「拉致、国民の憤りが解決の底力」
『週刊新潮』’08年9月25日号
日本ルネッサンス 第330回
去る9月15日、「拉致被害者家族会」「救う会」「拉致議連」の主催する緊急国民集会が、東京・永田町の星陵会館で開かれた。横田めぐみさんの拉致から32年目、増元るみ子さんも市川修一さんも、拉致されて30年がすぎた。
今年6月12日、北京で行われた日朝公式実務者協議で、北朝鮮が拉致問題の再調査と「よど号」乗っ取り犯5人の身柄引き渡しに協力すると約束したことに対し、日本政府は人道物資の搬送に限って万景峰号を含む北朝鮮船舶の入港を認めるなど、経済制裁の一部解除を決定した。その後の協議で、調査委員会立ち上げ時点で、人的往来と航空チャーター便の乗り入れ禁止は解除するが、万景峰号の入港禁止の解除は行わないとして、踏みとどまった。そして、自分の内閣で拉致問題を解決すると明言した福田康夫首相は辞任、北朝鮮は再調査委員会の設置を見送った。
だが福田政権は北朝鮮に譲歩するばかりで、拉致問題に十分取り組んでいないと確信する家族会、救う会、そして拉致議連は、北朝鮮が、再調査委員会を設置すると言っただけで具体的行動はないにも拘らず、日本政府が制裁解除を実行しようとしたことに強く憤っている。
連休の最終日、彼らが開いた緊急集会で、福田政権が入港を許可しようとした万景峰号に関して、重大な情報がもたらされた。
同情報は、救う会会長代行の西岡力氏の取材によるものだ。西岡氏はこれまで少なくとも5回、ソウルで北朝鮮の元工作員、金東赫(キムドンヒヨク)氏(仮名)に接触を重ねてきた。そして金氏が、初めてビデオ取材に応じ、日本人拉致指令は、金日成が出していたと証言したのだ。
氏は1936年ソウル生まれ。朝鮮戦争勃発の翌年、北朝鮮軍に拉致され、特殊訓練を経て、対南工作組織「526軍部隊」に配属された。
だが、金日成が金正日を後継者として擁立する過程を見、金正日が対南工作組織を自分の直属に替えるのを見て、亡命を決意した。
平壌で見た特定失踪者
76年9月、対南工作で巨文島に派遣されたとき、氏は意を決して同僚たちに集団亡命を提案した。だが激しく抵抗され、激闘の末、一人で亡命を決行した。金氏が語る。
「(工作員は)金日成教示(金日成による工作員への指導書)をみな記憶しています」
工作活動のすべての場面で金日成の指導に従って対処するには、膨大な指導書の中身に精通していなければならず、それが工作員の重要資質のひとつだというのだ。その中に、日本人拉致に関する指導があった。
「金日成秘密教示のなかに万景峰号に関するものがあります。『万景峰号は帰国同胞の事業だけでなく、南朝鮮革命と祖国統一推進の事業も展開しなければならない。新潟港に停泊中に、同志たちは革命に有益なことを探し、実行すべきだ。南朝鮮革命に必要な情報の入手や、必要なら日本人を包摂工作し、拉致工作をすることもできる』というものです」
この教示は1969年のものだという。万景峰号が、荷物や人の輸送だけでなく、金日成の指示に従って、日本人の抱き込みや拉致のためにも利用されていたというのだ。
金氏は04年に産経新聞社から『金日成の秘密教示―対日・対南工作、衝撃の新事実』を出版した。同書で金日成の拉致指令について書いているが、今回、本人が初めてビデオ取材に応じて、金日成の拉致指令を語った。日本人拉致は金日成、正日二代にわたる北朝鮮の国家犯罪であり、万景峰号はいわば司令部として活用されていたと、指示を受けた当事者が明言したのである。
金氏は、さらに重要証言を行った。特定失踪者問題調査会の作ったポスター上の数多くの写真のひとつを指して、この人物を平壌曲芸(サーカス)劇場で見掛けたと言うのだ。
75年8月、氏と、氏の担当指導員は車を降りて劇場の玄関まで歩いた。そのとき日産の車が玄関前に直接乗りつけ、後部座席から一人の日本人が降りてきた、それが特定失踪者のひとりだというのだ。その日、氏は指導員から、「日本から入ってきた工作員が今日ここに来るから接触しないように」と言われていたという。
「目が細く、年は自分より5,6歳若く、身長も自分より4、5センチ低いと思いました」
金氏が指さしたのは、75年4月4日に失踪した萩本喜彦さんである。失踪当時35歳、金氏より4歳年下である。身長は165センチ。168センチの金氏より、3センチ低い。金氏が見た人物が萩本さんである可能性は高い。その後、金氏は萩本さんを「2回くらい」「南朝鮮革命史跡館」に行くときに見掛けたと語る。
「その人が金日成軍事政治大学から出てきたのです。大学の入口近くで車がすれちがうことになった。そのとき見た記憶があります」
金氏は゛金日成軍事政治大学〟と語ったが、それは現在の金正日政治軍事大学、北朝鮮工作員養成学校のことである。
拉致問題を忘れるな
特定失踪者問題調査会代表の荒木和博氏が、金氏は萩本さんと会話したわけでなく、氏の情報はあくまで目撃情報だと前置きしたうえで、金氏が萩本さんを見掛けた時期は失踪4ヵ月後であり、調査会ポスターの写真と、金氏が見掛けたときの萩本さんの雰囲気には、大差はないと思われると指摘する。
萩本さんは失踪当時、兵庫県高砂市在住で、製鉄会社の電気保全担当として働いていた。失踪当日は、夜勤のため自宅から自転車で会社に向かう途中だった。
「調査の結果、萩本さんの失踪は自分の意思によるものとは思われません。何らかの事件に巻き込まれたのは間違いない。金氏には、萩本さんの別の写真11枚を見せましたが、金氏は、自分が平壌で見掛けた人物だと確認しました」
金氏は76年の亡命まで北朝鮮の工作員だった。亡命後も30年余り、北朝鮮情報を分析してきた。その知識に基づいて日本人拉致被害者は80人程度になると推測する。
現在、特定失踪者は470人に上る。いずれも日本政府の認めている17人より、はるかに多くの人々が拉致されている可能性を示している。これらの人々全員を救出するにはどうすべきか。
「日本政府だけでなく、市民団体、NGOを動員して、北朝鮮を人権問題で国際社会に訴え、追い詰めていかなければならないと思います」と金氏は強調する。何よりも、日本国民が拉致問題に対する怒りを忘れてはならないというのだ。
国民集会は、拉致されている肉親に、家族の皆さん一人一人が呼びかけて、幕を閉じた。同ビデオは北朝鮮に向けて発信される。肉親を思う家族の訴えを、政府当事者、国会議員の全員に聞かせたいと思う。