「無線封止」の神話は完全崩壊、奇襲は読まれていた!「 『真珠湾の真実』をまだ信じない人たちへ 」
『諸君!』 2001年9月号
終戦特集 破られた「歴史の封印」
「民衆の一部を一時期欺くことはできるかもしれないが、全ての民衆をいつまでも欺き通すことは不可能である」というリンカーンの言葉を捧げたい
ロバート・スティネット(ジャーナリスト)
妹尾作太男(戦史研究家)
田久保忠衛(杏林大学教授)
櫻井よしこ(ジャーナリスト)
「無線封止」は虚構だった
妹尾: 『真珠湾の真実――ルーズベルト欺瞞の日々』の日本語版がこのたび文藝春秋より拙訳で刊行され、著者のロバート・スティネットさんが奥さんとともに来日されました。今日はスティネットさんを囲んで、本書に対する内外の批判や疑問に答えるとともに、現代史最大の謎であるルーズベルト大統領とパールハーバー奇襲の関連、そして太平洋戦争(大東亜戦争)の起源にさかのぼりつつ、あの戦争が日米双方の歴史にどのような影響を与えているかを議論したいと思います。
櫻井: 私は、昨年の9月にこの本の解説を書いている中西輝政さんが、スティネットさんの本を激賞していたので、早速英語版を購読しました。
1942年6月のミッドウェー海戦の前頃までは解読されていなかったとされていた日本海軍の暗号が、実は真珠湾攻撃前から解読されており、しかも、ハワイ攻撃の南雲艦隊が無線封止を守らず、しばしば電波を発信していたために、その航跡をアメリカ側は察知していたとの指摘(第5章「見事な配備」、第12章「無線封止神話の崩壊」)に先ず驚愕しました。そして、ハワイに派遣されていた日本海軍のスパイ吉川猛夫の動向も従来の定説ではアメリカ側は知らなかったというものでしたが、実はそうではなくてすっかり把握されていた(第6章「あのスパイは泳がせろ」)という、今まで秘匿されていた数々の歴史的事実が明るみに出され、興奮しながら一読しました。
その一方で、いまなお「卑劣な騙し討ち」を日本がしたために、広島や長崎の原爆投下も止むを得なかったとみなす向きが日米双方に少なくないのですが、そういう歴史認識の過ちを是正するためにも、こういう本は少しでも多くの日本人に読んでもらいたいものですが、向こうではどれぐらい売れたのですか。
スティネット: 米英では20万部と聞いています。
田久保: 元国防省の高官で日本をよく知っている某氏とあるところで一緒になった時に、「この本に書かれていることは本当だよ。子供の頃父親から『ルーズベルトは真珠湾が奇襲されることを知っていたんだよ』とよく聞かされたんだ」と彼が語っていたのが印象的でした。
確かに、スティネットさんの本には、アーサー・マッカラム少佐による「対日戦争挑発行動8項目」とも呼ぶべき文書の発掘(第2章「裏口からの参戦」)など、数々のスクープがなされています。
しかし、従来の戦史研究家の中には、そうした「マッカラム文書」も、たかが少佐が提案した文書であって大したものではなかったし、日本海軍の暗号は1941年当時はまだ解読されていなかったとか、南雲艦隊は無線封止を厳密に守っていたと抗弁している人もいますね。
スティネット: 真珠湾攻撃の第一航空艦隊(機動部隊)の航空参謀であった源田実少佐には、生前、手紙を出して取材をしたことがありますが、「日本を出発した時点から真珠湾を攻撃するまで、日本の艦艇は全く無線通信を行わなかった」と断言していました。
一方、米軍も、「日本のあらゆる情報源を探しても、機動部隊はオアフ島へ接近する間、完全な無線封止を守ったという証拠しかない」(テルフォード・テイラー陸軍情報将校)と語っています。
しかし、わたしは南雲司令長官たちが潜水艦隊の司令官と頻繁に交信していた事実を本書で公開しています。例えば、清水提督は旗艦香取で、ハワイに向かっている艦隊随伴潜水艦30隻及び潜水母艦を指揮していましたが、絶えず無線封止を破っていたために、米海軍の無線方位測定機が彼の航跡を追跡していました(第4章「ハワイ空襲警戒警報」、第10章「マルタ皇太子妃との夜」)。こうした無線は、ハワイにあるハイポ局やフィリピンのキャスト局などのアメリカの通信傍受機関によって傍受されており、無線封止が行われていたというのはまったくの虚構です。
