「 累積債務4兆5000億円『本州四国連絡橋公団』は日本のお荷物 」
『週刊新潮』 2001年6月21日号
櫻井よしこ告発シリーズ 第7回
「住宅公庫を民営化」
「本四公団は廃止へ」
6月9日の『日本経済新聞』が朝刊1面トップで報じたこの記事は、小泉政権の特殊法人見直しの決意をまたまた具体的に示す内容だ。
郵政3事業の民営化論者である小泉首相は、首相就任後、住宅金融公庫、日本道路公団などの名前を個別に挙げ、民営化への道筋を拓くよう、指示を下してきた。
5月25日には「民営化できるところは民営化する」との首相の発言が報じられ、本四公団や年金資金運用基金などの統廃合の検討はすでに指示済みとの情報も報じられた。
波状攻撃のように繰り出される特殊法人見直しの具体的指示は、5月下旬に国土交通省が予定していた財投機関債の機関投資家向けの最終説明会を結果として中止に追い込んだ。道路公団の民営化が首相の意図であれば、特殊法人への「暗黙の政府保証」などあてに出来ず、政府保証なしには、日本道路公団もどの特殊法人も機関債を発行するのは無理だからである。
変化は素早くやってくる。特殊法人の改革は、加速しつつ、今、まさに渦を広げようとしている。論議は特殊法人の財務内容の実態公表要求にとどまらず、これからの身の振り方までに及んでいる。
中でも名指しで“廃止”と報じられた本州四国連絡橋公団の問題は特に重要である。その抱える問題が、避けることの出来ない日本道路公団の将来の破綻とピッタリ重なってくるからである。このままの経営を続ければ、恐らく史上最大規模の債務を残して破綻することになる日本道路公団、そのミニヴァージョンとしての本四公団はどのようにして生まれたのだろうか。
神戸にある本四公団の本部で語ったのは公団総務部長の耕章氏だ。
「本四をつなぐ橋は、四国400万県民の願いだったのです。公団設立より遙か前、明治大正からの夢でした」
本州と四国を隔てる海は、県民の生活の糧を生み出す豊かな海であると同時に、多くの海難事故の現場、悲劇の海でもあった。1955年の国鉄宇高連絡船紫雲丸の衝突・沈没事故は、とりわけ悲劇的だった。乗客の半分が修学旅行の小中学生で、多くの幼い命が失われたのだ。
こんな悲しい事故を繰り返さないためにも、是非、橋を、との県民の願いは架橋のための郵便貯金運動にまで広がった。四国出身の政治家たちも活発に動き、本四公団が設立されたのは1970年だった。73年11月には本四間を結ぶ3本の橋が同時着工される予定だった。耕氏が語る。
「起工式の日程は11月25日、3ルートそれぞれ準備をしていたのです。ところが、5日前になって突然、全計画が延期されたのです」
オイルショックの影響である。一旦延期された架橋建設は、結局、2年後の1975年に再会された。だが3ルート同時着工ではなく、まず3本の橋のまん中の児島・坂出ルートが着工された。通称瀬戸大橋、鉄道も備えた2階建てのあの大橋である。
着工から13年余、瀬戸大橋の開通は88年だった。同様に98年には神戸・鳴門間、99年には尾道・今治間が開通した。
どの橋の建設にも、人類がはじめて直面する幾多の困難が待ちうけていた。瀬戸内海を見晴らす一群の橋の建設は、潮の流れの速い荒海の底、50メートルの深さに橋の土台のケーソンを設置することから始まり、数々の“世界一”の記録に挑む戦いの連続だった。
いま、美しくも雄々しい姿で本四間を結ぶ瀬戸大橋は、鉄道と大型トラックが同時に走れば最大で橋桁が5.1メートルも上下にたわむ。ビルの3階の高さから一挙に1階に急降下するようなものと解説されているが(村上圭三『21世紀に架ける』)、瀬戸大橋を渡る限り、そんなたわみは感じられない巧みなつくりである。
一方、明石海峡大橋は世界一の長さを誇る吊り橋である。尾道・今治を結ぶしまなみ海道の中の多々羅大橋は、これまた世界一の斜張橋である。
技術の粋を集め、多くの“世界一”の技術を結集した橋は、四国の人々にとってまさに夢の架け橋だった。紫雲丸をはじめとする悲しい事故に耐えてきた四国の人々にとって、日本の秀れた技術への誇らしさと亡くなった人々への鎮魂の意味を含んでいるのが、一群の橋の完成である。
すでに破綻状態
技術水準からいえば、間違いなく世界のトップにある本四公団の橋は、しかし、経営面では間違いなく絶望的な破綻橋の一群でもある。
現在公団の抱える有利子負債は3兆8350億円、出資金と呼ばれる無利子の借入れは6650億円、あわせて4兆5000億円だ。出資金は国と地方自治体が2対1の割合で出したものである。
