【特別対談】福田和也vs櫻井よしこ 「 『安倍総理大臣の120日間』を採点する(外交編) 」
『週刊新潮』 2007年2月15日号
日本ルネッサンス 第251回
【特別対談】福田和也vs櫻井よしこ 「 『安倍総理大臣の120日間』を採点する(外交編) 」
櫻井よしこ 安倍総理は外交、安全保障に信念と実行力を持ち、ぶれないイメージで登場してきた総理大臣ですが、実際はどうか。
福田和也 日米関係は空洞化しつつあります。安倍総理がそれをどの程度感じ取っているのかが問題です。小泉前総理と違って、安倍総理の一番の「売り」は外交で、特に米国共和党右派との数世代にわたる絆、厚く太いパイプを持っていることですから。
櫻井 アメリカは二〇〇一年の同時多発テロを受けて、国家安全保障のあり方を根底から変えました。海外においては、従来の大規模軍事基地から、テロに対処できる多数の小規模基地へと。世界の秩序はアメリカ一国で保つのではなく、各地域の戦略パートナーとともに保つ。アジアにおいて、それは日本であると。だからこそ、集団的自衛権の行使と憲法九条の改正で、共に戦う姿勢を示して欲しい、というのがアメリカの基本路線です。ところが日本側は、一九九六年の橋本政権以来、一歩も動いていない。むしろ最近では久間章生防衛大臣の日米同盟に否定的な発言が続いて、両国の安保、外交政策のトップ同士の会合゛2+2″(日米安全保障協議委員会)さえ、開けない。ブッシュ大統領は日米関係の悪化を印象づけないようにしていますが、政権内の日本への不満は確実に強まっています。
福田 アメリカには批判すべき点は多々ある。しかし、日本はパートナーですから、彼らが困っている時に批判するのは最悪です。ガンジーが偉いと思うのは、イギリスにあれだけ抵抗していながら、第一次世界大戦などでイギリスが困っているときは絶対攻撃しないどころか、逆にイギリスへの義勇兵を募ったりしました。友人として忠告することがあるなら、二人だけの時に言えばいいことで、公の場で、特に立場のある人が批判したのでは信頼を損ねます。
櫻井 一日の衆院予算委員会で、ようやく安倍総理は「閣内で意見が違うという印象を持たれることのないように」と苦言を呈しましたが、日米関係の重要性を考えれば、もっと厳しく対処するべきです。
福田 アメリカに対しては「実績」も大事ですけれども、「期待値」を上げていくことが必要です。日本というのは頼りになる、と。いざ中国と対峙する時には日本と一緒にやろう、と思わせないといけない。こんな国と組むぐらいなら、中国と取引しようと思われていいのか。今はどちらかというと、後者の印象ですよね。
櫻井 杏林大学の田久保忠衛客員教授の指摘ですが、今、中国は世界に千百六十名のPKO要員を出している。日本は文民をあわせて五十名以下。イラクでブッシュ政権が苦戦を強いられ、二万数千人の増派も議会が強く反対している。その時中国が、我々もアメリカと共にテロと戦う、イラクに派兵します、と言ったらどうなるか。中国は国民が万単位で死ぬのも構わない国ですが、アメリカの世論は一気に中国に傾くでしょう。「北朝鮮がアメリカに向けて撃ったミサイルを日本が撃ち落とすことはできない」などと発言する防衛大臣がいる国よりも、中国の方が信頼できると思われ、日本が緊密化した米中関係の谷間に蹴落とされる場面が生じないとも限らない。それでなくとも、中国は日米間にくさびを打ち込むのに躍起なのですから。
福田 中国はかなりきわどいことをしながらも、深く入り込んでいます。先日の人工衛星破壊など、恐ろしいことをやりつつも、民間セクターから厚いロビイングを展開し、日本の孤立化を達成している。
中国の実態を知らしめよ
櫻井 その中国が、強硬外交から微笑外交へと大きく戦略を変えました。゛不安定の弧″のうち、アメリカが手を引いた所に、間髪を容れず、中国が入り込んでいる。スーダン、イラン、北朝鮮、ベネズエラなどです。中国は国連戦略も変えつつある。少し真っ当な国のふりをして、国際社会での対中評価を高めようとしています。その陰で、対日ネガティブ情報戦略にますます力を入れています。
