「 小泉首相、北朝鮮外交で迷走か 」
『週刊新潮』 2004年11月18日号
日本ルネッサンス 第141回
ブッシュ氏が再選されたことで最も警戒感と闘争心を高めているのが北朝鮮の金正日総書記であろう。ブッシュ政権2期目の米国の対北朝鮮政策は6カ国協議の場で、核、ミサイル、拉致を軸に、北朝鮮側の歩み寄りを厳しく要求し続けるものになる。北朝鮮から明確な答えが得られない場合は、北朝鮮問題を国連安保理の討議にかけて経済制裁を科すことも十分に考えられる。
その北朝鮮から呉克烈作戦部長の息子が日本経由で米国に亡命したとの情報がある。11月4日、NHKは、この息子が船で日本に入り、米国に亡命したと報じた。米情報筋は大筋でこれを認めている。現代コリア研究所の佐藤勝巳氏が語る。
「清津から日本に密入国を果たし、そこから米国に亡命したとなれば、日本国内で米軍、もしくは米国の諜報機関が手引きをしていなければなりません。米国の協力によって作戦部長の息子が亡命したとすれば、北朝鮮内部の亀裂は非常に深刻だということです」
亡命したとされる息子の父親、呉克烈作戦部長はかつて総参謀長を務めた。これは絶対的権威者としての金正日、人民武力部長につぐ第3位の地位である。その後彼は作戦部長に就任したといわれている。作戦部長の地位について早稲田大学現代韓国研究所の洪辭虫≠ヘ次のように解説した。
「朝鮮労働党が革命のために行う一切の工作の元締めです。工作員を訓練し潜入させるには、物理的にそれをサポートする仕組みが必要ですが、作戦部長はその手段全てを掌中に握るポストです。海上からの浸透も陸上経由の浸透も、必要な手段は彼によって動かされる。金正日の相当な信頼を得ていなければ就けないポストだと思います」
そのような高位の人物の息子が、金正日が憎むブッシュ政権の米国に亡命したのはどういうことか。佐藤氏は金正日総書記と軍の亀裂につながり得る事態が進行中だと語る。
「竜川の爆破事件は、金正日の暗殺を企てたものだったという点ですでに大方の見方は一致しています。金正日は徹底的に調査して、爆弾の起爆に用いられた携帯電話の使用を全面的に禁止し、竜川事件に関与したとみられる人間の粛清を続けています。呉克烈の息子は情報機関員だと言われていますが、今回の亡命事件と竜川での事件は決して無関係とは言えないでしょう」
作戦部長の息子までが関与するほど、反金正日の動きは北朝鮮中枢部に広がっているというのだ。一方の洪氏は次のように語る。
「北朝鮮の高位の人物の子弟には、北朝鮮の現状に心を痛めている人物が多いのです。国民の飢餓、政治犯の扱い、悲惨な状況に心が揺れない人は少ないでしょう。高官の子弟のように外国に行く機会も多く、外の世界の現実を知っている人間ほど、北朝鮮が非人間的な締めつけの上に成り立っていること、それなしにはあんな国家はあり得ないことに、やりきれなさを感じていると思います。真面目な人間は、意外に多いのです。呉克烈の息子が亡命したのが事実なら、上のようなことが原因であることも考えられます」
金正日政権を支える韓国
洪氏は北朝鮮中枢部の人間でさえ金正日のやり方に従わなければならない現状にストレスを感じているという。そのことは北朝鮮映画からも確認出来るというのだ。
「検閲を経て承認された映画でありながら、人民の苦しみがしっかり描かれています。苦しみの原因は北朝鮮に敵対し続ける米国や日本だとの描き方ですが、伏線として実は本当の原因は別の所にあるとの想いがにじみ出ています。金正日に面従していても、心の中では決して納得していないと確信する描き方です」
国内第3位の人物の息子さえ亡命する金正日体制を支える力は意外にも国外にある。筆頭が韓国だ。盧武鉉大統領は4月の総選挙で国会の過半数をおさえた。その過半数をもって盧大統領はかつてのクリントン政権が模索したソフト路線を推進中だ。
11月6日の町村信孝外相と盧大統領との会談でも、盧大統領は「日朝の国交正常化が(大統領が持論とする東アジア共同体構想の実現にとって)決め手になる」「北朝鮮とは大局的な見地で関係発展のために努力する必要がある」と述べている。
拉致問題解決に向けて、日朝間でもたれる3回目の実務者協議でも成果がなければ経済制裁も辞さないとする町村外相への牽制である。
金正日総書記が恐れる2期目に移行するブッシュ政権は、上下両院の過半数を制し350万票の差をつけて再選を確かなものにするや否や、イラク中部ファルージャへの総攻撃に出た。ファルージャは日本人をも含む外国人人質を殺害したヨルダン人のテロリスト、ザルカウィらの反米拠点があるとみられている。総攻撃は、ブッシュ政権の“テロとの戦い”の決意を示すものであり、中東の“民主化”に確固たる道を切り拓くために、来年1月のイラクの総選挙を成功に導く決意の表明でもある。
拉致解決に全力を注げ
ブッシュ政権はあくまでも力で攻め続け、妥協はしないということでもある。拉致問題の解決には、そのような米国の戦略と姿勢を役立てることが必要だ。金総書記が恐れるように、米国の決意は固い。6カ国協議で交渉を続けながらも、最終的に国連の枠組みに持ち込み経済制裁、或いは武力行使も辞さないだろう。金総書記が拉致された日本人と韓国人全員の無条件の帰国を実現しない限り、北朝鮮への、人道を除く、全ての支援は行わないとの北朝鮮人権法案の内容の厳しさは、掛け値なしの本音である。多くの国民を拉致されている日本であればこそ、ブッシュ政権の北朝鮮政策を多とすべきだが、官邸周辺から奇妙な声が聞こえてくる。
11月3日夜の番組「朝日ニュースター」の中で、武部勤自民党幹事長が小泉純一郎首相の北朝鮮訪問について「事と次第によっては3回行くことを辞すべきではない。日本の首相のリーダーシップは大事だ」と述べたそうだ(11月4日付『日経』)。
武部氏とは極めて親しく、自身も首相補佐官となった山崎拓氏も同様の考えだそうだ。
だが、山崎氏も武部幹事長も、小泉首相の3度目の訪朝で何が得られると考えているのだろうか。盧大統領が強調するように日朝交渉を進めて国交を樹立するのか。それは即ち、日本の資金が大量に北朝鮮にわたることを意味する。拉致問題は国交交渉のなかで解決するというが、金総書記側にその気があれば、今日にでも解決出来る拉致を、なぜ、事実上あとまわしにするのだろうか。
今は米国との協力のなかで、拉致解決に全力を注ぐのが得策である。呉克烈の息子さえ亡命する北朝鮮に、小泉首相が3度行く必要はないのだ。