これだけの借金を抱える公団がどれほどの収入を得ているか、99年度の実績では料金収入は869億円にとどまったのに対し、利払いは1486億円にのぼった。利払いだけで617億円の不足である。これでは一般経費も約300億円の管理費も払えない。勿論元金は全く返済できない。だが、公団の耕総務部長は楽観的な見通しを語った。
「2001年度見込みで、料金収入は870億円、管理費が約270億円、差し引き約600億円のプラスです」
「プラスです」という表現に、思わず戸惑った。「プラス」などと言える状況ではないが耕氏の楽観論は続いた。
「しかし、如何せん、要は利払いの問題があります。そこで利払いをいかに削減していくか。企業的にいえばいかに財務体質を強化していくか。そのために2001年度から800億円の無利子融資を受けることになりました」
耕部長の言及したのは、昨年12月に、本四公団の経営立て直しのために政府が道路特定財源から毎年800億円を10年間、公団に無利子で融資し、同時に、2046年度までの50年間としていた償還期限を20年延ばして2066年度までの70年間と決定した措置のことだ。耕氏は無利子融資の800億円を有利子負債と入れ替えることで利払いを減らしていくという。
「そうすれば平成20年代半ばには、経営は黒字に転じます」
耕氏は、2001年度の事業年度予算という1枚の紙を示して説明した。
「2001年度の見込みで収入は、まず料金収入が870億円、先の無利子借入れが800億円、その他の有利子の借入れが2118億円などで計4642億円の収入です。
他方利払いは1334億、一般管理費、道路管理費などが301億円、借入金の償還つまり元本の支払いが3007億円です。
新しく借り入れるのが2118億円で返済が3007億円、差し引き889億円の有利子負債額の圧縮です」
この説明を聞くと、なんとなく借金返済が進んでいるかのようにも聞こえてくる。だが、耕氏の説明から抜け落ちているのは、今年度公団が予定している“収入”の中には、800億円にのぼる“出資金”も入っているということだ。政府から特殊法人にまわるおカネは、利子補給金、出資金、補助金、または昨年12月の決定のように無利子借入金などと種々あるが、公団は10年間にわたる無利子の借入金の初年度分800億円を受けとるのに加えて、同額の800億円を出資金として別に受けるわけである。
とすると、有利子無利子合わせて今年度の借入れは800+800+2118で少なくとも3718億円になる。
対して返済する元本は3007億円である。3718億円マイナス3007億円は711億円。これだけ借金が増えたということだ。有利子負債の総額は減少しても、借金総額は着実にふえていくのだ。
公団の説明は公平にみて公正ではないと感ずるゆえんだ。至るところに不明な点がある。経営がうまくいっているかのように見せかける不正直さが随所に顔をのぞかせる。
考えてもみよ。4兆5000億円の負担を抱える公団が1年間に870億円の収入を得て、利払いと管理費の支払いで765億円も足りない時、無利子の800億円を10年間借りることが出来るからといって、どうしてこのわずかなお金で、あと10年ほどすぎた時に、経営を黒字にしていくことが出来るというのか。公団の99年度の賃貸貸借表には9232億円にのぼる欠損金が載せられている。これは公団が毎年の出入りのお金では賄うことが出来ない借金を返すための借金である。
極めて後ろ向きの借金であるこの欠損金は過去5年間をみても年毎に増えている。95年度が6678億円、96年度は7242億円、97年度7689億円、98年度が8377億円で、99年度はついに9000億円を超えたのだ。
それにしても、これほど経営の悪化した公団に、なぜ、財務省は毎年800億円もの追加援助をするのか。
経理の専門家は、昨年12月の財務省の公団に対する支援措置は、財務省の公団への見限りに等しいと解説した。
「800億円の無利子貸付けは道路整備特別会計からの出資です。また今以上に利子を積み上げないという効果しか発揮しない額です。財務省は本四の立て直しを不可能と判断し、50年で財投資金等を返済させ、そのあとは国土交通省と道路特会で片づけよとの気持ちではないでしょうか。まさに見限ったのです。どう見ても、本四公団の自力での立ち直りは無理です」
公団の企画開発部企画課長の宮地淳夫氏が語る。
「橋が出来て、多くの変化が生まれました。橋は地域の人々、特に病人発生の場合などは、非常に役立っているのです」
橋を経済効率からのみ論じてはならないと強調したうえで宮地氏は言葉をついだ。
「新しい償還計画を作成中です。輸送量は計画値を下まわりましたので、それを下方修正して、70年といわず、60年とか65年で返せる、よい計画ができるかもしれません」
