いに助かった。
もし、中国が合理的な判断を下せる国であったなら、ここで止めていたはずだが、彼らは経済合理性を無視した。調子に乗ってその後も次々と同規模の投資、敢えていえば投資効率の極めて悪い事実上のバラマキを継続したのだ。
自由経済を軽んじ、官主導、共産党主導の政策を一党独裁政権が推進するのであるから、誰も止めようがない。李首相の今回の演説にも「習近平同志を核心とする党中央」という言葉が繰り返し登場する。“皇帝”となった習近平国家主席の威光をほめたたえなくては李氏の地位も危うい。専制独裁君主の指示の下で、中国はどんどん間違った政策を打ち出し続けた。
それが、政府の公共事業、有益性に欠けるインフラ投資や国有企業の設備投資、実需のないマンション及びビルを含む不動産投資などである。その合計は、中国の固定資産投資統計によると、リーマンショック後から昨年までの10年間で400兆元を軽く超えている。日本円で7175兆円である。
これだけ投資すれば高い経済成長が続くのは当然だ。が、問題は投資資金の殆どが有利子負債、つまり安くない金利の借金で賄われていることだ。
借りたからには元本と利息を返さなければならない。しかし、融資を受けたプロジェクトが、不動産事業であれインフラ事業であれ、どれだけの利益を生み出しているのか。大マンション群を建てたものの、入居者がいないためにゴーストタウンになった街が少なからずあった、との報道を思い出せば十分だろう。
不良債権を抱える中国
リーマンショックへの対策を打ち出す以前の07年と、それから約9年後の16年の投資効率に関する統計を比べると、投資効率は07年の3から16年には6.5になっている。
この数字は「1の成長を実現するのに必要な投資の量」を示すものであるから、07年には3の投資で1の成長が得られたのに、16年には6.5も投入しなければならなくなったということだ。
分かり易くいえば、最初の投資は東名高速や東海道新幹線に対するものであり、元本の回収はすぐに終わり、非常に効率よく利益を生み出す事業だった。しかし、段々と投資効率は落ちて、資金の回収がままならない事業になっていったのが中国の現状である。専門家はいまの中国は、かつての日本と同じような道を歩いているとして、厳しい見方を示す。中国は不良債権の大きな塊りを抱えているのであり、これが中国の直面する第一の問題だ。
第二の問題は先述した「国進民退」である。中国では民営企業が税収の50%、GDPの60%、都市雇用の70%を生み出している。間違いなく経済の主役は彼らである。ところが、富の分配という面から見ると、国有企業が圧倒的に強い。土地資源は国有企業もしくは政府が圧倒的に支配する。約三千の上場企業の資金調達、つまり負債を見れば、上位50社が全体の52%を占めている。その殆どが国有大企業だ。
彼らは優先的に資金を回してもらえるが、その多くがシャドーバンキングに回され、国有大企業はそのサヤで利益を上げているという実態がある。
株式市場の実態も凄まじい。株式取引口座数は2億を下らないが、その0.03%の口座に株式時価総額の70%が掌握されている。これでは民営企業は資本の蓄積などできない。こうした中で起きたのが米国との貿易戦争だ。
現在の中国経済の苦境は米国の圧力が原因なのではない。中国自身の問題で事態が深刻化していたところに、米国の圧力がダメ押しになったというのが正しいだろう。中国経済の本格的な呻吟がこれから始まる。日本への影響も大きい。日本が取り組むべきことは内需の拡大である。