「 軍事最優先、不変の中国戦略 」
『週刊新潮』'07年11 月1日号
日本ルネッサンス 第286回
10月21日、注目の中国共産党第17回大会が終了した。胡錦濤国家主席は政治報告で「民主」という言葉を約60回も繰り返した。日本でいえば内閣に相当する政治局常務委員会は、9人体制で上位5人が留任、下位4人が新任の構成だ。新任4人の内、2人が第五世代と呼ばれる習近平氏(54)と李克強氏(52)である。
13億人の国のトップ9名、そこに名を連ねた50代の2人の内いずれかが、5年後の党大会で胡主席の後継者となる可能性も高い。彼らはどんな人物なのか。中国は、胡報告にあったように゛民主的な国〟になり得るのか。
李、習両氏についてはすでにさまざまな報道がなされてきた。興味深かったのが『文藝春秋』11月号の富坂聰氏の記事だ。政治局常務委員最年少でポスト胡錦濤に最も近いと見られる李克強氏について、富坂氏は「特徴がなく印象が薄い」点も胡主席に似ていると書く。
李克強氏は幹部予備軍の共産党青年団のなかで出世し、胡主席が共青団のトップである第一書記になったときに次世代幹部養成の列に加えられ、やがて彼も共青団の第一書記に就任した。この出世のし方も胡主席とウリ二つだというのだ。その後、李氏は99年に43歳の若さで河南省長に、04年には遼寧省党委員会書記となった。河南省は農業大省、遼寧省は工業大省と呼ばれる。国の未来を支える農業と工業の主たる担い手である両省の統治を任されたのは、国家を担う帝王学のためだったとも解釈されている。
こうしてみると、エリートコースを歩んだ秀才官僚のイメージも生まれるが、李氏は実は大学入学前に労働者として働いていた。北京大学入学は23歳のときだ。
一方の習近平氏は元副総理の息子であるため、党幹部らエリート層の子弟らがつくる゛太子党の代表格〟などという紹介が目立つ。だが、彼はそうした二世グループとは距離を置いてきた。また、父親が文化大革命を通して徹底的に批判され迫害される姿を10代の少年として見続けてきたことを知っておくべきだと富坂氏は指摘する。
胡錦濤体制は確立したか
文化大革命が毛沢東の死によって終わった後、多くの失脚した幹部及びその家族の名誉回復と復活がはかられた。習氏にもチャンスはあったが、彼は北京に戻らずに、僻地への赴任を望んだ。10年前に中央委員に抜擢されたが、それでも年の3分の1を地方視察に費やしてきた。
習氏も、大学入学前に農場労働者として働いており、職場の推薦を受けて精華大学に入学した。その行政手腕は高く評価されており、今年3月に上海市党委員会書記だった実力者、陳良宇が汚職で摘発されると、およそ誰の予想も裏切ってその後任に選ばれた。
李、習両氏ともに、単なるエリートでも苦労知らずの秀才でもないのだ。この二人を選んだ胡錦濤体制は、どこまでが真の胡錦濤体制なのか。江沢民前政権の影響は残っているのか。新体制の下、対日政策にどのような影響が出るのか。
中国は紛れもなく軍事大国を目指してきた国だ。これからもその路線に変化はない。中国共産党は、政治も外交も、全て軍事力によってこそ支えられると、毛沢東の建国の時から固く信じてきた。だからこそ中国共産党指導者にとって、軍部との関係は死活的に重要な要素なのだ。その党と軍の視点から見ると、2期目に入った胡政権の基盤は゛ようやく固まった〟ところだと、中国研究の第一人者、平松茂雄氏は分析する。
「最低限の認知を得たという印象です。胡主席に限らず、中央軍事委員会主席に就任してまず行うのは軍への初動巡視、各部隊の視察です。江沢民の場合、鄧小平が劉華清、遅浩田らを動員して、7大軍区をはじめ各軍部隊への江沢民の視察を準備させた。対照的に胡主席は、軍への視察も接触も少ないのが目立ちます」
継承される軍拡主義
江沢民氏は1989年6月の天安門事件で強硬な弾圧策を実施、鄧小平にその点を評価されて党総書記及び軍事委員会主席となった。国家主席に就任するのは4年後の93年である。江氏は国家主席に就任する前、軍事委員会主席になって1年以内に、7大軍区の全ての視察を終え、93年の国家主席就任までに実に90回以上も全国各地の部隊を視察し、重要な軍事会議や軍事活動に参加したというのだ。
「軍事予算も江沢民の下で5年で倍増と急激に増えていきました。軍部における江沢民への支持は非常に強い。江沢民の隠れた影響力を過小評価するのは危険です。なんといっても中国共産党の建国以来、約60年の歴史のなかで、14年間、約4分の1を江沢民が支配してきたのです。毛沢東の死亡によって、鄧小平の現実路線が主流となってきた過去約30年間で考えれば、半分近くが゛江沢民の時代〟なのです。江沢民の地盤である上海で、彼の子飼いの幹部が逮捕され失脚した。その結果、影響力を落としているのは事実ですが、今回の人事を見ても、江の影響力が一掃されたわけではないことがわかります」と平松氏。
だが、中国の政治はモザイク模様だ。中国共産党の党規約は、これまで最高指導者が引退する間際に、その人物の指導理念を書き込む形をとってきた。しかし今回は、これから更に5年間、国家主席を務める胡錦濤氏の「科学的発展論」を党規約として掲げた。内容は、経済成長だけを追求するのではなく、環境、格差などに象徴される経済の歪みを正し、持続可能な成長を目指すというもので、経済成長至上主義を採った江沢民路線の否定ともいえる。
軍との関係でいえば、必ずしも揺るがぬ指導体制を確立したわけではないと見られる胡主席が、江前主席の理念に挑戦出来るのはなぜか。ひとつは胡主席への国民世論の支持の高さがある。
上海市を舞台に繰り広げられた汚職と腐敗への挑戦、陳良宇という高級幹部の粛清がきっかけとなって、特徴がなく、国民へのアピールも得意ではなかった胡主席への支持が急速に高まったというのだ。一党支配の中国共産党さえ無視出来ない国民世論の強い後押しが胡錦濤体制の確立を支えたと富坂氏は見る。
もうひとつの理由は゛軍が大人になった〟ことだと、平松氏は言う。胡主席が基本的に江前主席の軍事政策を継承し、軍事費の削減などに手をつけない限り、軍は江氏支持から胡氏支持へと立場を変えて支え続けるであろうし、胡氏もまた、軍を怒らせるような政策は採用しないというのだ。
李、習両氏ら50代の若き指導者が出現し、胡主席が調和ある発展を唱えても、日本から見れば、中国の勢力拡大の膨張主義も軍事的脅威も変わらないのである。