実現不可能な机上の計画を公団側はまたもや描くのだ。
意図的な情報操作
6月はじめ、本四公団の3本の橋のうち、最も西寄りの尾道・今治ルートのしまなみ海道を渡ってみた。
地元の人たちは、誰もが橋はあった方がよいと述べた。だが、往復で1万円の通行料金は高すぎる。せめて半分でなければ使えないとも語った。そして、橋が出来てからは、観光客は素通りするばかりだと嘆いた。
因島のみかん農家はモラルも低下したと訴えた。以前は道端に袋詰めのみかん売り場を設けると、無人にもかかわらず料金が支払われていたが、今は道端のみかんを盗むドライバーがふえたというのだ。
これまでの開発の歴史の中で、高速道路や新幹線や橋が出来たために勢いをなくした地域は数しれない。熱海や水上がよい例である。いずれも、巨大アクセスに頼って失敗した事例である。
公団側は、それでも橋は多くの経済効果をもたらしたと強調する。公団のガイド冊子には、橋の経済効果を評価する涙ぐましい努力が見られる。本四間の輸送人員が、架橋前に較べて、全国平均の1.4倍より高い1.7倍にふえた、物流も全国平均の1.1倍よりも多い1.15倍にふえた、徳島から阪神・巨人戦ツアーの参加者がふえたなどというものまである。いずれも橋とどのように結びつくのか不明だが、四国、東北、北陸、九州のブロック別人口の増減では、四国が最もふえているという図もあった。だが九州からは福岡県が、東北からは宮城県が除かれている。博多と仙台を除いては意味はなく、むしろ人口統計をみれば、四国は全国指数に較べてこの20年間、ほぼ一貫して下がり続けているのが厳しい現実だ。
地元の人が「あれば便利で嬉しい」「いつも使うわけではないが、病人が出たときには使いたい」と語る橋は、渡ってみれば、聞きしに勝る空き具合だった。世界一長い斜張橋、美しい姿の多々羅大橋は全長1480メートル。この橋を渡り終えるまでに見かけた車は、同方向に走る車が1台、すれ違いの車が1台のみだった。驚いていると、運転手さんは、いつもこんな具合だと教えてくれた。これでは永久に“赤字橋”だと実感した次第だ。
それでも耕部長は強調した。
「一応、全ての橋が完成した今、公団の役割は3つです。借入金の返済、技術の継承、橋の管理です」
借入金の返済というが、全ての指標が、公団の財務立て直しは今のままでは不可能という答えを出しているにもかかわらず、公団側は譲らない。
「コストを絞っています。5年間で定員を3分の1、削減してきました」
3分の1の定員削減は、橋の建設工事が終わったために、建設部門の人々を整理した結果である。工事が完了したからには当然のことだ。
ここでもまた、本四公団の説明する情報からはA真実を読みとりにくいと感じてしまう。公団の財務に関する情報も、意図的に外部の人間にわからないように組み立てたのかと思う程、わかりにくい。
総務庁の行政監察局でさえ昨年8月の行政監察報告書の中で本四公団に対して「償還計画の達成状況についてより分かり易い情報提供を行うこと」と明確に指摘した。公団の情報開示の仕方には非常に問題があるのだ。
公団の存続理由として、彼らは技術の継承が重要だと指摘する。
もっともな主張ではあるが、技術は実はゼネコン側が立派に継承している。設計段階からコンサル(コンサルティング)という形でゼネコンは人を送り込み、技術面で、事実上、公団を支えている。多くの特許も、大概が公団とゼネコンの共同申請である。この場合、技術開発の主体は、実態としてゼネコン側にある。従って、技術継承のために公団が存続する必要性はないのである。
橋の管理も同様だ。民間のゼネコンには、管理技術もある。公団はむしろ、自らの技術を譲り渡す形で退くのがよい。瀬戸内の潮も引くように、今、公団は引き時なのだ。
県民の悲願だった橋が、世界で注目される最高技術を駆使して3本も架けられたのは、たしかに公団の技官たちの努力の結晶である。だが、建設するばかりで、とどまることを考えない技官的発想故に経営は余りにも行き詰まった。橋の将来を論ずる私たちでさえ生きてはいない70年先まで償還期限をのばさなければ帳尻のあわない償還計画、それさえも、あり得ない交通量の拡大を前提とし、減価償却も除却もしない日本道路公団方式のプロも呆れる典型的な粉飾決算で、ようやく帳尻が合うという惨状に、本四公団は立っている。
本四公団の経営破綻が明らかになったのは、これ以上は橋を建設しないからだ。万が一、公団が第4、第5の橋を計画し、新たな借入金をこれまでの借入金に加えて、プール方式で処理すれば、経営の失敗は、日本道路公団の経営の失敗が今だに隠され続けているのと同じトリックで隠されていく。
