「 韓国元首相の厳しい歴史批判 横行する歴史の捏造と歪曲 日本に必要なのは情報外交力 」
『週刊ダイヤモンド』 2005年6月25日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 597
約2ヵ月ぶりに韓国を訪れたが、この国にはいつも驚かされる。お会いした金鍾泌(キムジョンピル)元首相が、日本の歴史を次のように難詰したのだ。
「日本は南京で30万人を虐殺した。その事実がなかったとは言わせない」と。
上の前段として、靖国神社参拝問題があった。
「A級戦犯を合祀する神社に参拝するのはけしからん」との指摘に対し、年長者で往時の日韓外交の主役の一人でもある元首相に、私は十分な敬意を払いつつも、事実関係を指摘した。
“A級戦犯”の合祀は1978年秋、その新聞報道は79年春だった。時の首相大平正芳氏も、次の首相鈴木善幸氏も参拝したが、中韓両国はまったく抗議しなかった。82年11月に首相に就任した中曽根康弘氏も参拝したが、中韓両国は抗議しなかった。初めて抗議が始まったのは85年8月になってからだ。
79年以来6年以上も抗議しなかったのは、当時、中国は旧ソ連と対抗するのに忙しかったためだ。米国と国交を結び軍事的にソ連に備え、鄧小平(とうしょうへい)の改革開放路線を支えるために日中平和友好条約の締結を急ぎ、日本のODA(政府の途上国援助)資金を得た。加えて、鄧小平は「軍事費をGNP比2%にせよ、ソ連から北方領土を奪還せよ」と日本に“助言”。日本は中国とともにソ連に対抗せよとの意味だ。国益に合致すれば、中国は日本に軍事力増強さえ求める。靖国問題などかすりもしない。今、靖国を問題にするのは、それこそが国益に適(かな)うからだ。
だから、靖国批判は歴史認識というより政治そのものではないのかと私は指摘した。そのあとに飛び出したのが冒頭の発言だった。それにしても、南京虐殺30万人説は容認出来ない発言だ。怪訝(けげん)な表情をすると、「中国人が言っていますよ。南京の人口は60万人いたのに、日本軍に30万人殺されて半分になったと」。これではまともな議論は成り立たない。このような根拠のない誇大話を、かつて日韓関係の枢軸を担った人物が語ることに、私は深い失望を禁じえなかった。氏が、韓国内でも有数の知日家として評価されていることを思えば、失望は絶望に近くなる。そうした人物の歴史認識がこれなのかと。そして、あらためて、南京事件がどのように創られていったかを思わざるをえない。
中国は、日中戦争が始まる前から情報戦の重要性を知っていた。国民党中央宣伝部の国際宣伝処(所)の処(所)長を務めた曾虚白は、後に蒋介石(しょうかいせき)とともに台湾に逃れたが、曾が書き残している。「国際宣伝においては中国人は絶対に顔を出すべきではなく」「国際友人を捜してわれわれの代弁者になってもらわなければならない」(『「南京事件」の探究』北村稔著・文藝春秋/43ページ)。
曾は「理想的」な人物を探し当てた。オーストラリア国籍で英国「マンチェスター・ガーディアン」紙の特派員、ティンパーリーである。
「われわれは手始めに、カネを使ってティンパーリー本人とティンパーリー経由でスマイスに依頼して、日本軍の南京大虐殺の目撃記録として2冊の本を書いてもらい、……」(同)
この2人の本が、南京や東京での軍事裁判の決定的な証拠となって南京大虐殺事件が仕立て上げられていった。“百人斬り競争”も同様だ。
そして今、韓国の元首相までもが、南京の人口は60万人だったのが、日本軍が殺して30万人に減ったのだと憤る。歴史の事実を学ぼうともしない金氏を責めるより、歴史の事実を周辺諸国と国際社会に知らせる努力を、日本の政治家や外交官が長きにわたってあまりにも怠ってきたことを、私は憤る。そのことへの反省と、情報外交の充実なしには、日本の未来は開かれない。靖国問題で築かれつつある日本包囲網も、情報戦争そのものなのである。