私の本が出て以来、当時の日米双方の海軍将官たちが、改めて「そんなはずはない」と必死になって否定しようとしています。でも、その主張は私が発掘した機密文書と完全に矛盾している。
櫻井: 何故、彼らは無線封止という「神話」に、こだわるんでしょうか。日本側にしても、そうした無線封止が事実ではなかったと証言する人が出てくれば、逆説的にも真珠湾奇襲が決して「卑劣な騙し討ち」ではなかったことの証明になるはずではないですか。そうなれば、東京裁判も今までと異なる位相でとらえ直す必要が出てくるでしょう。
スティネット: 日本が降伏した際に、軍関係者とアメリカ側との間で無線封止の神話を守るという密約を交わしたのではないでしょうか。通信傍受に関する事柄は今も昔も軍事上最高機密に属するからです。アメリカ側は住居などの経済的特典を彼らに与えることによって口封じをしたのかもしれません。
意見の一致した嘘が「戦史」
田久保: 無線封止に関しては、文藝春秋臨時増刊『太平洋戦争日本航空戦記』の「われ真珠湾上空にあり」という座談会の席上、淵田美津雄(中佐)が、「南雲長官はすごく臆病もので、前日に敵の潜水艦がついているにちがいないから、飛行機出して捜索をやろうと言うんだ。そんな、いまごろ飛行機を出してまた電波が出たりして、ややこしい。やめておきましょ、潜水艦がついておるんならついておるでしようがない、急いで沈めることもないし、放っておきましょうとぼくが言うので、長官も不服だったけれどもやめておったね。ただ、前におる潜水艦が心配になって、お前はどこにおるや言おうと、電波だしたんや」と証言しています。
つまり、連合艦隊に先立って真珠湾に向かった味方の潜水艦と連絡を取らざるをえなかったのです。また南雲に仕えていた空母赤城の長谷川艦長も日記で無線封止を破った事実を記録に残していると言われている。この日記の写しが防衛研究所にあるそうですから、日本も情報公開すべきです。もちろん、削除や改竄なしに、です。人によっては無線封止を破ったと書いてあった、いや書いていないとか情報が混乱しているので、どうしても公開が必要です。
いずれにせよ、真珠湾攻撃部隊が完全に無線封止を行なっていたというのは「神話」でしかないのに、未だに厳守されていたと強弁する日米双方の旧海軍関係者やオーソドックスな歴史研究家のメンタリティには理解しがたいものがあります。
源田実氏には私も生前、この問題で質問したことがありますが、強弁の典型でした。諜報戦に負けたとの認識がないまま今の日本が続いている。
スティネット: 南雲はハワイに向かう途中で嵐のために給油艦などがはぐれてしまい、そのために低出力の短波で集合命令のメッセージを送っています。それだと、本来なら数千マイル離れているアメリカの太平洋岸の傍受基地には届かないのですが、デリンジャー現象がちょうどその時に発生して、太陽の黒点の影響で電波が拡散してしまい、その短波をアメリカがキャッチしたわけです。先ず、ハワイのハイポ傍受局。そしてサンフランシスコ、アラスカの傍受局です(第13章「きわめて安い代価」)。
妹尾: 当時の無線方位測定は不正確であったから、南雲艦隊がたとえ電波を出したところで、その位置を測定するのは無理だという意見があります。確かに一か所だけで傍受したならば不正確な場合もありますが、三か所で傍受したならどんぴしゃりですよ。
それと、この本で紹介されている傍受電報の中には赤城などが日本国内にいるように見せかけるための偽電が入っていて、それもカウントしているのはおかしいという批判がありましたが、そんなことはアメリカ側は承知ずみです。何しろ送信側と受信側とが同じ発信機を使っているということを見抜くのは、ベテランの米海軍傍受電信員にとっては簡単なことだったんです。だから、アメリカは日本の偽電を傍受しても、「独り言を言っているかのようであった」と認識していたわけです(第12章「無線封止神話の崩壊」)。そんな単純な偽電工作で未だにアメリカの裏をかいたつもりでいるのはノーテンキもいいところです。
櫻井: アメリカの軍関係者が、無線封止の嘘を暴露したくないのは国益上のことでしょうが、なぜ日本側もそれにみすみす迎合してしまうのでしょうか。
スティネット: 実際には打電した通信科員がいたはずですし、将校や司令長官も関与していたはずです。
櫻井: それなのに皆な口をつぐんでいる。