福田 例えばバーバラ・タックマンがまとめた、米軍指揮官スティルウェルの回想録など読んでみると、中国は対人関係をつくるのが上手い。日本では外務官僚がホテルで一緒に食事する程度なのに、中国へ行くと大きい屋敷に泊めて貰えて個人的なつき合いをする。もともと良家で育ったスティルウェルはそれで中国ファンになってしまうんですね。彼は蒋介石の国民政府の顧問にされて重慶に行き、いかに中国が酷いか気づく。そこで、こんな連中と組んで湯水のように金をつぎ込むのは間違っていると本国に訴えるんですが、ルーズベルト以下は中国ファンになっているから理解されない。それと同じようなことが、今起きつつあるのですよ。
櫻井 腐敗した中国の中枢にいた蒋介石夫人の宋美齢らがどれだけ米国人の心を虜にしたか。また、ウィルソン大統領は就任直後、閣僚に「中国を援助したいという切実な願い」を抱いていると発言していますしね。この傾向は現在も変わらない。カーター政権時の国家安全保障担当大統領補佐官・ブレジンスキーは著書で、日本は事実上、アメリカの被保護国で永久に独り立ちできない、中国こそがアメリカの真のパートナーだ、と言っている。「被保護国」日本に対するこの種の蔑みや歴史的な誤解を解くには、日本人自身が情報発信して壁を打ち破るしかない。情報発信を国家戦略として位置づけ、少なくとも中国の対外情報戦略予算と同額くらいを割くべきです。
福田 安倍さんには、対外情報戦略のリーダーシップをとってほしいです。
櫻井 情報通信省創設を言っていますね。戦後、壊滅した情報能力の再構築は大変ですが、これは是非、やらなければなりません。
福田 アメリカ人には、戦前から中国に対するロマンティシズムがあって、「今はひどいけど、今によくなる」という根拠のない思い入れがまかり通っている。それが非常に怖い。中国の実態を理解してもらうには、ある程度のつき合いが必要で、アメリカの有為の青年の中から日本の理解者を育てることが必要です。
櫻井 日本と中国のつき合いは本当に長い。中国の実態を一番知っているのはアメリカ人ではなく日本人であることを、まず日本人が自覚した方がよいのです。そのうえで諸国の研究者に実態を見てもらうことが大事ですね。
福田 しかし、研究者のスケールが小さくなりました。内藤湖南から、せいぜい『科挙』の宮崎市定まで。
櫻井 一九〇五年には、中国からの留学生は少なくとも八千人から二万人に上ったと見られています。日本に必死に学んだのですね。日本人は文明も漢字も中国に教えてもらったと考えます。しかし、近代化以降の語彙に関しては逆。開国した日本は急速な勢いで西欧の制度や考え方を日本語に訳し、その日本語を通して幾万人もの中国の留学生が欧米の文化を学んだ。それが今、中国語になっている。例えば「哲学」という言葉は、日本人が創り、中国が採り入れた。「共和国」も「人民」もそう。「中華人民共和国」の国名は、日本語なしに成り立たないと言われていますが、そうは考えない。
福田 文化力で圧倒するというのは大事で、たとえば京都の内藤湖南のところには、中国の政治家がわざわざ来て教えを請うていた。今は、彼らを圧倒するような力で中国文明を語れる人はいないですね。
櫻井 現在の中国研究者には内藤湖南は見当たらないですね。存在していても、決して日本では主流になれない。
明確なメッセージを示せ
福田 安倍総理は中国がこの一世紀の間、日本にとって最大の脅威だったということを認識した上で、中国に対峙しているのか。財界人がワイワイ騒ぐから、少し日中関係を良くしよう、くらいの感覚でいるのか、それとも、日本の生存のためには許容できない限度がある、干戈を交えることも辞さず、という覚悟があるのか。そうは見えないですけどね。
櫻井 歴代の首相の中で安倍総理は、中国に対する警戒感をかなり強く持っているほうだとは思います。しかし、中国を見続けてきた人から見ると、その警戒感はまだまだ甘い。
