「 「自分ファースト」に映る小池都知事 言葉に信を置けない同氏の実行力を注視 」
『週刊ダイヤモンド』 2017年6月3日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1184
飯島勲氏といえば長年小泉純一郎元首相に仕えた人物として名高い。
小池百合子氏といえば、政党を渡り歩き、多くの政界実力者に接近してきたことで名高い。都知事就任以降の氏は、敵を作って対立構造に仕立て、相手を悪者、自身を改革の旗手と位置づけて、高い支持率を保つ。
次から次へと敵を作り出してはケンカを売り続ける小池氏の手法は、ケンカ上手の小泉氏を師として学んだものか。私は或る日、飯島氏にそのように尋ねた。すると、強い調子で飯島氏が反論した。
「とんでもない。全く似ていません。正反対です」
間髪を入れない勢いと声音の強さに私は驚いた。氏はさらに強調した。
「政(まつりごと)においては誰もが納得する公平さが大事なんです。争点が深刻な時ほど、目配りが必要になる。私が小泉首相にお仕えした時には、どんなことでも、必ず、対立相手の意見も本人に聞かせるようにしました。そうすることで、何かが見えてくる。そこが大事なんです。でも、小池さんは、そうじゃないでしょ」
小池氏の唱えるスローガン、「都民ファースト」は、実は「自分ファースト」ではないかと私は感じている。調査によっては、70%という高い支持率にも私は違和感を抱いている。氏の行動を見詰めれば見詰める程、氏の言動への拒否感は強くなる。
今年4月1日、氏は東京都東村山市の国立ハンセン病療養所「多磨全生園(ぜんしょうえん)」を訪れた。多くのテレビカメラの前で、氏はハンセン病患者の方と握手し、納骨堂で献花し、手を合わせた。鮮やかなブルーのパンツスーツ姿の小池氏は格好の報道素材となり、事実、メディアは大いに報じた。
長年社会の一隅に追いやられ、辛い日々をすごしてきた方々に思いを致し、救済の施策を進めることは、政治家の責任であり、美しい行動である。
「いまだに残るハンセン病への差別や偏見をどのように無くすのか。国立施設ではあるが、都として解消に努めたい」と小池氏は述べた。
立派である。その決意は是非実行してほしい。全生園で暮らしている人々は180人で、平均年齢は85歳近い。施策は急がねばなるまい。小池氏はどんな指示を出したのか。
ここで思い出すのは氏が環境大臣だったときのことだ。水俣病が公式に確認されて50年を迎えたにもかかわらず、救済されずにいわば放置されている患者は、当時少なくなかった。そこで小池氏は柳田邦男、屋山太郎、加藤タケ子各氏ら錚々たる10人の委員を選んで私的懇談会を設置した。
柳田氏らは1年4カ月をかけて、水俣病患者らの声に耳を傾け、現地を訪れて調査し、2006年9月19日、提言書を提出した。60ページを超える提言書は、国民の命を守る「行政倫理」の確立と遵守を迫り、眼前で水俣病に苦しむ人々を患者として認定する基準の緩和を求めていた。患者救済が進まない最大の障害は、環境省がまだ庁だった時代に設定した認定基準だった。2つ以上の症状がなければならないとする基準を1つでもよいとすべきだと、柳田氏や屋山氏は主張した。
結論からいえば、小池氏は自らが設けた私的懇談会の提言を無視した。彼女は、柳田氏らの調査が進行中の06年3月16日、参議院環境委員会で「(水俣病患者か否かの)判断条件の見直しということについては考えていない、この点をもう一度明らかにしておきたいと思います」と答弁している。
錚々たる人々を招集し、水俣病患者救済に取り組む姿勢をアピールしたが、行動は伴わなかったのだ。
だから私は、小池氏の言葉に信を置かない。あくまでも行動を見たい。5月下旬の現在、彼女は全生園で語ったことに関して何の指示も出していない。