スティネット: アメリカも同じようなものです。我々は「欺瞞という同じ船」に乗っているともいえるわけです。その欺瞞から解放するためにも、私は「情報の自由法」に基づいて、10数年にわたって真珠湾関連の文書の公開を米海軍やFBIなどに執拗に求めつづけたのです。海軍の方は私たちの度重なる要求にウンザリしたらしく、インディアナポリスの史料倉庫にあった史料を、1993年に国立公文書館に譲渡したのですが、どうやら根負けしてやっと一部公開してくれました。マイクロフィルムではなく生の文書ばかりで、テレビカメラの監視の中、入念に読破していきました。そういう過程で、1995年になってマッカラム文書を偶然発見したのです。公文書館の中で50年以上も誰も手にしていないためか、ほこりにまみれて束ねられていた古い文書を繙いていった時に出会ったのです。そういった文書を妻と一緒にコピー機に並んで次から次へとコピーしていきました。
妹尾: 「情報の自由法」があっても、スティネットさんのように情熱を持って行動しないと、アメリカといえどもなかなか公開はしてくれないのでしょう。残念ながら、「戦史というのは意見の一致した嘘を集めたもの」という言葉がありますから。
田久保: スティネットさんの調査によると、海軍通信部長のリー・ノイズ少将が、真珠湾攻撃以前に傍受した日本の軍事及び外交暗号電報などを54年間公開しないという検閲規定を定め、「文書または文書化されたものはすべて破棄せよ」と命令したということですね(エピローグ――「文書はすべて破棄せよ」)。
スティネット: そのとおりです。破棄されたというのが公式の見解です。しかし、実は存在しているのです。1941年7月15日から12月6日の間に14万数千通の通信文が日本海軍によって打電されたと見ています。それらの記録は検閲のために未だに秘密です。日本でも同様です。
妹尾: 映画や映像などで、日本海軍がいかに無線封止をしていたかということで、電鍵をテープで封印したりしているシーンがありますが、それは作り物でしかない。「ニイタカヤマノボレ1208」もハイポ局で傍受している事実があるのに、真珠湾にいた太平洋艦隊情報参謀のエドウィン・レイトン(少佐)は、この証言を猫の目のように何度も変えていきます。
例えば、「ニイタカヤマノボレ1208」は、「平文による放送だった」と言ったかと思うと、「ハワイでは受信も傍受もできなかった」「この電文はハワイにはなかった」と変えていき、次には「セイル(シアトル付近の傍受局)で傍受された。ハワイではない」となる。スティネットさんが、彼の存命中にそのチグハグぶりを追及すると、怒りだしてインタビューは打ち切りになったそうですね(第13章「きわめて安い代価」)。
スティネット: そうです。また、ルーズベルトは海軍情報部長のウォルター・アンダーソン大佐を少将に進級させて、太平洋艦隊戦艦部隊司令官としてハワイに派遣しています。彼は米海軍情報部が日本海軍の暗号を解読していた秘密を知る男ですが、彼がハワイに於ける情報監視役となり、レイトンを太平洋艦隊情報参謀に任命したわけです。そうすることによって、彼らがキンメル(太平洋艦隊司令長官)などに吉川猛夫らのスパイ活動の情報も流れないように画策したのです(第3章「ホワイトハウスの決定」)。しかも、彼は何故か、真珠湾基地の軍用居住区を利用せず、ワイキキの名所であるダイヤモンド・ヘッドのマカイ(海)側に家を借りています。真珠湾の海軍基地からは遠く離れている所です。そして1941年12月6日、つまり奇襲前日には陸に上がり自宅に戻っていた。艦に在艦していなかったのです。安全な自宅で、「欺瞞の日」を迎えたのではないかと疑っています。
妹尾: ヒトカップ湾から南雲中将の機動部隊が北太平洋に向けて出発した11月25日(ワシントン時間)の1時間後に、米海軍作戦本部はキンメル宛に「太平洋を横断する(米国及び連合国の)船舶の航路はすべてトレス海峡とする」との電報を出しています。トレス海峡というのはニューギニアとオーストラリアとの間の海峡であり、北太平洋を真空海域にせよとのことだった(第9章「真空の海をつくれ」)。その2週間前にはキンメルが疑心暗鬼のあまり、ハワイ北方海域での日本機動部隊の捜索を命じたのですが、ホワイトハウスは直ぐに中止するよう命令を出しています。こうした事実が何を物語っているかは自明でしょう。
新たな決定的証拠を発見!
