「 チベット首相と語ろう、アジアの未来 」
『週刊新潮』 2012年3月29日号
日本ルネッサンス 第503回
中国共産党政権の弾圧下で、チベット人の焼身自殺という痛ましい事件が続いている。
今年2月17日、青海省(アムド)のボンタク僧院で30代の僧、ダムチュ・サンポ氏が焼身の抗議を行った。青海省は元々チベットの国土だった。中国共産党がチベットを併合して分割し、チベット自治区、青海省、四川省などと命名したために、チベット人とはゆかりのない土地のように思われているが、青海省も四川省も大半がチベットの国土だった。
サンポ氏は僧院の教師を務めており、そこに武装警官と保安員が訪れ、愛国教育を強要した。愛国教育は毛沢東以来の中国共産党の教えを至高とし、チベット仏教を否定し、ダライ・ラマ法王を誹謗するものだ。
サンポ氏は、僧院は僧の学びの場所で武装警官の場ではないとして退去を求めたが、警官らは「愛国教育を受けなければ、僧院を閉鎖する」と恫喝。結果、抗議の焼身自殺につながったと、ダライ・ラマ法王日本代表部は説明する。
現在もボンタク僧院の出入りは厳しく制限され、そこに住む約80名の僧侶らの安否が気づかわれている。
3月に入るとチベット人の抵抗はさらに激化した。10日には18歳の僧侶が四川省アバ県で焼身自殺した。14日、温家宝首相は「一連の焼身自殺は背後で亡命政府が操っているためだ」として、ダライ・ラマ法王とロブサン・センゲ首相を指導者と仰ぐチベット亡命政府を非難した。
同日には34歳の僧が青海省同仁県で焼身自殺を図り、重い火傷を負った。17日には、僧の親友で44歳のチベット人農民が焼身自殺を遂げた。遺体の安置された寺院には約6,000人が集まったという。群衆の数の多さが中国共産党への強い不満を宿す現状の厳しさを表している。
生身のまま炎に焼かれての死--チベットの人々を壮絶な死に駆りたてるのは、忘れさせられ、忘れ去られ、最後にチベット民族が事実上消滅することへの抵抗であろう。
大弾圧と大虐殺
チベット人が何者であるかを教えるチベット仏教に加えられた弾圧の一端は、寺院の激減にも窺える。チベット自治区だけに限っても2,713の寺院があったが、文化大革命が終わったといわれる1976年にはわずか8ヵ所に減っていたという。
500万人といわれるチベット人口の内、かつて僧侶は十数万人いたとされる。だが、59年のチベット動乱後に残った僧侶は数千人だった。ウイグル人、モンゴル人に行ったのと同じことを中国共産党はチベット人にも行ったのだ。それはまず、社会の指導的立場にある人々、チベットでは僧侶の殺害だった。
そしていま、残された寺院では、仏教に替って毛沢東以降の中国共産党の教義が教典となっている。
仏教の抹殺に加えてもう一点、中国共産党が力を注ぐのが民族の心を表現し価値観を伝える手段としての言葉を奪うことだ。チベット人はありとあらゆる形でチベット語を忘れ去り、中国語で考え暮らすように誘導或いは強要される。価値観と言葉を奪われ、民族消滅の淵に立つのがチベットである。
民族の価値観を破壊し奪ったあと、中国共産党は忘れさせようとする。記憶の抹消をチベット民族の事実上の抹消につなげるべく図るのだ。
たとえば1966年から10年間、中国全土に吹き荒れた文化大革命で、どれほどチベットの歴史継承のよすがが破壊されたか。中国共産党はそもそも、文革についてまともな検証をしていない。チベット人ら異民族の苛酷な運命については論ずることも記録することも許さない。こうして中国の文革研究及び資料収集において、チベットの文革は顕著な空白となった。忘却が歴史の事実を消し去ると、彼らは考えた。
だが、一冊の書、『殺劫(シャーチェ) チベットの文化大革命』(ツェリン・オーセル著、ツェリン・ドルジェ写真、藤野彰、劉燕子訳、集広舎)が事態を反転させた。父のドルジェが文革中に撮り秘かに保存していた数百枚の写真について、娘のオーセルが6年間の取材を重ね、70数人の関係者の証言を聞いて、400頁を超える大作に仕上げたのが『殺劫』である。解説もさることながら、写真自体が、隠され埋もれていた歴史の事実を正確に見せてくれる。チベット仏教と文化の徹底的な破壊とチベット人迫害の圧倒的事実の集大成は、国際社会が中国の圧政の前に沈黙を重ねることを許さない。
中国総局長を2度務めた読売新聞の藤野彰氏は、宗教が他国と比較にならないほど重要な精神的支柱であるチベットで、仏教が潰滅的な打撃を受けたことの意味の深刻さを同書で解説した。文革をはさんだ1951年から83年までのチベット人犠牲者数を、氏はチベット亡命政府の数字として、以下のように列挙した。
抵抗死43万2,000人、餓死34万3,000人、獄死17万3,000人、処刑死15万7,000人、拷問死9万3,000人、自殺9,000人。
大弾圧と大虐殺。チベットの民族浄化と弾圧を隠し、忘れさせ、なかったことにする試みは、しかし、『殺劫』によって明らかに頓挫した。
民主主義と公正な価値観を
『殺劫』を書いたオーセル氏の夫で著名な作家の王力雄氏は、序文で「民族の継承がよりどころとするのは歴史の記憶である」と強調する。「『記憶』をもって『忘却』に対抗するのは良識ある個々人の責任」だとも書く。
王力雄氏も、『殺劫』の翻訳者の一人、劉燕子氏も漢族だ。中国の異民族弾圧と虐殺の歴史を辿る中で、唯一の希望は、「忘却」を許さず、「記憶」すること、させることによって対抗しようとする人々の中に、彼ら漢族がいることである。
民主化運動が大きな力を有し、現実の国際政治を強力に動かし始めた21世紀において、中国共産党政府とどのように向かい合うべきか、心ある多くの中国漢族の人々とどのように対話すべきか。中国共産党はチベットに対するのと全く同じ手法でウイグル人、モンゴル人にも対処してきたが、日々刻々、弾圧され死に追い詰められていくこれらの人々と共に、どのようにしてよりよい社会を作り得るのか。
そうしたことを考えるために、この度、チベット亡命政府のロブサン・センゲ首相を日本にお招きする。招致委員会代表を私がつとめ、石原慎太郎東京都知事や建築家の安藤忠雄氏ら、多くの人々が委員となっての招致である。4月3日午後、東京永田町の憲政記念館でシンポジウム、「アジアの自由と民主化のうねり ~日本はなにをすべきか~」を開催する。民主主義と公正な価値観を根づかせて、すべての人々が人間らしく生きていけるアジアにしたいと切望している。読者の皆さん方にも是非、参加してほしいと願っている。