「 官邸でヒアリング『女性宮家』への私の問題意識 」
『週刊新潮』 2012年4月26日号
日本ルネッサンス 拡大版 第507回
野田佳彦首相が「緊急を要する」として設けた「皇室制度に関する有識者ヒアリング」に4月10日、出席した。焦点は再浮上した「女性宮家」の創設である。
女性宮家創設はそもそも2005年、小泉純一郎政権時、福田康夫氏主導の有識者会議の最終報告で女系天皇容認と一体の形で提起したことに始まる。皇室の歴史を180度変えることになるこの女系天皇容認への動きが秋篠宮妃ご懐妊で自然に消えたのは周知のとおりだ。ところが、昨年10月5日、羽毛田信吾宮内庁長官が首相を訪ね、女性宮家創設を「火急の案件」として、再び、要請した。
同情報は約50日後の昨年11月25日、「読売新聞」がスクープで報じた。それを後追いした「朝日新聞」と、昨年11月25日の藤村修官房長官の記者会見などから、女性宮家創設の理由が「安定的な皇位継承制度の実現」「女性(女系)天皇による皇位継承」「皇室活動を支える」ためとされていたことが明らかになった。
たしかに、秋篠宮家の眞子さまも成人なさり、女性皇族が結婚で皇籍離脱なされば、いずれ皇族は悠仁さまお一人になりかねないという問題がある。皇族方がいなくなるという皇室史上、前代未聞の事態を改善するために、皇室典範を改正し宮家を増やすのは長い伝統をもつ国として当然だ。
その場合、大事なのは世界最古の皇室の伝統、価値観と日本らしさの本質を損なわないことである。守るべき本質を守り、その上で個々の問題の解決を図らなければならない。
だが、前述のように羽毛田長官らの女性宮家創設案は世論を二分して潰れた有識者会議の最終報告と同じく、明らかに女系天皇に道を開くものとなっている。
この種の批判を避けるためか、政府はいま女性宮家創設を皇位継承制度と切り離して論ずると言っている。しかし、後述のように切り離しは不可能である。
不可能を可能とする無理な前提で今回のヒアリングが始まったわけだが、そのことが取材陣に与えている印象について興味深い質問があった。意見陳述後に取材を受けたとき、これまではみな女性宮家創設賛成意見だった、初めての反対論を語ってどんな思いを抱いたかと、問われたのだ。
1回目と2回目のヒアリングで意見を述べた4氏が全て女性宮家賛成派で、3回目の私と日大法学部教授の百地章氏が初めての反対意見、次の4回目のヒアリングではまたもや女系天皇推進派の笠原英彦慶応大学教授らが意見陳述する。
加えて野田政権のこの問題への取り組みは、女系天皇と女性宮家を提言した小泉政権時の有識者会議の報告書を前提にすることになっている。さらに、女系天皇論の中心人物であり右の報告書をまとめた園部逸夫元最高裁判事は今回、内閣官房参与としてヒアリングを主催する側である。
取材陣に今回の女性宮家創設が女系天皇ありきではないかとの印象を与えているゆえんであろう。
こんな雰囲気の中で私へのヒアリングは始まった。ちなみに私に問われたことは大別して2点だった。①ご高齢の天皇陛下のご公務をどう捉え、どう支えるか、②婚姻後の女性皇族をどう位置づけるかである。
①への回答は自ずと②への答えとなる。まず、天皇のご公務である。歴史を振りかえれば、天皇は一貫して最高位の祭主だった。歴代天皇は国民の知らないところで朝に夕に神々を敬い、徳を積まれ、国家・国民を守ってこられた。元旦の四方拝をはじめ、各種の重要な祭祀に、天皇陛下は陽も昇らぬ早朝に起き出され、身を浄めて臨まれる。大祭主としての天皇はこうして歴史の殆んどの期間を権力から遠い存在としてすごしてこられた。皇室を中心に、日本人は類稀なる穏やかな文明を育んできた。
ところが戦後、米軍の占領下で日本の国の形を根本から変える改革が次々と断行された。祭祀を皇室の私的行為として矮小化したのもそのひとつである。独立回復後も、日本政府はそれを改めることなく、近年に至ってはご公務のご負担軽減と称して祭祀を簡略化しつつある。本末転倒も甚しく、皇室の存在意義と日本の国柄を否定するものだ。改革はいかなる意味でも皇室の本質と日本の国柄を守る方向で行われなければならないにも拘らず、反対の現象がおきているのだ。
各省庁のお願いのし過ぎ
だからこそいま、ご高齢の天皇陛下のご負担軽減のためには、まずご公務の再定義が必要だと私は考える。歴史と伝統に基づけば、祭祀を私的行為と見做し後述する国事行為と象徴行為をご公務とする区分けは、一番重要な祭祀をご公務から外している点で根本から間違っている。祭祀をこそ、皇室の最重要のご公務と位置づけるべきだろう。