福田 今、中国がやろうとしていることは、日清戦争のリターンマッチだと思うのです。海軍の条約派で、昭和天皇の信頼も厚かった山梨勝之進という海軍大将がいるんですが、この人の防衛大学校での講話を読むと、日露戦争よりも日清戦争のときのほうが怖かったと云う。大中国との戦いは本当にきわどい勝負だったと。そのきわどい勝負に勝って、日本は朝鮮半島を押え、台湾を手中にして、東南アジアにおけるイニシアチブを握った。山県有朋が言うところの主権線だけではなく利益線を守れるようになった。逆に言えば、そこから中国の地域大国としての没落が始まったわけです。現在、彼らは日清戦争で失ったものを、まず取り戻そうとしている。
櫻井 さらに言えば、アヘン戦争以来失った、大清国の版図を再現しようと目論んでいる。そこには台湾もベトナムも沖縄も、全部入る。だから、チベット併合も当然と彼らは考える。中国の知識人と話していて本当に驚くのは、「朝鮮は当然中国領だ」と平然と言い放つことです。朝鮮の人たちが可哀想なくらいに、朝鮮半島が独立国だとは彼らは全然認めていない。
福田 日本がそのリターンマッチで敗北しないためには、有事の後の朝鮮半島がどういう姿になるのが日本の国益に適うのか、夜も寝ずに考えるくらいでなければいけない。
櫻井 昨年10月には、米空母キティホークにわずか八キロの地点まで中国の潜水艦が忍び寄っていた。軍事衛星を撃ち落とす力も中国は得た。となると、アメリカの軍事作戦に大きな支障が出ます。米軍が日本周辺の海域で自由に展開できなくなったら、日本は中国の属国になるところまで追い込まれかねない。そうならないためにも、朝鮮半島は譲らないとか、台湾も守り通すという政治的発言を、総理が事あるごとに、様々な形で発信して対中抑止力にしなければならない。
福田 はい。特に朝鮮半島に関しては、北朝鮮が着々と中国の勢力下になりつつあるいま、非常に悩ましい南半分をどうやって守るのかを真剣に考えなければいけない。北朝鮮問題で浮上してきた政治家なのですから、明確なメッセージが欲しいですね。
櫻井 安倍総理は韓国を訪問した折、南北統一についてどう思うかと質問されました。そのとき、朝鮮半島の人々の気持ちが大事だという趣旨で回答した。しかし、本来なら「私たちは民主主義を信じる韓国の国民を支持します。北朝鮮との統一はそれをベースに行われるのが望ましい」と言えば良かった。左翼政権のもとで悔しい思いをしている保守派に、日本はあなた方こそを支援したいと伝えるチャンスでした。北朝鮮問題で鋭く対処し、金正日総書記を巧みに追い込んできた安倍総理が問題意識を以てすれば、核心を突く応答ができるはずです。
官僚システムからの脱却
福田 民主主義とか自由とか、大きな価値観を外交の場面ではもっと口にすべきですね。その次元では日本はアメリカと同じ線に立てる。中国が日米の間に打とうとしているくさびに対して一番強いのは、やっぱり民主主義という価値観で、それは台湾と韓国にも当てはまります。
櫻井 今年になって、安倍総理はそれを明確に打ち出しました。NATOでも「自由、民主主義、人権、法の支配」に言及しましたし、麻生太郎外相も「自由と繁栄の弧」構想を出しています。この価値観外交を政権の発足当初から鮮明に打ち上げればなお良かったけれど、今年、旗幟鮮明にしたのは大きな進歩です。
福田 もうひとつの前進は、日米両政府が朝鮮有事を想定して、共同作戦計画の策定を進めていることを一月初めに政府が認めたことですね。
櫻井 あの研究はもっと広く国民に知らせるべきです。中国への牽制にもなります。
福田 そうなんです。中国や北朝鮮に対して、大きな意味を持ちますね。