田久保: ところで、スティネットさんの今回の本で特記すべきものは、アメリカ版を刊行した後に明らかになった決定的ともいうべき新事実が追記されている点です(「日本版あとがき」)。つまり、コレヒドール島監視局キャストの局長であったジョン・リートワイラー大尉からワシントン海軍省のリー・パーク大尉宛の書簡(1941年11月16日付け)ですが、これを読むと、今までスティネットさんを批判してきた人々の論拠が完全に崩れますね。本来ならこの「日本版あとがき」をトップに持ってくるべきだったと思いませんか。
スティネット: この資料は、2000年の5月に初めて発見したためにハードカバー版には出ていません。ペーパーバック版に掲載する予定だったのが、向こうの出版社の都合で間に合いませんでした。日本版に初めて掲載しましたが、リートワイラーの書簡は、国立公文書館のインデックスにも載っていない史料で、マッカラム文書同様、私がいろいろな書類を収めた箱を調べているうちに偶然見つけ出したものです。
妹尾: パークは、日本海軍暗号解読作業の米海軍全般責任者ですが、彼に対して、リートワイラーがその書簡で「われわれは2名の翻訳係を常に多忙ならしめるのに十分なほど、現在の無線通信を解読している」と1941年11月の時点で書いていることの意味は、もはや明白というしかありません。私は、本書の「監訳者あとがき」にも「リートワイラー大尉の書簡を一読すれば、米海軍が戦前に日本海軍の作戦用D暗号を解読可能だったか否かについて、議論の余地は全くない。換言すれば、ルーズベルトが日本の真珠湾攻撃を、事前にすべて承知していたことは言うまでもない」と書きました。
スティネットさんの日本語版を読む前に、アメリカでの旧版だけをあたふたと読んで、『真珠湾の真実』を批判する本を出した人たちが日本にもいますが、当然、この書簡については何も触れていません。もはや勝負あったというしかない(笑)。
彼らは日本海軍の暗号は、1941年12月1日に呼び出し符号や乱数表も変えたので、真珠湾攻撃前後には絶対に解読不可能と述べていますが、「日本版あとがき」でスティネットさんが指摘しているように、1941年12月2日に海軍大臣嶋田繁太郎からの命令(1941年12月4日以降、海軍暗号Dの一般乱数表第8号を使用し、第7号の使用を停止するものとす)もアメリカ側に傍受解読されていた。しかも、この命令は「一般乱数第8号を未だ受領していない通信隊が国内にはいくつかあるので、それらの隊との通信に当たっては、一般乱数表第7号を使用するものとする」となっていたのです。
つまり、長期間外地で行動中の艦船の中には第8号の乱数表を手渡してはいないものもあるために、第7号と第8号とを併用したわけですが、これでは第7号を傍受解読していたアメリカ軍にとっては、乱数表を変えたところで何の苦もなく、新しい暗号も解読できたわけです。呼び出し符号の変更にしても、各艦の送信機ノイズの特徴はアメリカ側はすでに把握済みでした。これは人間でいうと声紋のようなもので、いくら変えようとしても変えられない。一人の誘拐犯人が複数の声色を使っても声紋を調べれば同一人物と分かるように、呼び出し符号を変えたからといって、各艦の識別が付かなくなるわけではなかったんです。
櫻井: そうした傍受体制はアメリカを中心にして当時のイギリス(シンガポール)やオランダ(インドネシア)やオーストラリア、カナダなども協力しあっていたわけですね。
スティネット: そうです。
櫻井: 中国も関与していたんでしょうか?