現に、98年3月の次期全国総合開発計画では、将来の大型事業として6つの超大架橋事業があげられ、その内2本が各々、四国と大分、和歌山を結ぶ橋となっていた。
公団も国土交通省も、次期全総の考えは具体化の話はないと全面否定した。が、官僚たちの自己利益優先の過去の言動を見ればこの点は要注意である。
公団は現在、無利子800億円の10年にわたる注入を前提に、新しい償還計画を組み直しているが、これが、公団にとっての最後の組み直しになる可能性は高い。夏には出来上がるその新しい償還計画は、しかし、遠からず、全てが予想値を下回り、公団の経営破綻は逃れられない事実として、自ずと明らかになっていくと思われる。
本四公団のその姿は、実は日本道路公団の何年か何十年か先の姿なのだ。道路公団が、もはや新規の道路建設が出来なくなった時、全国の道路建設の借入れを一括で計算するプール会計方式もそれ以上広げることは出来ず、経営破綻を隠すことも遂に叶わなくなる。従って私たちは、本四公団の現状は将来の日本道路公団そのものの姿だと心得て、その処理策を考えるべきだ。
誰が責任を取るのか
政府は本四公団について95年2月の閣議決定で統合及び民営化の方向性を打ち出した。また自民党行革推進本部長の太田誠一氏は2001年2月9日の『日経公社債情報』の中で厳しく語っている。
「本四公団がすでに破綻しているとして、誰がかぶるかが問題だ。自治体が要望したのだから自治体もかぶるという方法もある」
「国が有限責任であることをみんなが認めるかどうかだ。個人的には有限責任だと考えている」
公団の耕部長は太田発言を「私どもでは理解できない発言」と述べて反発したが、小泉首相は特殊法人への補助金は2割は削減出来るはずとの指示を出している。そんな状況下では、800億円の無利子融資さえも2割カットされる場合だってあり得る。甘い経営が罷り通る時代ではない。だが百歩譲って考えれば公団側の強い反発には同情すべき理由もある。
本四公団には縁故債という形で地元の自治体や金融機関の資金が99年度末で1兆5300億円入っているのだ。
地元金融機関関係者が語る。
「おつき合いせよといわれた場合、地元の金融機関としては断れません。事実上、強制的に買わせられた債券には、我々は当然、暗黙の政府保証がついていると考えました。それがいま、太田氏の指摘のように、国は有限責任で、地元は地元分の負担をせよと言われるのは心外です。そんなことでは地元の金融機関は次々と破綻します」
物事は自己責任であるから、太田氏の発言は合理的ではある。しかし、地元の自治体や金融機関に強制的に引き受けさせた道義的責任を政府は全面放棄出来るのかと問いかけである。
特殊法人の問題に詳しい民主党の石井紘基議員が語る。
「地元自治体も出資金などで負担していると言いますが、国が特定財源をその分、地元に配分。結局、地元の出資金の8割は国からです。補助金が回っていて国民全体で負担している構図です」
それにしても地元金融機関の問題はなお残る。政府の暗黙の保証を信じて縁故債を買った、または買わされた金融機関の問題は、その延長線上に同じく政府保証があって初めて成り立つ財投機関債の問題が浮上してくる。これは全ての特殊法人をどの軸で評価するかの問題につながっていく。事業内容に従って評価するのか、現実の要請に従って従来型の解決策を選ぶのか。明らかに小泉政権は従来型から決別しようとしている。自由闊達な国家像を目指すべき立場からも日本が選ぶべき道は、暗黙の政府保証などという社会主義的価値観の横行は許さないと明示することだ。そのうえで、地元金融機関にはたとえば、日銀から超低利での貸しつけを繰り返すことによって、実態としては公的支援を注入するような工夫も必要になってくるだろう。
一方、最も安易な方法は日本道路公団との合体である。現実にはこの方法の可能性が最も高いとみられている。
かつて、福岡・北九州高速道路が経営に行き詰まった時、道路公団が北九州直方道路を安価で売り渡す形で立ち直りがはかられたことがあった。成績のよい道路との抱き合わせで再建を可能にした例だ。しかし、四国には成績のよい高速道路は存在しない。故に売り渡して抱き合わせで再建させることも出来ない。必然的に道路公団が引きとる可能性は高い。が、その場合、旧国鉄の例に見習って財務内容を徹底的に明らかにすることだ。
どれ程の債務があり、どれ程の無責任経営が行なわれてきたかを本四公団の整理の過程で明らかにすることが出来るなら、そこにはじめて、再生のわずかな可能性を見ることができるのだ。
私たちの前に立ちふさがっているのは、本四公団に幾十倍かする道路公団及び、その他の特殊法人問題だ。失敗の本質を本四公団の事例から学ぶことが、より大きな問題の解決の力となるはずだ。