「 第二の国鉄、社保庁改革を急げ 」
週刊『週刊新潮』 2007年6月14日号
日本ルネッサンス 第267回
かつて、旧国鉄の職員らは、昼食時に80分の休憩をとった。夏の暑い日には60分の昼寝をした。日々、30分の入浴をした。
彼らはこれら全てを勤務時間内に行っていた。勤務時間を仕事もせずに過ごしながら、彼らは残業と称して職場に残った。1時間の残業でも、超過勤務手当は一律8時間分が支払われ、加えて翌日の午前中も休みとして与えられた。
「国鉄労使『国賊論』」(『文藝春秋』1982年4月号)を書いて、旧国鉄の問題点を抉り出した屋山太郎氏が語る。
「こんなふざけた勤務が罷り通っていたのがかつての国鉄です。世間の常識からかけ離れたこうした慣行は国鉄労使が結んでいたヤミ協定によるものです。旧国鉄が現在のJRに生まれ変わったとき、この種のヤミ協定はもうなくなったかと思っていましたが、社会保険庁にそっくりそのまま、存続していたのです」
5,000万件を超える年金保険料の支払い記録が一体誰のものかわからないという問題は、旧国鉄と同質の、ひたすら仕事をしない社会保険庁の度し難い体質から生じた問題だ。柳澤伯夫厚労相は4日、来年5月までの1年間で確認出来ない納付記録の全てを精査、照合すると発表した。安倍晋三首相の強い意向を反映したものである。だが年金問題はそれで終わるわけではない。旧国鉄とよく似た体質の社保庁の暗部を抉り出し、根本から組織を作り直さなければ、問題は確実に残るだろう。
旧国鉄と社保庁、両者の共通点のひとつは、全員が働かないための仕組が作られ、それが罷り通ったことだ。社保庁と、社保庁職員を組合員として擁する自治労との間には、さまざまな確認事項が合意され覚書が結ばれている。屋山氏が指摘した。
「窓口勤務は45分たつと15分休憩するなどという取り決めもあります。人への応対や、問い合わせに基づいてコンピュータを操作することが重い負担になるということなのでしょう。元々彼らは、社保庁改革にも合理化にも反対でした。社保庁がコンピュータを導入して、オンライン化を進めるには、職員の労働負担がふえないことを保証する内容の覚書を交わさなければならなかったのです。普通の職場では考えられないこの種の協定がなぜ成立するのか、人事体制を見ればわかります」
驚くべき天下り退職金
社保庁の人事は三層構造になっている。まず、トップの長官は厚労省のキャリア官僚が手にしてきた。現在は小泉純一郎前首相が04年7月に送り込んだ民間出身、損保ジャパン副社長だった村瀬清司氏だが、後述のように、長官ポストは厚労官僚にとって退官後の豊かな収入を担保する天下り人生のとば口となってきた。
長官の下には、社保庁採用の職員がつく。彼らは東京本庁採用組と地方局採用組に二分され、前者と後者の間に人事交流はない。
さらにその下に、県単位で採用される社会保険事務所の職員がいる。
人事交流のない現場では、社会の常識からかけ離れた非常識の世界が作られ、その中で職員たちは思いきり、楽で怠惰な勤務を続けていたということだ。
長官は、各地方毎、地域毎に存在する社会保険事務所を統合する立場だが、隅々にまでは目は届かない。というより、歴代長官には部下たちの働き振りをチェックするなどという気は、恐らく、なかったであろう。長官就任で彼らがまず考えたことは、任期を無事に勤め上げることだと思われる。そのためには、現場と妥協する。妥協とは、現場で横行する゛働かない仕組〟を黙認することに他ならない。
長官ポストを巧くこなせば、その後に待ち受けている人生がどれ程、旨味のあるものか。屋山氏が語った。
「これは民主党が6月1日の衆院内閣委員会で明らかにしたケースですが、たとえば1985年から1年間、長官を務めた正木馨氏です。氏は86年に退官し、このあと我々民間人には信じがたい天下り人生をすごしています。まず、全国社会保険協会連合会副理事長に天下り、次に社会保険診療報酬支払基金理事長に天下りました。さらに医薬品副作用被害救済・研究振興調査機構理事長に天下り、4つ目の天下り先は社会保険健康事業財団理事長職でした。この間、氏は報酬、退職金を含めて約2億9,000万円を受けとっています」
天下ることによって、官僚たちは民間人の生涯賃金を優に超えるほどの収入をいとも易々と手にするのだ。この甘い生活がわかっているからこそ、社保庁長官職に就いたとき、国民の視点に立って社保庁職員の怠慢や不正を糾すよりも、如何にして波風を立てず、巧く退官していくかを考えるようになるのだ。
背信の゛元凶〟は誰か
こうしてみると、現在の年金問題の責任は、歴代の社保庁長官と社保庁職員の全員にある。まず、歴代長官のほぼ全員が、国民のために年金制度を健全に運用する責任を全く果たしてこなかった。正木氏に限らず、彼らの連続天下りの醜悪なる華麗さが示すのは、彼らが追い求めたのが、ひたすら自己の豊かさと安寧な暮らしにすぎなかったということだ。社保庁長官たる資格など、全くない人々なのである。
社保庁の職員にも大きな責任がある。彼ら一人ひとりが仕事をしないことを常態とする職場を作り上げてきた。45分間働いたら15分間休憩するような職場に甘んじてきた、その弛緩した精神こそ度し難い。ここで思い出すのは大阪市の事例だ。市の職員がさまざまなヤミ協定の恩恵にあずかり、その中には背広の現物支給まであった。具体的な手法こそ異なるが、社保庁職員も、それに見合うだけの働きをすることなく、国民の年金資金で自らが潤ってきたという点では同じである。
彼らを束ねる自治労の、国民に対する背信的な姿勢もまた、厳しく論難されなければならない。
政界ではいま、自民、民主両党が互いを責め合っているが、国民の視点に立てば、自民党は政権与党として、また民主党は自治労に依拠する政党として、双方に責任がある。だからこそ、両党間の論戦に求めたいのは、互いへの非難の応酬よりも、問題解決につながる議論である。5,000万件余の宙に浮いた納付記録の確認を、どのように実行するか。その具体策に知恵を絞ると共に、もうひとつ、重要なのが、社保庁の根本的な改革を進めることである。
JR東海会長の葛西敬之氏は、『未完の「国鉄改革」』(東洋経済新報社)のなかで、民営化の意義は、一人ひとりが「真実を真実として発言できるようになったこと、また発言しなければならなくなったこと」と書いている。社保庁職員を、非常識の世界から常識の世界へと引き戻すためにも、一日も早い民営化、民間の知恵の導入が必要である。