「 故・趙紫陽総書記の政策立案者 呉国光氏が予測する中国の未来 」
『週刊ダイヤモンド』 2012年5月12日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 935
中国はこれから先、どうなるのか。成長を続ける経済と過去四半世紀続く異常な軍拡を背景に、他国の領土領海への野心を当然の権利のように突きつける中国共産党がこのまま、大国として存続するのか、どこかで挫折するのか、挫折ならどんな形で起きるのか、アジアと世界への影響はどの程度なのかなど、中国の未来展望はすべての国々にとってあらゆる意味で切実である。
呉国光氏の『次の中国はなりふり構わない「趙紫陽の政治改革案」起草者の証言』(産経新聞出版)はこうした問いに適切な示唆を与えてくれる。カナダ在住の氏は、中国共産党機関紙「人民日報」の評論部編集主任を経て1987年、趙紫陽総書記の下で「中共中央政治体制研究の討論チーム」の一員となる。
当時趙は胡耀邦総書記の失脚を受け、後任として総書記(代行)に就任したばかりだった。趙も89年に失脚し、2005五年の死まで16年間、軟禁生活を強いられたが、趙はテープ30本分の回想録をひそかに残した。生々しい路線闘争の回顧の中で、呉氏が趙のチームに入った当時の情勢を趙は、「改革開放の推進を再度強調し、左への揺り戻しを食いとめようと試み、思想の硬直化を批判した」「左派の動きをどう牽制するか、その対応策を案出するのに精力と集中力の大部分を費やした」と描写している。
趙が社会の自由化なしには中国の未来はないと考えていたことは、回想録からも呉氏の著書からも明らかだ。趙は肉声でプロレタリア独裁の国々の大多数が歴史から消えていったと振り返り、「西側の議会制民主主義体制ほど強力なものはない。現在、実施可能な最高の体制である」と述べ、「国家の近代化を望むなら、市場経済を導入するだけでなく、政治体制として議会制民主主義を採用すべきだ」、でなければ、「権力と金が取引され、腐敗が蔓延し、社会は富裕層と貧困層に分裂するだろう」と予見した。
呉氏は趙を失脚させた鄧小平の専横を「毛沢東の独裁も顔負け」と断じ、趙失脚後の中国は政治改革を拒み続けいかなる改革もやめて、展望のない袋小路に立ち至ったと分析する。
改革をやめた中国が89年の天安門事件と趙の失脚以降、社会の安定化のために採用した手法を、呉氏は4つに分類する。
(1)締めつけ強化、(2)甘い汁の懐柔策、(3)精神の買収、(4)制度改革である。
(1)についてはすでに中国政府は世界第2となった軍事費を上回る予算を国内治安対策費に充てるに至った。
(2)は、89年以前は農村部を対象としていたが、89年を境に、それは都市部の組織幹部、インテリ、地方官僚、企業家、そして外国人などに集中したという。代表例が、資本家の共産党入党である。本来、労働者の党である共産党に資本家を入党させ、経済成長と党の利益の一体化体制に、とてつもない数の人びとが群がる状態を創り出し、社会の安定の政治的基礎につなげたという説明だ。
(3)は日本に数多く作られつつある孔子学院を考えればよい。
(4)は立法、行政、司法のあらゆる分野で体制の長を共産党幹部が占めるということだ。一例が裁判長の任命は共産党が行い、司法側はそれを追認する仕組みをつくったことである。
こうして89年以降、中国は経済成長を成し遂げ、社会を安定させた。この手法が機能したと彼らが信じるが故に、もはや改革はないというのだ。しかし、政治改革なしの経済改革は趙の予言通り、貧富の格差拡大、法治を踏みにじる不公正社会の出現などを生み出し、問題はかえって悪化した。呉氏がこの先に予見するのは、社会の不満の行き着く先としての革命の勃発である。その間、中国共産党の体質が決して変わらないことを、日本は肝に銘じなければならない。