「 日本だけ稼働の動きが止まらない核燃料再処理問題 原子力政策への信頼危うし 」
『週刊ダイヤモンド』 2004年11月6日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 566
原子力委員会は、道路関係四公団のまやかしの改革と同種の、誤った結論を出そうとしているのではないか。青森県六ケ所村の使用済み核燃料再処理施設の稼働問題に関して、深刻な危機を感じざるを得えない。
再処理施設はもともと、原子力発電(原発)で使用されるウランが高価なため、使用済み核燃料に残っているウランを取り出し、化学処理して再利用する発想で始まった。化学処理によって、ウランはプルトニウムに変わる。ここから混合酸化物(MOX)という核燃料を作り用いれば、炉の中でプルトニウムが増え、エネルギーを生み出し続けてくれる、この仕組みが高速増殖炉だ。年間1,000トンに上る日本の原発の“残滓(ざんし)”としての使用済み核燃料は、高速増殖炉を最終的な着地点とする再処理によって生かされるはずだった。
ところが、1995年の「もんじゅ」の事故により、日本での高速増殖炉の実現は事実上不可能となり、再処理施設を稼働させる意味はなくなった。にもかかわらず、六ケ所村の施設を運用しようという動きが止まらないのだ。
根拠の“経済性”に疑問噴出 過小評価される原発コスト
その理由の一つは経済性だという。原子力委員会小委員会は今月4日、使用済み核燃料を再処理する場合と、地中に埋める直接処分の場合のコストを比較、単純な発電コストに加えて「政策変更に伴う費用」などを考慮すれば、最終的に、再処理のほうがコストは安いと分析した。
理屈はこうだ。これまでは再処理施設を稼働させる前提で、青森県に各地から使用済み核燃料を持ち込んだ。地元が受け入れたのは、使用済み核燃料は、再処理して高速増殖炉で使えば県外に運び出される。原発の“ゴミ”を青森県に永久貯蔵しなくてすむ、という前提だったからだ。しかし、“政策変更”をして再処理施設を稼働させなければ、使用済み核燃料はそのまま置き放しにされかねない。地元は納得しないであろうし、すでに持ち込まれた約1,000トンの使用済み核燃料は、発生元に戻されてしまいかねない。すると、各原発の使用済み核燃料の貯蔵プールが順次満杯となる。原発のゴミの持ち込み先がなければ電力会社は原発を停止しなければならず、そのぶんの電力不足を補うために火力発電所を建設しなければならない。
このような理屈で、右のプロセスに必要なコストを原発コストに単純に加算すると、直接処分の場合の発電コストは、1キロワット時当たり5・4~6・2円、再処理すれば5・2円で、再処理のほうが安くなるという計算だ。右の数字を基に、原子力委員会は再処理施設の稼働問題に結論を出そうとしているのだ。
原子力委員会新計画策定会議のメンバーである、九州大学大学院の吉岡斉(ひとし)教授が指摘した。
「この論法には致命的な欠陥があります。プール満杯による原子力発電所の大量停止という事態は、必ず起こるという事態ではなく、確率論の問題です。そのような緊急事態が実際に発生する確率を計算し、推定追加コストに掛け合わせた額を、現状の原発コストに加算するのなら理屈は通ります。しかし、その作業をしない以上、二つの数字は性格が異なるのですから、加算しても意味はありません」「発電所が原発から火力発電に置き換えられていくと想定するなら、両者の総コストを比較すべきです。その場合、原子力発電コストは火力発電コストより高いでしょうから、数字は逆になり、火力発電への切り替えに追加コストは発生しないのです」
加えて、報告書では原発のコストが過小評価されているという。たとえば、政府が負担している原子力関係予算は、電力会社にとっては外部費用になるが、これがすべて、コスト計算から除外されている。また、原発に限らないが原発に特に重くのしかかっている各種のインフラコストも、まったく勘定に入っていない。
今は“貯蔵”を最重要課題に技術革新を待つべきとき
全体像を示すことなく都合のよい数字を並べる手法は、かつて、もんじゅのナトリウム漏洩や東海村再処理工場の火災・爆発事故を隠蔽しようとした旧・動燃(現・核燃料サイクル開発機構)の姿勢と重なって見える。問題に根本的に取り組んでいくよりも、手頃なところで手を打つ、繕いの姿勢である。吉岡教授によれば、97年以降は原子力行政での“反動”が起きているという。「97年と96年を較べると、興味深いのです。96年には、その前年の高速増殖炉、もんじゅの事故の余波で原子力行政の情報公開が少し進みましたが、その翌年、原子力行政は早くも逆コースをたどり始めたのです」。
たとえば、高速増殖炉をどうするのかに関して、政府(通商産業省、当時)は97年1月20日、原子力部会の報告で核燃料サイクルの推進を確認し、MOXを軽水炉で燃やすプルサーマル計画の推進を提言した。世界各国が高速増殖炉計画から撤退していくなかで、また、もんじゅの事故にもかかわらず、通産省は、高速増殖炉を頂点とするエネルギーシステムを目指すことを国是として再確認したのだ。1月31日には原子力委員会も、通産省の決定を受けてプルサーマルの促進と再処理事業の促進を決めた。しかもその手法は、専門部会や懇談会に諮(はか)るという手続きを割愛したもので、「そうとうに強引な手法」だったと吉岡教授は指摘する。
その直後の2月4日、今度は政府が同じ内容を閣議了解した。そんなときに起きたのが3月11日の東海村再処理工場火災・爆発事故だった。大きく損なわれた原子力行政への信頼。政府は事態打開のために高速増殖炉懇談会を設置した。同委員会には、高速増殖炉に反対する専門委員はたった一人しかいなかった。約半分が原子力政策の策定に常にかかわってきた人たちで、明らかに人選は偏っていた。ちなみに、同懇談会の委員には大宅映子氏らが入っている。ごく一部を除いて、原子力政策に関して独自の立場から発言したことがほとんどない人たちだと、吉岡教授は語る。
そして今、吉岡教授ら専門家に加えて多数の非専門家がメンバーに連なる原子力委員会新計画策定会議で、六ケ所村の再処理施設の稼働問題が論じられているのだ。東京大学新領域創成科学研究科の山地憲治教授が書いた。
「問題点は現状を論理的に分析すればわかる。しかし、解決策の提示には論理を超えた決定が必要だ」「決定において本質的に重要なことは論理より責任であり、決定者がその責任を負う」
山地教授はこう指摘して、将来の不確実性が大きいなかでは、今すぐ再処理には踏み切らず、使用済み核燃料の貯蔵を最重要の路線として位置づけるべきだと結論づけている。再処理施設は、いったん稼働すれば強い毒性のプルトニウムに汚染され、ほかに使い道がなくなる。加えて、再処理にはコスト削減の合理性もない。
これら専門家の意見と分析に真摯に耳を傾ければ、再処理施設の稼働は思いとどまるべきで、さらなる技術革新を待つべきなのは明らかだ。原子力委員会の決定は長く歴史に残る。将来恥じ入るような決定はするものではないのだ。