祭祀は、「天皇による国家・国民のための祈り」であり、天皇陛下にしか担えない。万が一の場合、代理に立つのは掌典職らである。たとえば昨年11月23日、1年の収穫を神々に感謝する儀式で、宮中祭祀の中で最も重要とされる新嘗祭が神嘉殿で行われた。天皇陛下はこのときご病気で、掌典長が代理で神々に供物を供え、祝詞を読み上げた。
皇太子さまはご自分の拝礼時に神嘉殿に上がり、他の皇族方の拝礼前に退出されたが、これは昭和時代の前例に倣ったそうだ。
皇太子さまも秋篠宮さまも祭祀においては天皇陛下の代理を務めることは出来ない。天皇にしか出来ない重い意味をもつのが祭祀であるから、天皇陛下にはまず、祭祀に集中していただけるような体制を整えることが大事である。
そのうえで国事行為や象徴行為を優先度によって整理し、余計なご負担のないようにしたい。国事行為には国会の召集、衆議院の解散、外国の大使らの接受などがある。これらの中で天皇陛下でなければどうしても務まらない事柄を除いて、皇太子さまや秋篠宮さまに随時、担っていただく。現に、天皇陛下がご病気のとき、国事行為は皇太子さまが担われた。こうして皇太子さま、秋篠宮さまがご公務を分担され、お二方が担い切れない分を女性皇族に分担していただくのが本来の順序である。
女性皇族が担われるのは象徴行為となる。象徴行為は非常に幅が広く、たとえば地方自治体の植樹祭やスポーツ大会の開会式へのおでましなどがある。
百地教授は象徴行為には各省庁が両陛下にお願いするものが多いと指摘する。つまりご公務が膨大になっている背景に、各省庁のお願いのし過ぎがあるのだ。であれば、ご負担軽減のために女性宮家創設よりも、各省庁がまず、自分たちのわがままを控えることだ。
そもそも先述のように女性宮家創設に関する政府の設問には矛盾がある。政府は今回論ずるのは女性宮家問題だけで皇位継承には触れないと言うが、以下のように両者は表裏一体である。
女性宮家は一代限り?
現在取り沙汰されている女性宮家は、女性皇族が民間男性と結婚する前提に立つ。民間の男性と結婚した後も皇族として残られ、宮家を立てるとして、生まれるお子さまは、母方の血筋で皇統につながる女系皇族である。現在内親王や女王は8方おられ、ご結婚によって少なからぬ女系皇族がお生まれになる。皇室は女性宮家と女系皇族が多数を占め、そのお一人が即位すれば女系天皇となる。その方が男性であっても、女性宮家のお子さまであれば女系天皇であり、その時点で2670年余の男系天皇の歴史は断絶する。このように女性宮家創設は女系天皇誕生に道を開くことになる。
昨年11月の「読売」の特ダネ報道も当時の藤村官房長官の発言も、明らかに女性宮家創設と(女系天皇による)皇位継承を一体のものとしていたが、それは理屈の上では当たり前のことなのだ。
女性宮家創設が皇室の歴史と日本の国柄からどれほど離反したものかは、宮家が担ってきた役割を思い起こせば明らかだ。各宮家は天皇をお支えすることに加えて、万が一、皇統の継続が難しくなったときに男系の血筋を伝える後継天皇を出すことを最重要の役割としてきた。
しかし、いま論じられている女性宮家創設ではその役割は果たせない。
専門家の中には、女性宮家は「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」と規定した皇室典範第12条の問題で、他方、皇統は「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」という第1条の問題なのだから、両者は別問題、1条がそのまま保たれれば12条が改正されても問題はないという意見がある。
しかし、一連の議論の中で第1条が改正されない保証はない。現に国会で野田首相が右の第1条と、皇統の世襲を定めた日本国憲法第2条に言及して、男系天皇永続には歴史的な重みがあると確認したその眼前で、内閣法制局が世襲には男系も女系もあり得ると述べ、首相の考えを否定した。男系天皇の伝統を重視すると首相が言明しても、宮内庁や内閣法制局の官僚に政治の意図を無視して女系天皇に切り換えようと画策する明らかな兆候が見てとれるのが現実なのだ。政治主導の掛け声が虚しいいま、第1条が改正されないとは言い切れないのである。
