「 探査機『嫦娥』にみる中国軍の野望 」
『週刊新潮』 2013年12月26日号
日本ルネッサンス 第588回
「中国は2020年までに独自の宇宙ステーションを完成させ、30年までに月に基地を築く。目的は月と地球の間の宇宙を支配し、米国に対して軍事的優位を打ち立てることだ」
これは米国の軍事戦略の専門家で『中国の軍事力の近代化』の著者、リチャード・フィッシャー氏が5年前に私の取材に対して語った言葉だ。
12月14日22時すぎ(日本時間)に、中国の月探査機「嫦娥3号」が月面の虹の入り江と呼ばれる地点に到着した。約13日間の旅をして月面着陸した嫦娥3号は探査車「玉兎号」を無事、月面に降ろした。玉兎号は約3ヵ月間、地形、地質、地中の資源などを調査し、データを送り続ける。
中国国営通信、新華社は「旧ソ連は12回目でようやく(1966年に)探査機の軟着陸に成功した」と報道し、初挑戦で月面着陸に成功した中国の技術を誇った。彼らにとっては大きな誇りであろうが、世界のどこにも双手をあげて中国の成功を祝う国はない。むしろその成功が国際社会の抱く疑惑を強めているのは、中国の不徳ゆえであろう。
中国の月探査は、米国の宇宙開発予算削減と反比例して加速されてきた。『ウォール・ストリート・ジャーナル』によると、米国の昨年の宇宙開発予算は、その前年に較べて更に削減され約172億ドル(1兆7,200億円)だった。中国の予算規模は不明だが、明らかなのは、それが中国人民解放軍(PLA)の指揮下にあり、宇宙開発の主目的が軍事利用だという点だ。
新華社は、「かつて米ソの月探査は未知の宇宙に対する好奇心と探検心に基づいていた。中国の月探査は宇宙の平和利用を目的とする、人類のための重要な活動だ」という月探査計画の主任技師の言葉を伝えた。
修辞には注意したほうがよい。中国の軍事的台頭は過去も現在も「平和的台頭」だと説明されている。その「平和的台頭」で生まれた軍事力を背景に、中国は台湾も南シナ海も尖閣諸島も核心的利益だと主張して憚らない。「人類のための平和利用」の嫦娥の月面着陸について、「京華時報」は、「月にミサイル基地を建設すれば、反撃の心配なく敵の軍事目標を攻撃できる」という専門家の意見を紹介した。
「面で攻めてくる」
月面基地からのミサイル発射がなくとも、月面基地と中国独自の宇宙ステーションが連携し、宇宙空間に多くの人工衛星を飛ばせば、宇宙空間における中国の優位性は確立される。21世紀の戦いの主体と言えるサイバー戦争で優位を保てるだろう。
先進国ほどサイバー攻撃への脆弱性が高い。日本も米国も、社会のインフラをコンピューターシステムに依拠しているため、サイバー攻撃を防ぎきれないときの損失は大きい。宇宙及びサイバー空間での中国の優位確立こそ、即、私たちにとっての脅威である。
中国の戦略目標を思い出してみよう。鄧小平が指示した海洋大国としての中国の戦略目標は、第1列島線と第2列島線の制覇として語られてきた。習近平国家主席はそれを今年6月、オバマ大統領との首脳会談で「広い太平洋には2つの大国を受け入れる十分な空間がある」、「新型の大国関係」の時代だと、表現した。
ハワイを基点として太平洋を東西に分け、米中両国で分割統治するという、習主席の主張につながる考えは、07年に海軍軍人、楊毅氏が米国太平洋軍司令官に提案したものだ。
中国の年来の目標である太平洋分割統治を実現するための制海権には、制空権がなければならない。制空権は高高度の空からの監視が確立されればより有利だ。宇宙空間を回る人工衛星も宇宙ステーションも月面基地も、そのために欠くことは出来ないと中国は考えてきた。21世紀の国際社会で中華思想を具現化するためにも、中国は忠実にその計画に従って今日に至る。
目的達成のために四方八方へ目配りを利かせることにおいて、中国共産党は抜群の能力を発揮してきた。他国には真似の出来ない長年の軍拡の継続も、膨大な予算を必要とする嫦娥の開発も、一党支配ゆえに可能だった。彼らはあらゆる犠牲を払っても共産党の掲げる目標に突き進む。尖閣諸島攻略でも同様だ。
東海大学教授の山田吉彦氏は次のように語る。
「中国は面で攻めてきます。日本が尖閣諸島という点に目を奪われている隙に、彼らは九州・長崎県の国境の島々、五島列島にまで侵入できることを示しました」
氏の指摘は、12年7月18日に五島列島福江島の玉之浦湾に一挙に109隻の大型新造船の群団が押しよせ、湾深くまで入り込み、整然と錨を下ろし、1週間も居座った事件を指している。日中中間線から100キロ以上も日本側に入り込んで居座った体験から、彼らは本国に、玉之浦は一気に制圧できる場所だと、報告したことだろう。
五島列島と尖閣諸島を奪えば、沖縄は容易に取れるであろうことが地球儀から見えてくる。彼らの狙いは尖閣だけではなく、沖縄をはじめとする日本全体に中国の影響と支配を及ぼすことだと考えるのが妥当だろう。
その意味で、日本海への中国の進出も見逃してはならない。山田氏は、北朝鮮の羅津港を拠点に多くの中国船が日本海に繰り出し、いまや、北朝鮮沖のイカ漁は殆どすべて中国漁船によって行われていると指摘する。大和堆と呼ばれる日本海中央部の豊かな漁場も中国船であふれている。
日本を属国扱い
東シナ海、日本海、南シナ海へと、面をおおう形で広がる中国のその戦略を支えるのが中華思想である。
たとえば11月23日に突如発表され、即施行された防空識別圏である。国際法に反する宣言を、当然の権利のように中国は発表し、従わない場合は攻撃することを示唆した。12月15日の「日経新聞」が同件に関して極めて深刻な情報を報じている。
11月22日、中国国防省が北京の日本大使館の駐在武官に、翌土曜日に国防省にくるようにと「言い渡した」そうだ。翌日午前、武官は通告を受け、その「30、40分後」に防空識別圏設定が発表されたという。
まるで日本を属国扱いしている。この蛮行を行った国防省を指揮しているのはPLAである。嫦娥をはじめとする宇宙開発もPLAが進めてきた。
中国の習近平体制が軍に軸足を置いているのは明らかだ。軍の意向を強く反映した習主席の外交安保政策は、当然、強硬路線に傾くであろう。その際の一番のターゲットは、日本と思われる。日米同盟とアジア諸国との連携を強め、急いで自力を強めなければならないゆえんである。強い日本の構築こそ当面の最大の目標である。