特別対談 台湾総統 陳水扁氏 「 中国の罠にはかからない 」
『週刊新潮』 '05年8月11・18日号
日本ルネッサンス 拡大版 第177回
櫻井 このたびはありがとうございます。
陳 こちらこそ。わざわざ台湾にお越しいただき、ありがとうございます。
櫻井 昨年の総統選で受けたお腹の傷は如何ですか。
陳 傷跡ははっきり残っていますが大丈夫です。
櫻井 どうぞお大事になさって下さい。総統になられた2000年にお会いしました時、総統は、中国に強い警戒感を抱いておられました。その後、中国の軍事的脅威はより深刻になっています。今年、台湾の野党の国民党と親民党の党首が脅威を増す中国に相次いで訪れたことをどう思われますか。
陳 多くの方がご存じのように、これはあくまでも中国の統一戦争、統一戦略の一環です。もちろん両岸(中国と台湾)関係に関して大いに接触をし、対話を交わすことは結構なことです。対話によって多くの誤解を回避出来るからです。
しかし、3月14日に中国は反国家分裂法を成立させ、国際的に多くの非難を浴びました。その非難を緩和させるために、両党首の訪中を演出したのだと思います。
一方、野党のお二人にとっては、あくまでも党内部のニーズがあったと思います。国民党報道官は、訪中の理由に関して、08年の総統選で政権奪回を果たすことが目的であると語っています。国民党と中国共産党は、和解し、共存出来るが、民進党には出来ないとも語っています。
第二野党の親民党の主席(宋楚瑜氏)は、両岸問題を梃子に、もう一度政界での足場を固めたいとの考えがあります。国際社会の理解を得たい中国側と、お二方の利害が合致したのだと思います。
台湾政府は、お二人が中国大陸に行くことを法律的に止めることは出来ません。しかし、彼らが結んだ合意はあくまでも国民党、あるいは親民党と共産党のいわば、私的な党と党の取り決めにすぎません。お二人の訪中は結果として、台湾2,300万人の国民が、自分たちの道がどこにあるべきと考えているかをはっきりとさせたと思います。
櫻井 同感ですね。取材をして、訪中した二人の党首、国民党の連戦氏と親民党の宋楚瑜氏の政治生命は終わったと言う台湾の人たちが思ったより多いのに大変深い印象を受けました。
また、7月16日の国民党主席選挙でも、中国との統一を望む人たちへの受けを狙った発言を繰り返した王金平立法院長が大差で馬英九台北市長に敗れました。この結果は、台湾の人々が、統一よりも現状維持を望んでいるということをはっきり示したと感じました。統一を迫り、独立は武力で阻止する構えの中国に対し、陳総統は具体的にどのような政策を進めていかれますか。
陳 私たちは、中国との話し合いを放棄しているわけではありません。チャンスがあれば、北京当局、中国政府と協議、話し合いを致したいと考えております。
2月19日の日米安保会議(2プラス2)の中で、台湾問題が日米両国の共同戦略目標であり、平和的に解決したいという合意が確認されました。これはこの十何年なかった日米両国の重要な意思表示です。
台湾海峡、あるいは両岸問題の解決には、いかなる武力、非平和的手段も用いてはなりません。台湾は主権独立国家であり、台湾の主権は2,300万の台湾国民のものです。現状のいかなる変更も、全てこの国民の判断に委ねるべきです。
「これは中国の危機だ」
陳 非常に遺憾ですが、中国は反国家分裂法を制定して、非平和的な手段、武力を用いて両岸問題を解決しようとしています。そのような政策は2,300万の台湾国民の自由意思を無視するもので、民主主義をもないがしろにするものです。私たちは、台湾海峡の平和的な現状を守り抜きたいと考えています。
いかなる民主主義国家においても、三権、行政権・司法権・立法権は相互に独立しているものです。しかし、反国家分裂法では、三権一体となります。言いかえれば、反分裂法があれば、中国政府は、立法者にも、審判者にも、執行者にもなるのです。
櫻井 5年前にお会いした時と現在を比べますと、中国は現在の方がより攻撃的になっています。例えば日本に対しては、明確に東シナ海の資源を奪おうとしています。アメリカが台湾問題に武力で介入したりすれば、核兵器を使ってでも台湾を掌中におさめるとさえ中国は言い始めました。中国の姿勢が非常に強くなっていることについては、どうお考えですか。また日米両国の役割についてはどうでしょうか。