また、女性宮家創設は皇位継承とは無関係だとの印象を作り出す意図であろうか、女性宮家は一代限りにするとの意見もある。これも歴史を見れば、およそ無理だということがわかる。
明治元年、時の政府は一代限りの皇族制度を設けたが、お子さま方が宮家を継承して皇族になる事例が続いた。政府も他の皇族方もそれを止めることはしなかったし、出来なかった。結果、同制度は崩壊した。親子を身分で分けて別々の存在にすることは実に難しいのだ。
両親が皇族でお子さまが民間人なら、子供には姓を与えるのか、どんな姓にするのか。いずれにしても親子別姓になる。また、生活費はどう区切るのか。結局親子別会計の家庭となる。さらに身辺警護はどうするのか。同じ家族でありながら、皆がバラバラになる状況を押しつけることになるが、それは両親にとっても子供にとっても気の毒だ。
だからこそ、婚姻後の女性皇族は無理な一代限りにするより、日本の歴史に則って民間人となり、別の形で皇室をお支えするのがよい。婚姻後もいきいきとご活躍いただくために、身分は民間人ながら、内親王や女王などの称号を終身お使いいただき、ご結婚後も格式などを十分に保てるような経済的支援を、これまた終身、して差し上げる配慮が必要だ。女性皇族の活躍は皇室の未来に明るいエネルギーを注入するはずだ。
では、宮家が少なくなり、皇族が悠仁さまお一人になるような事態にどう対処するのか。これも歴史に学ぶのがよい。
わが国は年来皇室の本質を変えることなく、その時々の問題に柔軟に対処してきた。皇族が多くなりすぎたとき、一部を臣籍降下させた。明治21年に臣籍降下が始まったとき、わが国には皇族男子の降下についての明確な条文はなかったのだが、それでも自ら皇籍を離脱し、皇族を一定の規模におさえた。
大正9年には皇族が多すぎることは皇室の尊厳や皇室財政上「喜ぶべきに非ず」という考えから皇族の臣籍降下に関する内規が定められた。わが国の先人たちは皇室が健全な姿で存続することを願って英断を下し、実行したのだ。
賢く大胆な方策
しかしいま、私たちはかつてとは正反対の状況に置かれている。皇族が多すぎた時代から反転して、皇族方がいなくなるかもしれない初めての局面に立たされている。
高熱の病人には氷枕をあてるが、体の冷えきった病人は毛布でくるんであたためてやらなければならない。状況が正反対なら、手当が正反対でもおかしくない。この前代未聞の危機に直面して、臣籍降下した旧皇族は皇族に復帰出来ないという従来の決まりをそのまま当てはめるような硬直した考えでは、問題は解決出来ない。状況はかつてとは正反対なのだ。いまこそ、過去の対処法の枠を打ち破る形で難局を乗り切るときだ。
つまり、求められているのは皇籍離脱ではなく皇族復帰である。皇統の安定と有史以来の日本の伝統である男系天皇の維持という大目的のために必要なのは、賢く大胆な方策であろう。
そのためにまず、皇室典範第9条を改正して養子を可能にするのが妥当な策であろう。昔は皇室も宮家も養子をとられた。現に昭和天皇は昭和6年、4方目のお子さまが前お3方に続いて内親王だったとき、元老西園寺公望に皇室典範を改正して「養子の制度を認める可否」をご下問なさった。
ご自分のお子さまが4人いらしても、みな内親王だったために皇位を継承させようとはお考えにならず、あくまでも男系男子による継承を念頭に、養子は可能かとご下問なさったわけだ。であれば、いま私たちが第9条改正に反対する理由はない。
臣籍降下なさった男系男子の旧皇族方で、皇族復帰にふさわしい暮らしをしてきた方々に養子或いは家族養子となっていただく。または新宮家を立てて皇族に復帰していただくのだ。
60年間も民間人として暮らした人々が皇族に復帰するのは国民感情にそぐわないという意見があるのも事実だ。しかし女性宮家の場合、お相手は一般の男性である。皇統とは無関係の人物が皇族になることに違和感を抱かないのに、血筋を伝え、かつまた、旧皇族方の親睦会を通して今上陛下はじめ現皇族方と親しい間柄にある方々の皇族復帰を認めないのは、主旨が一貫していないのではないか。
男系男子の血筋を伝える旧皇族方の中には、悠仁さまの格好の遊び相手となり得る2歳から16歳までという男児が6人もいる。こうした男児も含めて、復帰する皇族方と、内親王や女王もしくはそのお子さま方とのご結婚が将来、万が一にも成立すれば、二重三重の慶賀となるのではないか。