「 六ケ所村への執着は妥当か 楽観主義と現状追認は政策不転換コストにならないか 」
『週刊ダイヤモンド』 2004年11月20日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 568
青森県・六ケ所村にある日本原燃の施設を見てきた。8年ぶりの六ケ所村は、いくつか新たな施設が完成して、かつての人里離れたイメージではなくなっていた。8年前もそうだったが、今回も、技術系の皆さんの話は興味深かった。技術開発に一生を賭ける人びとの熱意は、どんな時代にも私たちに夢を抱かせてくれる。
今、注目されている核燃料サイクルと原子力発電から生まれる使用済み核燃料の再処理工場についても、彼らは自信に充ちていた。完成した再処理工場では、日本人技術者とともにフランス人技術者たちが最終的なチェックをしていた。六ケ所村の再処理工場の技術は、フランスからの輸入技術に全面的に頼っているのだ。
だが、なぜ今、多くの疑問が突きつけられている再処理工場の運転を開始しなければならないのか。そう尋ねると、技術者が言った。「これだけ多くの人たちがかかわっているのですよ。それを今やめろというのは無理です」。
施設を見学してみると、そのコメントが迫力を持つ。それほど現場は、前へ前へと進んでいる。技術者たちはこうも言う。「再処理工場を稼働させなければ、技術が途切れてしまう」と。
しかし、六ケ所村の工場を運転しなくても、再処理技術が途切れることはない。茨城県・東海村に、六ケ所村よりは小規模だが、再処理工場がある。しかも、そこではフランスの技術の丸ごと輸入だけでなく、日本独自の技術も加味して再処理を行なってきた。六ケ所村によって日本の技術が受け継がれていく、との考えは成り立たない。
技術継承を、六ケ所村の日本原燃は強調するが、技術以前に解決すべき問題がある。技術を前面に出すにしては、六ケ所村の再処理工場には信じがたい欠陥がある。たとえば、すでに報じられてきたように、使用済み核燃料を冷却・貯蔵するプールからの水漏れである。原子力安全・保安院の調査で、291ヵ所にも上る溶接不良箇所があったではないか。
技術者は、簡単な溶接ミスだという。やり直せばすむという見方であり、再処理工場全体の安全性がそれによって脅かされることもないという立場だ。しかし、貯蔵プールから291ヵ所もの水漏れが発見されてしまうような手抜き工事がまかり通る弛緩した現場に造られるのは、全長1,500キロメートルにも及ぶ配管を有する施設なのだ。日本列島の約半分に相当する長さの細い管の中を通るのは、強い酸であり、核燃料廃棄物が溶かされた危険な物質だ。いったん事故が発生すれば、貯蔵プールの水漏れとは比較できない結果となる。
科学技術を信じる楽観主義は、十分な慎重を伴って初めて信頼に足るものとなる。また、日本全体のことを考えれば、経済性についても注目しなければならない。使用済み核燃料の処理は、再処理するほうがしないよりも高くつく。だが、日本原燃も政府も電力会社も、再処理するとの前提で六ケ所村の工場を建設してきた。したがって、今政策を転換するとしたら、政策転換コストがかかるため、結局は再処理するほうがよいとの結論なのだ。
だが、目前の事情だけ見て、政策転換を図らずにこのまま突き進んでいくことは、将来“政策不転換コスト”を生み出す可能性もある。
原子力、核燃料、プルトニウムなどの、私たちの世代だけではとうてい解決できない超長期にわたる問題には、十分過ぎるほどの慎重さが必要だ。原子力委員会は、5人の委員に27人の各界代表を加えて、まもなく再処理工場の稼働問題に正式に答えを出す予定だが、科学技術への信頼と、それに基づく楽観主義を安易に先行させてよいとは思えない。そのことを実感した、六ケ所村への取材だった。