陳 (中国が攻撃的になっていることは)多くの人が感じていると思います。それは、あくまで中国側の空気で、決して平和的な空気ではありません。誤解している人がいるかもしれませんが、今は中国のチャンスではありません。中国の危機なのです。また、同時に、これは台湾だけでなく、日本、アメリカ、アジア太平洋、ひいては全世界の脅威でもあります。
世界経済はグローバル化していると同時に、地域経済化している。中国の強い吸引力は、世界のいかなる国にも大きなインパクトを与えます。世界の資金、技術や人材が中国に集まり、中国の経済力が高まるにつれて、その経済力が軍備拡大に繋がるのです。中国の軍事的脅威を感じながらも、多くの国が直接的、間接的に、皮肉にもそれを手助けしているのが現状です。
中国の軍事的台頭によって、真っ先に被害を受けるのは台湾です。中国は反国家分裂法によって、台湾併合のための法的根拠を整えたようなものです。台湾は、中国と軍事競争をすることは全く考えていません。が、自己防衛能力だけは備えなければなりません。どのように有効的に自己防衛し、相手側を制止するのか、非常に重要な課題です。
櫻井 日本にとっても非常に大きな問題です。
陳 台湾と日米との間ですが、軍事交流、あるいは軍事的協力がぜひ必要だと考えています。正式な外交はありませんが、何らかの形で出来るはずです。
そのことは日米両国の国益に資することでもあり、西太平洋で共存するためには、是非必要なことです。仮に台湾が香港のように特別行政区となった場合、台湾海峡は即、中華人民共和国の内海になり、中国海軍は、そのまま第一列島線を突破することになります。日本の生命線の台湾海峡も危機に直面します。
櫻井 第一列島線とはアリューシャン列島、千島列島、日本列島、沖縄諸島、フィリピン群島を結ぶ線で、中国が支配を確立しようとしている海域ですね。その野望を持つ中国に備えるためにも、日本では、総統が仰るように日米台三国が協力しなければならないという意見が強くなっています。このような考えは自民党内に限らず、民主党内にもあります。外務省の中国政策も少しずつ変わりつつあります。日本の微妙な、しかし重要な変化を、総統はお感じになりますか。
陳 日本の変化の雰囲気は感じていますし、非常に感謝もしています。日本もアメリカも、反国家分裂法に抗議し、反対している。そして、フランスをはじめEU諸国は、中国への武器輸出を凍結している。もしEUが凍結を解除したら、EUは反国家分裂法を支持し、非民主的な中国が武力で問題を解決することを支持することになります。
大陸投資への警鐘
櫻井 日・米・台湾の三者会談は、長年行われてきたと思いますが、第一期ブッシュ政権の時に、米・台の水面下の対話が不十分だったと聞きました。意思の疎通の不足が摩擦を生み、それがアメリカの不満となって、台湾に対して、独立を支持しないなどを含む、厳しい物言いになったと。それは事実でしょうか。米台間の意思の疎通は今、改善されているでしょうか。
陳 過去の一時期において、確かにそういう緊迫した状況はございました。その後、
相互信頼を醸成いたしましたので、現在は非常に良好な状況にあります。
櫻井 陳総統はブッシュ大統領にどのような感情を抱いておられますか。
陳 ブッシュ大統領には感謝しています。特に01年、ブッシュ政権が誕生した時に、すぐさま台湾に対する武器販売を許可してくれました。そして、台湾の安全に対しても、常に関心を持ってくれております。それから、02年の1月1日、台湾がWTOの第144番目の会員になれたことも、大統領のバックアップがあったからです。アメリカは、台湾にとりましては、最も誠実な友好国であり、そして、ブッシュ大統領は、台湾2,300万国民の友人であると考えています。
櫻井 ブッシュ大統領が武器輸出を了承したのは存じておりますが、肝心の台湾の側の軍事予算はなかなか議会を通らない。見通しはいかがですか。
陳 それは次の立法院で通過出来ると思います。
櫻井 今年中でしょうか。
陳 そうです。武器購入の案は私が総統になってから提出したものではなく、国民党時代からのものです。国家の安全は全国民の問題であり、朝野の隔たりがあってはなりません。幸いに7月16日、国民党の新主席が誕生しましたので、おそらく、政局はこれから少し安定すると思います。
櫻井 経済問題に移りたいと思います。台湾を代表する実業家の許文龍氏は、強力な陳総統の支援者で、熱心な台湾独立派でした。しかし、その人物が、独立反対という一種の転向声明を発表しました。許文龍氏の件の衝撃や、中国の反日暴動もあって、日本では、中国への投資、ビジネス関係を見直す動きが出てきました。30%を超える経営者が、中国への新しい投資を考え直すという結果も出ています。台湾の中国投資について、総統は、かつてのように制限を設けることはお考えですか。それとも経済交流は逆戻りすることは出来ないとお考えですか。
