「 『皇位継承』に突きつけられた課題 」
『週刊新潮』 '06年9月21日号
日本ルネッサンス「拡大版」 第231回
皇室に親王が誕生された。皇室をめぐる眼前の危機を救い、拙速な改革への静かなる峻拒となった親王の誕生は、何よりもまず、日本人に皇室について考え、学ぶ時間を与えてくれた。
戦後の教育で、日本人は殆ど自国の歴史を学んでこなかったが、皇室についてはとりわけそうだ。皇室の歴史や由来、それが日本という国にどんな形で織り込まれてきたのか、というより、皇室抜きには考えられないのがこの国の姿であることを知らない日本人ばかりになってしまった。だからこそ、新宮誕生で時間が与えられたことは幸いだった。それは蔑ろにされてきた日本文明の抗議の声であると思えてくる。
新たに生じた時間的余裕を活用して考えなければならない課題は多い。そもそも天皇と皇室とは何か、なぜ、日本国は皇室を必要とするのか、皇統の継承者はなぜ男系男子でなければならず、女系であってはならないのか、男系男子の皇統を守るにはどのような方法があるのか、などである。
まず、皇室の果たしてきた役割を知らないのでは議論の入り口にさえ立てない。國學院大学教授の大原康男氏は天皇の役割について次のように語る。
「政治的な役割は時代によって変遷がありました。古代においては武力による統一という英雄物語の主人公であられたり、律令体制の下では中国の皇帝のような役割がありました。さらに鎌倉幕府以降の武家政権、明治の大日本帝国憲法下、戦後の日本国憲法下と、政治的役割は変化してきましたが、一貫不変の役割は祭祀を行われることでした」
氏は、祭祀における天皇の役割は他国の王室のそれとは異なると強調する。
「英国の女王は英国国教会の首長ですが、実際の宗教的営みはカンタベリー大主教など、専門の聖職者が行います。一方、日本には神職はいますけれど、天皇自らが祭祀を行い、“民安かれ”“国安かれ”と祈って下さる。このような君主制は今は日本のみです」
天皇と皇室の方々は、皇室だけの繁栄を願うのではなく、祖先への感謝と崇敬に始まり、五穀豊穣と天下泰平を祈ってこられた。現代風にいえば、国家国民の安寧と幸福、世界平和への祈りである。そして天皇が国民を見つめる視線は「大御宝(おおみたから)」という言葉に表れている。国民こそ、最も大切な宝であるとの考えだ。大切な宝としての国民の生活を豊かに平和に保つことを治政の根本に置いて、天皇の祈りは成り立ってきた。
その祈りは実践されてもきた。たとえばハンセン病患者に対してである。政府は彼らを70年近くも隔離し、一般社会は偏見を抱き続けたが、その間、貞明皇后はハンセン病患者を定期的に見舞われていたのだ。ハンセン病は近づけば感染するという誤解が根強かった時代に、皇后は自ら療養所に足を運び患者を見舞った。患者で歌人でもある明石海人は皇后の慈しみに感動し、絶唱を残した。
「みめぐみは いはまくかしこ 日の本の ライ者と生(あ)れて われ悔ゆるなし」
民のために施薬院や悲田院を設けたのは聖武天皇のお后の光明皇后だったが、貞明皇后は、光明皇后の民への慈しみを受け継ぎ実践したのだ。国民を大御宝ととらえ、その幸せを願うからこそ出来たことである。日本の天皇家が権力に根ざす存在ではなく、権威によって支えられる存在だと評されるゆえんであろう。
天皇と皇室の存在の意義は、その深く誠実な祈りにとどまらない。日本の文化文明の担い手としても重要な役割を果たしてきたと大原教授は指摘する。
「まさしく文化文明の共同体としての日本の首長が天皇なのです。たとえば和歌です。現在も毎年、歌会始で天皇の御製(ぎょせい)や皇后の御歌(みうた)が発表され、幅広く国民が歌会始に参加します。このこと自体、日本国の根本をなす価値観を表現しているのです。最も古い歌集である万葉集には、天皇から東国の名もなき庶民農民の歌まで4,500首も収められています。渡部昇一さんは“神の下の平等、法の下の平等”と同じく、日本には“歌の下の平等”があると喝破しました。上も下も睦びて歌を詠み、天皇はその中心に存在し続けたのです」
皇室は「文化文明」の源
