「 非常識を超えて、もはや恐怖 『人権擁護法案』が暗示する人権を弾圧する社会の到来」
『週刊ダイヤモンド』 2005年3月26日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 585
一度国会に提出されて猛反発を受け、廃案になった法案を、少しばかりの時間をおいてほぼそのまま出し直すという、じつに国民を愚弄し、無視するようなことが行なわれようとしている。「人権擁護法案」の提出がそれで、その中心にいるのが自民党の古賀誠氏らである。
同法案は2つの点において、その命名とは裏腹に、人権弾圧につながりかねない内容である。第1点は、すでに幾度となく指摘されてきたメディア規制条項が含まれている点だ。第42条4項がそれに当たる。そこには、報道機関が取材対象に「つきまとい、待ち伏せし、進路に立ちふさがり、住居、勤務先、学校その他その通常所在する場所の付近において見張りをし、又はこれらの場所に押し掛けること」などの禁止条項が書かれている。取材記者をストーカーと見なしているかのような条項ではないか。
報道の歴史を見ると、巨悪も小悪も含めて社会の悪は、夜討ち朝駆けを含む、現場に軸足を据えた取材によって暴かれてきた。右の条項は真実を抉(えぐ)り出す手法を取材記者に禁ずるもので、いちばん喜ぶのは、取材を恐れる悪人たちだ。
法案には「電話をかけ、又はファクシミリ装置を用いて送信すること」も禁ずると書かれている。取材の電話も、ファックスでの取材要請も質問の送付も軽々には許されないという非常識な内容だ。古賀氏らは、このメディア規制の部分を凍結する条件で法案を認めさせるべく与党を説得しようとしている。だが、凍結はいつ解除されるかわからない。削除でなく凍結とするのは、いつの日か解除する算段だと思われても仕方がない。そうなれば真実の掘り起こしは非常に困難になり、確実に、世の中は邪(よこしま)な人びとが安心して悪事を働く場となるだろう。誰もそんな社会は望まないはずだ。
問題の第2点は、法案に書き込まれている人権侵害の概念が、あまりにも曖昧なことだ。曖昧な概念のまま、法務省の外局として人権委員会を新設し、その委員会に、裁判所か警察署のような権限を与えるとしているのだ。
たとえば第44条1項は、人権委員会は、人権侵害に関係する事件について「事件の関係者に出頭を求め、質問すること」ができるとしている。2項は「当該人権侵害等に関係のある文書その他の物件の所持人に対し、その提出を求め、又は提出された文書その他の物件を留め置くこと」ができるとなっている。
関係者への事情聴取、立ち入り検査、資料の押収もできる強い権限を、人権委員会に与える内容だ。人権委員会がまるで司法のような存在になるわけだが、人権擁護委員の構成がどうなるのかは明らかではない。委員は全国で「2万人を超えない」数とされたが、その委員の資格には、日本国籍を有する者という規定がない。つまり、外国籍の人物も人権擁護委員になりうるのだ。加えて、繰り返すが、法案に書かれている人権侵害の概念はきわめて曖昧である。
守るべき価値観を曖昧にしたまま、全国に2万人もの人権擁護委員を誕生させ、彼らの国籍も資格も曖昧にしたまま、事情聴取、立ち入り検査、押収などの強い権限を与えるのは、非常識を超えて恐怖である。たとえば、北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記や韓国の左翼的政権の盧武鉉(ノムヒョン)大統領を批判したとする。そうした批判は在日の人びとの感情を傷つけ人権侵害に当たるとして、事情聴取や立ち入り検査をされかねない。これでは、言論および表現の自由は深刻な危機に直面してしまうだろう。
自民党法務部会で古賀氏は、法案の了承を「お願いします」と、幾度も頭を下げたそうだ。古賀氏はいったい、何の思惑で、誰のために、この法案を通そうとしているのか。日本の国会議員として、広く国民に説明する責任がある。