「 まだ十分に報じられていない小沢氏のメディア批判とその意味合いの重要性 」
『週刊ダイヤモンド』 2007年11月17日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 715
小沢一郎民主党代表が11月2日の辞任記者会見で語った内容のなかで、まだ十分に報じられていないのがメディア批判だ。非常に深刻な意味を持つこの問題提起は次のような内容だった。
「新聞・テレビの報道は明らかに報道機関の域を大きく逸脱している」「事実無根の報道が氾濫している」「ほとんどの報道機関が政府・自民党の情報を垂れ流し、自らその世論操作の一翼を担っている」
氏は、党首会談も大連立も小沢氏が持ちかけたと報道されたが、それは「事実無根」だと断罪したのだ。対して、「『大連立』小沢氏が提案」と4日の朝刊一面トップで報じた「読売新聞」は、5日の紙面に「自ら事実を語れ」との見出しを掲げて反論。
両党首が語り合った大連立は、民主党の反発で、一応はついえた。だが、万が一実現していれば、政治の大転換をもたらす結果になっていたはずだ。
第一点として、小選挙区制になって以来、二大政党制の形が朧げながら見えてきた政界と政党の在り方が、一気に20年前に逆戻りする。基本的に一党の力だけで国会を動かすことの出来る大政党の再現である。同じ党のなかに、国家の基本問題である外交や安全保障に関して正反対の考えが混在する結果、党の政策よりは、さまざまな信条を持つ個々の政治家の考え方が注目される、まさしくかつての自民党への逆戻りだ。そのとき選挙制度は間違いなく中選挙区制に戻り、派閥と金権政治も復活する。
このような意味合いを持つ大連立構想は、では、誰の仕掛けなのか。
名前が取り沙汰されているのが『読売新聞』主筆、渡辺恒雄氏である。『読売』は、今年の参議院での自民党大敗北後の8月16日、社説で「国政の危機的状況を回避する」ためには「民主党にも政権責任を分担してもらうしかない」「大連立政権である」と主張した。また「自民党は、党利を超えて、民主党に参加を呼びかけてみてはどうか」として、自民党に働きかけを促した。
「読売」の代表取締役会長・主筆として現在も社説の内容に影響力を持つ渡辺氏は、自民党を「わが党」と呼ぶことがある。
また氏は、日頃から大連立構想を支持してきたことで知られる。その先に氏が描くのは中選挙区制である。その渡辺氏が福田氏らに働きかけて実現したのが一連の党首会談であり、大連立構想であるとの分析は、遠からず当たっていると考えてよい。
こうしたことは、しかし、すべて氏の価値観であり、その是非を論評するつもりはない。だが、「読売」の最高実力者が、公器としての新聞「読売」についてどのように考えているかを知れば、強い違和感と疑問を抱く。
今年8月10日の『北京週報』の記事を、その日本語版から見てみよう。氏は、日本の首相の靖国神社参拝について「今後誰が首相となるかを問わず、いずれも靖国神社を参拝しないことを約束しなければならず、これは最も重要な原則である」と語り、さらに、誰が首相になるにしても、新首相が靖国神社を参拝しないと約束しなければ、「私は発行部数1,000数万部の『読売新聞』の力でそれを倒す」とも述べている。
社会の公器としての新聞の使命の第一は、事実に基づいて情報を報ずることだ。正しい事実関係の報道こそが新聞の最重要の使命だ。
しかし、渡辺氏の『北京週報』での発言は、氏が「読売」を公正公平な事実を伝えるための手段としてよりも、氏の主張を押し通すための手段と見なしていることを示す。
小沢氏の問題提起を掘り下げていけば、このようなメディアの実態が見え隠れする。報道は、社会全体の知的能力を左右するほどの力を持つ。種々の分野でかげりを見せる日本にとって、メディアの立て直しこそ、実は最も重要な課題の一つであろう。