和歌は元々神話のなかのスサノオノミコトの神詠歌に始まると伝えられる。和歌の始祖は皇室につながる神、スサノオノミコトなのである。この伝統を受け継いで、古今和歌集、後撰和歌集、千載和歌集などの勅撰集が作られた。
「日本の文化文明への皇室の貢献はさらに種々の著作にも見られます。聖徳太子の三経義疏、後白河法皇の梁塵秘抄などです。加えて平安初期の嵯峨天皇はわが国の三筆の一人であり、秋篠宮様は有栖川流の書を継いでおられます。昭和天皇の武蔵野御陵の墓碑銘は秋篠宮が書かれたものです。また後鳥羽天皇は自分で刀を打たれました。後水尾天皇は京都の修学院離宮を設計されました。さらに公家社会には実業があり、たとえば、蹴鞠の家元は飛鳥井家ですし、装束は山科家、陰陽道は土御門家です」(同)
これら全て、歌舞伎、茶道、華道等の家元の原型となった。日本の文化文明はおよそ全て皇室につながっていく。皇室こそ文化文明の源だということだ。そしてその皇室は国民を“大御宝”として慈しみ、上も下も睦びてきた。この点こそ皇室の特徴であり、権力者として国を治めてきた欧州諸国の王室とは異なるゆえんだ。皇室はあくまでも権威としての存在なのだ。
国家は、権力を超える権威を必要とすることがある。権威としての天皇が日本の危機を救った一例が、1945年8月14日の御前会議である。敗戦を認めポツダム宣言を受け容れるのか、戦い続けるのか。御前会議の意見は二分されたまま、結論は昭和天皇に委ねられた。権威としての天皇の聖断を仰ぎ、日本は戦いをやめた。
権威としての皇室、多岐にわたる文化の創造者であり、文明の担い手としての皇室、国民のために祈る皇室の在り方を、一八〇度変えようというのが、先の皇室典範に関する有識者会議だった。周知のように改正の柱は二つ、皇統は第一子相続とし、女系天皇を認めることだ。
長子相続と女系天皇の容認に当たって、有識者会議は男系男子による皇位継承は物理的に無理と結論づけた。皇室研究家で静岡福祉大学教授の高橋紘氏が語る。
「男系による皇位継承はロマンにすぎず、現実に対応出来ません。明治以前は側室制度があり、男子誕生を担保することが出来た。事実、125代の天皇のうち、約半分は側室のお子です。大正天皇も明治天皇も、さらに、孝明、仁孝、光格、後桃園天皇も同様です。しかし、いまや側室制度はなく、各妃にとって男の子を産まなければならないことが重圧となっています。そのような重圧の下に皇室の女性たちを置くのはもう止めた方がよいと思います」
だが、この論議は物事の一面のみを見ていないか。
大原氏が反論した。
「側室制度が存在した当時、乳幼児の死亡率は極めて高かったのです。明治天皇のお子で成人なさったのは5人のみ。3分の1です。いまでは3人生まれれば3人とも成人するのが通常です。したがって、側室制度の廃止によって即ち男系男子の皇統維持が困難になったとは言えません」
大原氏は皇室に9人続けて女の子が生まれたことをどう見ればよいのかについても解説した。現状がいかに異例の事態であるかは、計算からも見えてくるというのだ。つまり、女子が生まれる確率は2分の1である。9人連続であるからその確率は2の9乗分の1、512分の1である。0・2%以下の確率という意味だ。
「女子ばかりという皇室の現状は0・2%以下の確率で起こる異例の事態なのです。この異例事態に対処するには2600年余にわたる皇室の歴史から答えを見つけるしかありません。一番妥当なのが、一度皇籍を離れた元皇族の方々に復帰してもらうことです」
男系か長子優先か
皇室の姿は、GHQの占領によって大転換させられた。マッカーサーは日本の中心軸である天皇家の力を削ぐために多くの措置を講じた。最大の措置が11宮家の皇籍離脱である。11宮家は初代の神武天皇以来の血筋を守ってきた家々だった。日本国の形は日本人が作り守っていくとの考えに立ち、GHQの決定以前の日本に戻す意味合いも込めて、いま、元皇族の皇籍復帰を実現するとしても、すでに断絶した家もある。他方、後継資格をもつ男子のいる家も存在する。大原氏は断絶していない元皇族のご子孫の皇籍復帰を急げというのだ。
