「 三権分立を放棄するのか最高裁 」
週刊『週刊新潮』 2007年5月3・10日号
日本ルネッサンス 第262回
民主主義の根幹は三権分立にある。立法、行政、司法の三権が各々独立し、相互にチェックし合うことで初めて健全な国家運営が可能になる。こんなことは常識のはずだ。
だが、3月27日の最高裁第3小法廷で藤田宙靖(ふじたときやす)裁判長らが下した判断は、司法が政治を慮り、その影響を受けたのか、或いは特定のイデオロギーに染まったのかと疑わざるを得ないものだった。
最高裁判断は、京都市左京区の中国人留学生寮、光華寮を巡る訴えに対して示された。光華寮は1961年に台湾の中華民国政府が所有権を登記し、台湾学生たちの寮とした。そこになぜか、大陸系の中国人学生が入居。台湾政府は67年9月6日、彼らに寮の明け渡しを求めて京都地裁に提訴した。
他方、日本国政府は72年に大陸の中華人民共和国と国交を樹立し、台湾との国交を断絶した。
京都地裁は先の訴訟に関して、77年、光華寮の所有権は台湾から中華人民共和国に移転されたとの判断を示した。敗訴した台湾側は控訴し、大阪高裁は台湾の主張を認めて審理を京都地裁に差し戻した。その結果、京都地裁は、逆転判決で台湾の所有権を認め、大阪高裁も87年、同様に台湾の所有権を認めた。ところが、光華寮に定住した大陸系の中国人寮生が同件を最高裁に上告したのだ。これが87年、今から20年も前のことだ。以来、最高裁は光華寮問題を塩漬けにしてきた。事態が突然、動き始めたのは今年1月22日だった。
民主党衆議院議員の長島昭久氏は、この事案には極めて不透明な要素がつきまとうと指摘した。
「調査してみると、20年間放置された事自体、他に例がないのです。上告審は現在、平均数カ月で判断が示されますから、20年間の塩漬けが如何に異常かがわかります。にもかかわらず、今年1月22日に突然、審理が開始されたと思ったら、中国側、台湾側の双方に、3月9日までに各々の立場を釈明せよというのです。この裁判についての人々の記憶が消え去るほど長く放置したあと、わずかひと月半で釈明せよと命じる性急さ。裏にどんな事情があるのか、司法は納得のいく説明をしなければならないはずです」
最高裁の不可思議な態度
台北駐日経済文化代表処の許世楷代表も指摘する。
「突如、最高裁の審理が始まり、ひと月半で裁判所の質問に答えよという命令です。20年の間に担当弁護士は80代90代の高齢になりました。書類を精査する時間もいります。そこで私たちは回答期限の延長を求めましたが、却下されました。そして、3月27日、最高裁はこれまでの判決を覆し、台湾には光華寮の所有権はないとしたのです。余りに政治的な判断ではないでしょうか」
長島氏も指摘する。
「1月22日に最高裁が動き出した途端、25日には中国外務省副報道局長の姜瑜氏が定例記者会見で、光華寮事件は民事訴訟ではなく政治案件だと発言したのです。3月27日に最高裁判決が出ると、直後に中国の国営新華社通信が至急電で『日本の最高裁判断は、台湾当局は訴訟権を持たないと認定し、事件を一審の京都地裁に差し戻した』と高らかに勝利宣言を行いました。
また、今回の判決はまさに中国側の訴訟代理人の回答書の理屈そのものによって成り立っています」
訴訟当事者の一方の側の論理を重用したからといって、判決が偏っているとは、必ずしも言えない。だが、光華寮事件を中国側が「政治案件」ととらえるなか、今回の判決は最高裁が中国の影響を受け、中国側に偏ったと思わざるを得ない要素は多い。そもそも光華寮の所有権を中国側に認めるのには大きな問題がある。
72年の日中国交樹立のとき、台湾名義の不動産のうち中国側に登記が移転されたのは外交領事財産に当たる物件だった。具体的には三件、東京・港区元麻布の大使館の土地建物、大阪市西区の総領事館の土地建物、横浜市中区の総領事館用地だった。日本政府はそれ以外の台湾の財産は外交領事財産には当たらないとして、登記移転は認めておらず、関与もしていない。温家宝首相が来日した4月11日の衆議院外務委員会で問題点を質した長島氏が語る。
「台湾から中国へと登記を書き換えた基準は、それが外交領事財産であるか否かで、光華寮はそれに当たらないことを、国会審議で確認しました。また、中国側が、光華寮訴訟問題は中国政府の合法的な権益にかかわる政治案件だと述べているわけですが、日本政府もその認識を共有するのか否かを質し、外務省から『日本側の見解とは全く違う』との回答を得ました。少なくとも、最高裁判決が温家宝首相訪問を受けての立法府や行政府の圧力によるものではないことは確認出来たわけです」
となると、最高裁は光華寮問題に自らの判断で極めて政治的な判決を下したということか。だとすれば、それが如何に深刻な問題を含んでいるかを見てみよう。
中国にヒレ伏す日本の司法
国交樹立に際して、中国政府は日本政府に、台湾を中国の一部と認めよと迫った。日本政府は、中華人民共和国政府が中国を代表する唯一の政府であることを「承認」した。だが、台湾については、「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部である」と中国が表明していることを「十分理解し、尊重」するとしただけだ。
中国政府の主張を「理解し」「尊重」するけれども、かといって、日本政府が「台湾は中国の領土」と認めたわけではない。台湾を現に支配し統治している政治権力を、日本は否定するものではないということなのだ。
今回の最高裁判決は、日本政府が政治・外交の場で、知恵を働かせて練り上げた定義を、司法がいとも易々と飛び越えて、中国側の主張に与したことになる。司法は国際法や国際条約を、最も誠実に適用しなければならないはずで、それらを越えて、一方的判断を下すことは許されない。有体に言えば、中国政府の意を迎えるような偏った判断は大いに問題だということだ。
台湾の財産は台湾のものであり、その運命もまた、台湾人が決定すべきである。台湾が台湾人の国であり続けることは、アジアで、ひいては世界で、民主主義が機能することの証しでもある。そうした台湾の在り方を担保するために、民主主義、法の支配、人権、自由の価値観を掲げる日本は、台湾への側面援助を怠ってはならない。米国が台湾の現状を守るために台湾関係法を整備したように、日本もまた、台湾関係法の整備に踏み出すべきだ。同時に、私たちはこんな奇妙な判断を示す最高裁の矛盾を厳密に検証して、この国の未来のために司法の公正、中立を図らなければならない。