「 大新聞の『悪知恵』 」
『GQ』 2001年4月号
COLUMN POLITICS
このところ連日、新聞には森喜朗首相への批判が満ち、日本経済への不安が満ちている。3月13日の『朝日新聞』の「天声人語」には、森首相に関して「およそ首相としてふさわしくなかった」「致命的な欠陥」などの記述が目につく。
森首相に関しては、私もこの天声人語子と同じ感想をもつ。
しかし、と思う。『朝日新聞』自身にも、天声人語子が書いた同じ形容詞が、或いはつけられて然るべきなのではないかと。さらに『朝日』と共に、『毎日』など他の大新聞も同様ではないかと。
こう考える理由は3月12、13両日の新聞を各紙並べて読んで頂ければ明らかになると思う。12日の夕刊1面 で『産経新聞』は1982年のいわゆる教科書書き換え事件は、現実には存在しなかったことであり、マスコミの誤報だったことを町村信孝文科相がはじめて12日の国会で明らかにしたと報道した。
82年当時、マスメディアは旧文部省が教科書検定で「侵略」を「進出」に書き換えさせたと報じ、中国や韓国が烈しく反発した。大新聞が競って報道し、問題はさらに拡大されていった。その結果 として日本政府はこの事件をきっかけにして教科書の検定基準に近隣諸国に配慮する「近隣諸国条項」を加えたのだった。
当時から、「侵略」を「進出」に書き換えさせた事実はなかったとして訂正報道を出したのは『産経』のみだった。『朝日』以下大新聞は訂正記事を記載しないまま、今日に至っている。
そのような中で、町村文科相が、日本政府としてはじめて国会で教科書書き換えは誤報だったと言明したわけだ。これは、大事件だと私は思うけれど、この町村発言を報道したのは全国5紙のうち、 わずか2紙だった。12日夕刊の『産経』と13日朝刊の『読売』である。
『日経』『毎日』は町村発言を1行も報じていない。『朝日』は町村発言を報じていないだけでなく、13日朝刊11面 で教科書検定の特集を掲載したなかで、82年の書き換え事件を次のように極めて巧妙な表現で記した。 「82年6月、高校歴史教科書の『侵略』削除などが問題化」と、『朝日』は書いたのだ。
読めば読むほど巧妙な表現である。成程、「“侵略”削除などが問題化」したのは事実である。だが、「問題化」したのは、実際には行われなかった書き換えが、強要されたとして『朝日』などが先陣を切る形で報じたからである。
にもかかわらず、『朝日』は一連の書き換え報道が誤報だったことも、誤報を拡大していくのに自らがどれだけ大きな力を発揮したかも一言も書かずに「問題化」したとだけ書くのだ。
この文章を読む『朝日』の読者は、かつて一度も新聞から、教科書書き換え事件は実在せず、実は誤報でしたという訂正情報を得ていない人々だ。そのため、その人々が先の「問題化」の文章を読めば、恐らく「文部省が侵略を進出と書き換えさせたことが問題化」したと考えるだろう。そこまで見越してこの文章を書いたとすれば、『朝日』の記述は「巧妙」を通 りこしてまさに「悪知恵」のなせる技だ。
政治がここまで堕落した理由のひとつに、大新聞の報道の偏りがある。新聞社が特定のイデオロギーや政党を支持することがあってもよいと私は考えている。その場合、新聞社はどの政党やどのイデオロギーを支持しているのかを明らかにしてから主張を展開すべきである。そのうえで、事実関係の報道については最大限の努力で偏りを避け全体像を伝えるべきだ。書き換えが強要されたのならそう書くべきであるし、それが誤報だったのなら、訂正記事を出すべきだ。
事実を知ることなしには人間はきちんと考えることは出来ない。国民の考える能力を高める情報を大新聞がきちんと伝えないことが、日本人の考える能力を低下させ、その次元で政治家を選んできたことが、政治の現状をもたらしているのではないか。
だからこそ、私は、「ふさわしくない」「致命的欠陥」などの言葉を『朝日』にこそ突きつける勇気を、天声人語子にもって欲しいと考えるのだ。