櫻井 安倍総理はもっと御自分の考え方に自信を持った方がよいのです。しかし、どう見ても官僚支配の影が見える。例えば、日本の防衛白書はこの二年ほど中国を「脅威」だと書いていません。外務省から中国を脅威と書いてほしくないという圧力があったようなのです。硬軟両方、つまり防衛省は脅威と言い、外務省が柔軟な姿勢で臨むのが、真の外交です。今まで日本の安全保障政策の主軸は外務省に握られていた。そこに問題の根っこがありますね。
福田 総理が厚い官僚組織の中で動いているようにしか見えない。それが外交で、一番良くない形で出ている。
櫻井 ロシア外交でも、足して二で割る式の、官僚の一番悪い点が出ています。北方領土を面積で二分し各々を日露で領有したら、などと言い出した。安倍総理の信任厚い谷内正太郎・外務事務次官は、ロシアを訪ねるときに、領土問題について「日露双方が納得できる譲歩とは何なのか。そのへんを見極めたい」と発言したと報じられた。心得違いは困ります。日本に譲歩の余地はありません。北方領土は日本固有の領土で、第二次大戦後、ロシアが違法に奪った。それを、互いに歩み寄ると事務次官が言う。こういった外交自体が拙劣極まるのです。
福田 政治家が官僚に勝つためには、国民に直接「言葉と顔」を示すことが大きな武器になります。官僚システムの外側で生の声を出し、生の顔を出すことが重要です。
櫻井 昨年10月、中国はなぜ安倍総理を招いたか。それは背に腹は代えられなくなったのがひとつです。日中国交樹立時点では、七割の日本人は中国を大好きだった。江沢民の反日政策が続いた結果、日本人の七割が中国嫌いになった。同時に、対中投資も三割減った。中国は強硬路線が逆効果であることに気づき、日本取り込みのために微笑外交に転じたわけです。今回、彼らには靖国神社問題を問う余裕さえなかった。そういう時こそ、靖国神社問題については未来永劫、中国の政治利用を封じるチャンスだった。なのに、問題を曖昧にしたまま訪中したのは摩擦を避ける外務官僚の考え方でしょう。安倍総理には心中深く期する大戦略があるのかもしれませんが、残念ながらその戦略が見えにくい。
福田 中国の首脳に日本としての立場を主張して帰ってくればいいのですけど、とりあえず中国へ行ってよかったね、というだけでしたから。官僚の御膳立ての外側に出ていない。
日米分断を警戒せよ
櫻井 政治家は自分の信念と判断で政治を司り、責任を負う。官僚は国益のためにのみ、忌憚のない政策提言を行う。両者は一体となって力を合わせるべきですが、官僚気質が変化した今、官僚の政策提言は、余程吟味しなければいけないと思います。
福田 先の大戦の不幸は米中両方を敵にしてしまったことでした。日清、日露というのは、アメリカなりイギリスなり同じような海洋諸国と同盟関係を持った上で戦争したのに、それができなかった。先人が本当に大きな犠牲を払って、米中両方を敵にしてはならないという教訓を残してくれたのです。中国と敵になる可能性があるときには、日本は絶対アメリカを味方にしなければならない。そういう発想が政権中枢にないというのは恐ろしいことですね。
櫻井 開国以来の歴史を振り返ると、米中両国が結託した時、日本がどんな煮え湯を飲まされてきたか、まさに国難でした。例えば、ワシントン軍縮会議について、日本人は米英日の軍艦保有比率が五対五対三になったとまず考えます。しかし、あの会議の最重要ポイントは、日英同盟が切られたことです。切ったのはアメリカと中国だった。そこから第二次世界大戦への歯車は確実に回り始め、日本は敗北した。アメリカと中国が結びつくような状況は絶対に避けるのが、日本の外交戦略の基本であるべきです。中国が微笑外交に転じた狙いのひとつは、日米の分断です。そのことに対する日本外交の警戒の構えは十分には見えてきません。
・・さて、最後に安倍総理の「外交」に点数を付けていただきましょう。
福田 落第点ぎりぎりですかね。四十五点かな。
櫻井 私は五十点。これからの安倍総理の決断次第で、三十点にもなれば、七十点にもなる。
福田 四十五点では、期末試験でよほど頑張らないと進級できない。
櫻井 気迫が見えてきたら進級できますね(笑)。
(一部敬称略)