スティネット: その決定的な証拠はありませんが、可能性はあります。中国国内で墜落した日本の航空機などから日本の暗号表などを入手して、その資料がアメリカや英国に伝えられていたかもしれません。逆に、マッカラムの戦争挑発計画の3番目にあった「中国の蒋介石政権に可能な、あらゆる援助の提供」の中には、当然、日本軍の暗号解読への対中協力もあったのです。
田久保: 実際、「日本版あとがき」によると、パールハーバー攻撃の際、オアフ島で撃墜された第一航空艦隊所属機から米海軍情報部は物凄い機密資料を入手していますね。日本海軍の主な艦船の機密呼び出し符号一覧表が回収されてしまっている。しかも、暗号解読を日本に悟られまいと異常な努力を米側は常に払ってきた。これに気付かない人が日本側に少なくない。
妹尾: 海軍が通信保全の重要性を理解していなかった証拠です。そんな重要なものを撃墜される可能性のある戦闘機に搭載するのは狂気の沙汰というしかない。
スティネット: アメリカも英国も中国ももはや全員が正直に情報を公開すべき時期なのです。こういう事実が公開されれば世界中のビッグニュースとなるでしょう。
妹尾: 実は、イギリスの諜報機関員であったウィリアム・スティーヴンスンがその著『暗号名イントレピッド』(ハヤワカ文庫)の中で、チャーチルがドイツの暗号を解読していた事実を悟られないために、1940年11月にコヴェントリーが空爆されると分かっていながら、避難勧告も警告を発することもせずになすがままに任せた史実を明らかにしています。
「コヴェントリーを燃えるにまかせた決定がいかにルーズベルトに大きな感動を与えたか…」と記されていますが、恐らくルーズベルトの頭の中に、その時、暗号解読の事実を守秘するためにコヴェントリーを犠牲にしたチャーチルの姿勢が強く印象に残ったのでしょう。そしてチャーチルと同様に、パールハーバーへの攻撃の黙認に繋がっていったのではないでしょうか。
スティネット: コヴェントリーの件については、私はあまり研究をしていないので、チャーチルが箝口令をしいたということに関しては詳しくは知りません。ただ、ルーズベルトは日本への挑発行動の一つとして、巡洋艦を日本の領海に侵入させて挑発するように命じた時には「1、2艦の犠牲は惜しまないが、5、6艦の犠牲は困る」と言っていました。普通、1艦の乗組員は900人です。真珠湾の犠牲者は一般市民を含めて2千数百人でしたから、ルーズベルトにとっては許容の範囲内だったのでしょう。
田久保: しかし、戦艦アリゾナなどの犠牲は、旧式艦だったとはいえ予想外の痛手だったのでしょう。ボクシングでフェイントをかけて一発軽いパンチを誘ったところ、ズシリと重い一発を食らってしまったといったところでしょうか。
妹尾: 当時のアメリカには、日本人が戦闘機を操れるなどとは信じられなくて、ドイツ空軍が真珠湾攻撃に参加したなどという人がいたぐらいですから、ルーズベルトも日本の軍事力を過小評価していたのでしょう。
今も懲りない日本の情報音痴ぶり
櫻井: それにしても、我が国がインテリジェンスとしての情報活動に鈍感なのは、もう染みついた体質といってもいいかもしれません。つい最近も、かつてのABCD(米・英・中国・オランダ)ラインではありませんが、米・英・カナダ・オーストラリア・ニュージーランドの英語圏の5ヵ国が共同して運営し、通信衛星を経由する世界中の電話やファックスや電子メールを傍受している通信傍受機関(暗号名エシュロン)が、日本の外交暗号電文を傍受している事実が明らかになりました。