が、皇室典範改正の有識者会議は、元皇族の皇籍復帰は国民感情に馴染まないとして、一刀両断に切り捨てた。本当に馴染まないのか。大原氏は異議を唱える。
「125代の皇位継承者のなかで、直系かつ嫡系は41回です。日本の皇室は傍系の方々によって支えられてきたのです」
「直系かつ嫡系」とは、現状に即していえば皇太子と秋篠宮である。対して傍系とは、時の天皇のお子以外の方が皇統を継いだ場合を指す。今でいう宮家が天皇に即位なさった場合と考えればよいだろう。したがって、秋篠宮家の新宮がそれにあたる。
「125代のなかで傍系の天皇は56人、直系かつ嫡系の41人より多いのです。傍系と呼ばれる宮家が男系男子による継承を助け、皇室の存続に貢献することは古来の日本人にとって極めて自然なことだった。にもかかわらず有識者会議はその考えを日本人に馴染まないとの一言で切り捨てました。歴史を知らないにも程があります」(大原氏)
日本人に馴染まないのは、傍系の元皇族の復活ではなく、むしろ歴史上一度も日本人が体験したことのない女系天皇の方ではないのか。女系天皇を是とする考えは、長子相続と背中合わせに主張されてきた。男女に拘らず、第一子を優先する考えは欧州でここ十数年、はじめて導入された考えだ。学習院大学名誉教授の篠沢秀夫氏が笑って語った。
「第一子優先にはとにかく愛子さまを天皇にしようという意図が感じられます。これは日本は欧米に遅れているという思考パターンゆえでしょう。オランダやベルギーの王室では近年、法改正をして長子優先になりましたが、これらの国の王室は日本の戦国大名程度の歴史しかありません。そもそも、欧米では本当に長子優先でしょうか。デンマークも英国も全く違いますね」
欧州の王室と日本の皇室は異質である。歴史も浅く、加えて異質の制度の真似をして、何の意味があるというのか。こうした反論に高橋氏が反問した。
「男系男子が天皇に即位するとして、今のままでは新宮即位の頃には宮家は秋篠宮家だけとなります。皇室の女性メンバーは結婚なさり、現行の皇室典範によって養子をとることも許されず、民間人になりますからね。そうなれば、事はより深刻です。男系男子を主張する人々はこのことにどう答えるのでしょうか」
皇室にとって最善の方法は
高崎経済大学教授の八木秀次氏が指摘した。
「たしかに、将来の皇室、そして新宮様を支える皇室のシステムはどうしても必要です。そして伝統を守りながら、言いかえれば女系に頼らず、男系男子による皇位継承を続けながら、皇族の数をふやすことは可能です。それには元皇族の活用が最善なのです」
八木氏は元皇族も含めて皇統なのだということを現代の日本人は忘れてはならないと強調した。元皇族は初代神武天皇の血筋を純粋に引く家系であり、現在も男系男子が存在し、昭和22年、GHQによって強制的に皇籍離脱させられたあと、現在に至るまで皇室との親戚づき合いを続けてきた。八木氏はその中のある旧宮家について語る。
「一昨年のお正月、某宮家が親族会議を開きました。当主が、自ら手を挙げる問題ではないが、万が一、皇籍復帰の要請があったときには断る理由がないと仰ったそうです。関係者らの覚悟も出来ているのです」
男系男子か女系天皇かの議論は“当事者”を増やしながら進んでいるのが現状だ。両者の溝はまだ深いが、両論を折衷する形で篠沢氏は第三の道を提案する。皇族の範囲を広げると共に皇族を天皇から4世までと限定する案だ。4世以内なら結婚後の女性も皇族とする。但し、その女性が天皇に即位すれば万世一系の血統が絶たれるために、女性天皇の配偶者は旧11宮家の子孫から選ぶという考えだ。
「婚姻の自由の原則に反するといわれるかもしれませんが、皇族には選挙権も被選挙権も職業選択の自由もありません。天皇は国民、国家のために日々をすごされます。帝王学によってこの精神を学んでもらい、元皇族の子孫から配偶者をもらっていただくのです」
篠沢氏の考えの基本も男系男子による皇統の継続である。新宮誕生で多少の時間を得たとはいえ、何年ものゆとりはない。伝統を守りつつ安定した基盤を作るための皇室典範改正を急がなければならない。最善の方法は元皇族の皇籍への復帰だと私は考える。