「 『朝日』の糾弾とは裏腹にきちんと読めば内容の妥当さに納得する扶桑社の歴史教科書 」
『週刊ダイヤモンド』 2005年5月21日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 592
韓国政府も中国政府も、自国内の反日デモの背景に扶桑社の歴史教科書があると指摘した。“歴史の加害者の日本”がいまだに反省せず、“侵略を美化”して教えようとしていることに、中国人も韓国人も傷ついているという非難だ。
日本国内では、中韓両政府の主張に対して、特に「朝日新聞」が同調してきた。「朝日」は扶桑社の歴史教科書がよほど不満らしく、「こんな教科書でいいのか」(4月6日付)などの題で社説を書き、非難を続けてきた。
だが、きちんと読めば、同社の中学生用歴史教科書はなかなかよくできている。中韓両政府や「朝日」の糾弾とは裏腹に、その記述はきわめて妥当である。たとえば、満州事変のくだりである。同教科書は「1931(昭和6)年9月、関東軍は、奉天(ほうてん)(現在の瀋陽(しんよう))郊外の柳条湖(りゅうじょうこ)で、満鉄を爆破し、これを中国側のしわざとして、満鉄沿線都市を占領した」と、日本側の非を認めている。
一方、日本を戦犯とした東京裁判については一ページを割き、以下のように記述している。
「国際法上の正当性を疑う見解や、逆に世界平和に向けた国際法の新しい発展を示したとして肯定する意見があり、今日でもその評価は定まっていない」
事実はそのとおりであり、中韓両政府や「朝日」が非難する「日本の侵略を美化する」記述では、まったくない。軍国主義を肯定するおどろおどろしさもない。むしろ、東京裁判は国際法違反という立場から見れば、同裁判の違法性をもっと書いてもよいとさえ思う。それでも、扶桑社の教科書は、よくバランスが取れていると思う。
さらに、これまでほかの出版社の教科書があまりにも蔑(ないがし)ろにしてきた日本の歴史の本当に重要な部分を、扶桑社の教科書はていねいに書き込んだ。一例が、大和朝廷から律令国家の形成に至る聖徳太子の時代の記述である。わずか19歳で伯母推古天皇の摂政となった太子が、アジア諸国で初めて中国と対等な外交関係を結んだ経緯が詳しく書かれている。
「日出(いず)る処(ところ)の天子、書を日没(ぼつ)する処の天子に致す。恙無(つつがな)きや」と書いたあの有名な手紙は、隋(ずい)の皇帝煬帝(ようだい)を怒らせた。天子、つまり皇帝は中国ひとりに許された称号であるのに、波の彼方の東の小国が何を言うのか、という中華思想の怒りである。
だが、太子はひるまずにまたもや書いた。「東の天皇、敬(つつ)しみて、西の皇帝に白(もう)す」と。
「天皇」の称号の始まりである。天皇は天子であり皇帝であり、天子と比べても皇帝と比べても堂々たる対等の称号である。怒る隋にひれ伏すのではなく、再び、日本は対等であると書き送った太子の外交を、隋は受け入れ、日本国と天皇を認めた。
朝鮮半島(高句麗(こうくり))との戦いに臨もうとしていた状況下で、大国隋といえども、日本が高句麗に味方して隋に敵対する状況は避けるであろうとの太子の外交政策の分析が当たったのだ。小泉純一郎首相の信念なき対中外交とは雲泥の差である。こうして日本は、七世紀以来ずっと、中国と対等の関係を築き上げてきた。
時代を下って、「明治維新とは何か」の部分もおもしろい。「ある階級が他の階級をたおすという、ふつうの意味の革命ではありません。武士たちの望みは、日本という国の力をよびさますことだったのです」という文章をモーリス・パンゲの『自死の日本史』から引用し、明治維新は武士たちの自己犠牲によって実現した、世界に類例のない改革だったと教えている。
ここには歴史を学ぶうえで重要な、祖国に対する温かいまなざしがある。子どもだけでなく、親たちにも読んでほしいと私は感じている。