毎日新聞(6月27日)の報道によると、ニュージーランドの情報研究家であるニッキー・ハガー氏が、その事実を明らかにしたのですが、ニュージーランドのワイホパイの傍受施設が、通信衛星などを経由する日本大使館などの専用通信回線の暗号電文を傍受し、米国から提供されたコンピュータで解読していたということです。これを日本語に堪能な職員が翻訳し米国国家安全保障局(NSA)に送っていたわけで、日本政府が第三国と進めていた石炭売買契約の価格も傍受し、それがニュージーランドの石炭輸出交渉で有利に働いたりしたとも指摘しています。
この報道に対して、日本の外務省幹部は「傍受されたのは簡略な電文だと思う。超極秘の外交電文を解読するのは無理だ。日本の外交機密はしっかりと守秘されているものと確信している」とコメントしていましたが、これって、まるで1930年代、40年代と同じ状況ではないでしょうか。太平洋戦争は情報戦の面でも完敗したというのに、何故、未だに日本はこんなに暢気でいられるのか。アメリカは、戦後も、エシュロンを通じて、自国の国益を守るために情報収集をますますパワフルにやっているというのにです。
スティネット: 私も櫻井さんのお考えに同感です。日本政府や外務省はなぜセキュリティのもっとしっかりした通信手段を確保しないのか不思議です。昔と違い、日本は今やアメリカに電子製品を輸出する高度な電子国家ではないですか。やろうとすればやれるはずです。ハッカーもはびこる時代だし、自国の通信の秘匿性を守るのは国家の務めであるのに、日本は何故そういう防護策を講じないのか。とりわけ、1941年の段階でそうしなかったのか。他国が耳をそばだてて日本からの情報を傍受解読していたのはもはや明白な事実なのです。当時の日本とて、アメリカ側の通信を傍受し解読しようとしていたではないですか。
田久保: 本書の134~135ページ(地図)に表示されている米(ハワイ、フィリピン)、英(シンガポール)、加(エスクィモルト)、蘭(バタビア)等の太平洋各所に配備された諜報無線局と、今日のエシュロン受信施設の太平洋地域の配備(米・ハワイ、グアム、豪のジェラルトン他、ニュージーランドのワイホパイ等)とはうりふたつです。しかも、今は日本国内の三沢にも米軍の傍受施設があるんだから(笑)。
妹尾: 今は日本とアメリカは同盟国ですが、それであっても、日本の国家機密などをアメリカは「合法的」に入手しようとしているわけです。いわんや、1941年前後は「敵国」どうしでしたから、必死になってアメリカは日本の国家機密を盗もうとしていたわけです。その事実が判明したというのに、未だに、情報は盗まれていなかったと抗弁する人たちがいるのは滑稽というしかありません。
謎の死を遂げた真珠湾研究家たち
田久保: 今年は日米開戦60周年ということで、映画の「パール・ハーバー」も封切られ、日本でもパールハーバーに関する書物が書店を賑わしています。しかし、やはり圧巻なのがスティネットさんの本ですね。文藝春秋からは20年前にジョン・トーランドの『真珠湾攻撃』が上梓され、10年前には英国官立暗号学校の日本課や英国極東連合局主任暗号官もやったエリック・ネイヴと元英国諜報機関員だったジェイムズ・ラスブリッジャーの『真珠湾の裏切り――チャーチルはいかにしてルーズヴェルトを第2次大戦に誘い込んだか』という本が出ています。この2冊は、スティネットさんの本と同様に、ルーズベルトらがいかにして日本に先制攻撃をさせようとしたかを追究したノンフィクションですが、スティネットさんにも少なからぬ影響を与えたようですね。
スティネット: ええ。妹尾さんのお名前はトーランドから聞きましたし、ジェイムズ・ラスブリッジャーとも会いました。
田久保: 『真珠湾の裏切り』の謝辞の中で、ラスブリッジャーが「過去数年真珠湾関係の資料を交換していた」として、あなたの名前を出していますね。
スティネット: はい。彼は英国