「 国民が共感できる国歌について皆で選択肢を考えよう 」
『週刊ダイヤモンド』 2000年12月30日・2001年1月6日新春合併号
オピニオン縦横無尽 第378回
9月30日の当欄で、「日の丸」と「君が代」について取りあげたところ、お便りをいただいた。
27歳の諏訪部裕さんからは、オリンピックの表彰台で選手が「君が代」を歌わないのは自分たちの世代は「歌えない」からだとのご指摘をいただいた。彼は君が代を聞くと、どうしても戦争のイメージを抱く一方で、「本当は国歌を心から熱唱したい。外国人が誇らし気に国歌を歌うのを見ると、うらやましく思う」とも書いていた。
諏訪部さんも、また匿名希望で投稿されたその他の読者も、第二次世界大戦の総括が不十分なため「君が代」を真正面から受けとめ、歌うことができないのだと書いておられた。そこで、20世紀が終わらないうちに、もう一度、「君が代」について考えてみたい。
松本健一氏が『「日の丸・君が代」と日本』(論創社)『日の丸・君が代の話』(PHP新書)などで書いておられるが、「君が代」は、もともと紀貫之の『古今和歌集』におさめられている詠み人知らずの和歌である。
詠み人知らずのこの和歌は、明治になって日本が外国と接することが多くなった時に、はじめて脚光を浴びる。明治以前、日本には国歌を歌う風習も国歌もなかったのだ。国家としての統一を象徴し、民族的一体感を確認するための国歌を持たずとも日本が統一国家だったことは自明だったからだ。
が、開国してみれば、外国の人びとはさまざまな機会に国歌を演奏している。黒船のペリー提督が久里浜で幕府に米大統領の国書を渡した時も軍楽隊が黒船の甲板上で演奏していた。
「明治3年に各藩の士卒を集めて日本の国軍が結成され、天皇の前で教練を披露したとき、天皇を迎える敬礼曲が必要だとしてつくられたのが『君が代』です。『君が代』は、天皇への儀礼曲として誕生したのです」と松本氏。
昭和になると、国体イデオロギーの強化の結果として、「君が代」が国歌の役割を果たすようになった。したがって「君が代」の成り立ちをみれば、「君」は、明白に天皇を意味しており、国旗国歌法審議で政府が苦しまぎれに考え出した「君」は一般論として「国民」を指すとの解釈はおかしいのだ。
が、天皇への敬礼曲だとしても、英国の「ゴッド・セーブ・ザ・クイーン」のように、それが国歌であってはならないということではない。要は、国民がその歌にどれだけ共感できるかである。私自身は、大学時代から日本を離れていたせいか、「君が代」を聞くと戦争よりも「日本」のイメージを抱く。ちょっと寂しくて歌いにくいけれど悪くはないと感じている。
だが、諏訪部さんらのように、「君が代」が戦争のイメージに直結してしまう人々は、どう考えればよいのか。
国歌は、国のために死んだ人びとへの鎮魂の歌であると考えれば、戦争のイメージの強い歌を国歌として受け容れる道もある。が、「君が代」にこだわらずに、幅広く考えてもよいと思う。
松本氏の話だ。「4つくらい選択肢があるのではないか。第一はいろいろあったが、君が代でいいとする考え。第二は国民的愛唱歌という意味でたとえば『さくらさくら』にする。第三は新しい歌をつくる。第四は戦争で国とそこに住む日本人を守るために戦い、死んでいった死者を国家が引き取るという意味で、『海ゆかば』を国家にする」。
「海ゆかば 水漬く屍 山ゆかば 草むす屍 大君の辺にこそ死なめ かえりみはせじ」という「海ゆかば」の歌詞は『万葉集』巻18にある大伴家持の長唄の一節だ。戦時中は戦死者を悼むときに演奏された。「日本民族が生まれ死んでいくのは、紛れもないこの『海山のあいだ』なのです。そう思えば国家にふさわしいのです」。
国民が共感できる国家について、選択肢を皆で語っていきたいものだ。