陳 台湾は巨大な吸引力を持つ中国への依存度が強まり、多くの資金と人材が中国へ流れています。心配なのは、台湾経済が空洞化し、根幹まで持って行かれるのではないかということです。
中国は一般的な国ではありません。台湾に敵意を持ち、武力行使の考えも明らかです。東南海沿岸には、706基ものミサイルを設置して台湾を狙っています。台湾はそのミサイルの脅威を受けながら商売もしなければならない、非常に矛盾した現状です。利潤追求がビジネスです。それはよくわかっています。しかし、あくまでも相互信頼がなければなりません。
私たちは通商を積極的に開放して、有効的に管理する方針をとってきました。しかし、今は、開放よりもその後段の有効的管理の方が肝心だと考えています。過度な中国熱は適度に冷めてほしい。台湾ビジネスマンに対しても、これまでの優遇政策は少しずつ減らしております。中国の吸引力も少しずつ弱まっているはずです。大陸に進出したビジネスマンが台湾に戻って投資するだけでなく、他国の市場にもっと目を向けてほしい。東南アジア、インド、南米……いずれも投資市場としては妥当な場所だと考えています。
中国を怖がってはならない
櫻井 許文龍氏についてはいかがですか。
陳 これは中国大陸が圧力をかけた結果です。許文龍氏の声明は、台湾で100万人が反国家分裂法反対デモに参加する、その直前に出されました。デモに冷水を浴びせる狙いだったのが、逆効果でした。
櫻井 といいますと?
陳 むしろ、中国投資はどれだけの政治リスクを負わなければならないのか、という警戒感を多くのビジネスマンに改めて植えつけました。
台湾を最も愛している許文龍氏でさえ、中国政府の圧力の前には、やむを得ず、あのような声明を出さなければならない、という実例を示したのです。
企業家にあんな処置をとった中国政府が、では台湾の農民に対して何をするのか、心配です。中国政府は、台湾の農産物を輸入したいと言い始めましたが、台湾の農民が中国政府の意のままになるようなことは絶対あってはなりません。
私たちは、台湾のすばらしい農産物を、日本にこそ売りたいと思います。目先の利益だけを見て、中国大陸へ売る、そのような罠にはかかりません。
櫻井 中国熱を冷ますために、台湾政府は何か政策を変更したでしょうか。それともそれは個々の企業に任せていますか。
陳 台中貿易を有効的に管理することに関して、具体的処置をとっています。開放しようとしていた投資項目で、再考中のものは多くあります。ハイテク技術など、重要なコア技術の開放は、特に慎重にします。
櫻井 日台間の非常に大きな問題として新幹線があります。日本にとって同プロジェクトの成功はとても大事です。中国に売らなかった技術を台湾に買っていただいた。是非成功させなければなりません。しかし、日本の技術で成り立つ新幹線の仕組みに、ドイツの技術を入れたりして、大変な困難に直面していると聞きました。
陳 ヨーロッパ規格から日本規格になったということなので、技術的には何か問題があるかもしれません。しかし、それは克服出来ない問題ではありません。日本と台湾はこれからも積極的に多方面で交流、協力していきたいと思います。
櫻井 新幹線は両国の協力関係の象徴の一つです。是非、成功させていただきたいと思います。ところで中国での激しい反日デモについてはどう思われますか。
陳 歴史認識の落差と、多分野での構造的な相違が原因だと思います。あくまで前向きになってほしい。問題は、すぐに100%解決出来ないかもしれませんが、
自ずと和らいでくると思います。中国の反日感情は、短期間で解決出来る問題ではないと考えています。
櫻井 日本にもようやく中国に物を言う動きが出始めました。今までは謝ってばかりでしたが、きちんと日本の立場を主張しようという姿勢です。
陳 非常に正しいことだと思います。日本は、あくまでも日本であっていただきたい。そして日本が中国を怖がらなくなった時に、初めて中国は日本を尊重すると思います。
櫻井 その時に初めて、日本は民主主義と自由を共有する台湾に、真の意味で強い助力の手をさしのべることが出来ると思います。
陳 台湾は日本のことを本当の友人であり、永遠の友人であり、最後の友人であると考えています。
櫻井 台湾の未来を台湾人が決めるのは当然です。その当然のことを国際社会が認める日が早く来ますように。