「 情緒的反対論が溢れる沖縄地元紙 客観的情報をきちんと伝えるべき 」
『週刊ダイヤモンド』 2013年2月9日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 972
1月27日、「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」実行委員会の主催で、東京・日比谷野外音楽堂で「NO OSPREY 東京集会」が開かれ、主催者発表で4000人が集った。翌日の「沖縄タイムス」「琉球新報」両紙の紙面は、右の東京集会とオスプレイ反対を伝える写真とコメントで埋め尽くされた。両紙は6~7ページ分という圧倒的な分量の紙面を割いて東京集会と反対論を報じたが、その報道ぶりは凄まじい。
地元2紙が圧倒的占有率を誇り、「朝毎読日経産経」の全国紙の占有率が顕著に低い沖縄では、世論は地元紙に大きな影響を受ける。にもかかわらず、地元2紙の報道はどう見ても公正だとは思えない。物事の全体像を伝えているとも思えず、むしろ偏っていると言わざるを得ない。考えるための事実の提示よりも感情的な報道が目立つ情報環境では沖縄世論の成熟はどこまで期待できるか、疑問である。
今回のオスプレイ関連報道を見てみよう。2紙の紙面のどこを読んでも反対論のみで埋められている。「沖縄県民は基地で飯を食っているわけではない。米軍基地は経済発展の最大の阻害要因だ」(翁長雄志市長会会長)、「沖縄差別がいまだに続くというのはどういうことか」(渡久山長輝東京沖縄県人会長)、「世界で一番危険な普天間飛行場に欠陥機であるオスプレイを配備した」「ウチナー(沖縄)は本当に日本だろうか。あの狭いウチナーに、米軍基地施設の74%を押しつけて、日本の平和を維持しようとしている」(永山盛廣市議会議長)などをはじめ、6歳の男の子の「オスプレイはこわい」というコメントなど、情緒的反対論が溢れている。
そのことに関連して沖縄タイムスの政経部、西江昭吾記者がコラム「視点」でこう書いた。「基地問題を考えることは、米軍の運用や米国の国防戦略、沖縄のアジアにおける位置付けなど、多岐にわたる事柄について考えを巡らす知的な作業。ともすれば、基地に接した経験がない県外の人々にとって取っつきにくく、敬遠しがちだ。だからこそ『分かりやすく訴えかける手段として、情緒的な抗議集会やデモ行進をやらざるを得ない』(県幹部)」。
こういう理由でオスプレイ反対の主張が「情緒的」に展開されていくというのである。しかし、そんな理屈でメディアがメディアたり得るのか。問題が複雑であればあるほど、また問題の実態が理解されていなければいないほど、平易に説明する責任が、メディアにはある。実態理解のために必要な客観的情報を伝える役割もメディアにはある。そうした責務を沖縄の2大紙は果たさずに、ひたすらオスプレイが危険だと主張するのはおかしいのではないか。
オスプレイは数10年前に開発されたCH46Eの代替機である。数10年前の古い輸送機のほうが幾倍も危険だと、事情を知るほとんどの人が指摘する。ならば、メディアとして今沖縄の空を飛んでいるCH46Eとオスプレイの安全性を客観的に比較することこそ、まずしなければならない。加えて、中国の脅威が尖閣諸島周辺に迫る今、国土防衛のためにCH46Eに比べて飛躍的に高いオスプレイの能力についても説明すべきだ。
また、沖縄周辺の危機的状況と沖縄の地政学を考えれば、沖縄の果たすべき役割も明らかになる。否応なく脅威に対峙する前面に置かれている中で、沖縄はできるだけ強固な防衛の力をつけなければならない。それは米軍との協力によってのみ可能であろう。しかし同時に、沖縄への過重負担は減らしていかなければならず、その一つの道が米軍再編計画である。計画を実行できれば、沖縄の面積の一九%を占める基地の多くが返還され、比率は12%に減少する。このような事実関係をまず、地元紙は伝え、沖縄県民の考える材料とすべきであろう。