「 バス釣りが招く生態系の危機 」
『週刊新潮』 2004年10月7日号
日本ルネッサンス 第135回
去る9月25日、池袋の立教大学キャンパスで「岐路に立つブラックバス問題」というシンポジウムが開かれた。会場の7102階段教室は参加者でほぼ埋まり、約4時間の報告と質疑応答には熱がこもっていた。
シンポジウムでは全国の都道府県に広がってしまった北米産の外来肉食魚、ブラックバスが文字どおり、日本の生態系を崩壊させようとしている被害とその対策が報告された。
元宮城県内水面水産試験場の高橋清孝氏が伊豆沼の現状と取り組みを報告した。伊豆沼は宮城県仙北平野にある低地湖沼で、一番深い所でも1・6mの水深しかなく、凍らない沼の北限にあたるため、渡り鳥を含めて多くの水鳥に休息と繁殖の場所を供給してきた。1985年には釧路湿原に次いでラムサール条約の登録湿地帯に指定された。その伊豆沼に大きな変化が生じている。まず、伊豆沼に生息する魚の大型化が目立つと高橋氏は語る。
「人間が乱獲すれば魚は小型化していきます。しかし、伊豆沼では魚類は大型化しています。小型の生物が全滅に近いところまで食い尽くされているからです」
伊豆沼には豊富な種類の生物が共存していた。ところが2000年以降、幾種もの魚が全く姿を見せなくなった。ゼニタナゴは95年頃までは毎年数トンもとれていたのが、2000年以降、姿をみせず、全滅したと考えられる。
「ヨシノボリもハゼもフナも貝類も、メダカもみんないなくなりました。ヌカエビ、スジエビも同様です。小型の生き物が食べ尽くされ、これらの魚を食べていたカイツブリやサギの仲間の水鳥も来なくなりました。この間に水質を含めての環境に大きな変化があったわけではなく、原因は97年から99年にかけて急増したブラックバスだとしか考えられません」
食い尽くされる湖沼の生物
ブラックバスのいる所、日本の自然の中で生きてきた小さな生物が消え、水鳥も来なくなる。まるでレイチェル・カーソンの「沈黙の春」のような状況が日本全国に出現しつつあると、写真家の秋月岩魚氏が警告する。氏は渓流の岩魚を愛する余り、自分の名前を「岩魚」に変えた。それほど愛してしまった日本の魚たちがいま、ブラックバスによって全滅の危機に追いやられつつあり、さらに日本の生態系に深刻な影響が生じていると訴える。
ブラックバスは、孵化後体長2センチまではひと固まりになって流れのゆるい水域でミジンコなどを食べてすごす。ところが2センチをこえると急速に活発化し、広い水域を泳ぎ回り、在来魚を食べる。
「食欲は非常に旺盛で、日本の自然で育った大人しい魚たちが餌食になってしまいます。ブラックバスは通常は体長30センチ前後ですが、条件次第で60センチにもなり、フロリダバスは80センチにもなります。さまざまな種類がいて、日本に入ってきているのは主にオオクチバスとコクチバスです」
獰猛な魚で、彼らはなんと鳥までとらえて食べるのだ。
高橋氏は伊豆沼での観察からバスがカイツブリを食べるのを確認、秋田県水産振興センターの内水面利用部長の杉山秀樹氏らは、ブラックバスを捕獲し、胃の内容物を調べたところ、魚類にまじって水鳥のヒナが出てきたと報告。まさに、魚が鳥を食べるのだ。こうしてラムサール条約で認定された人類共有の財産である湿原や水辺の多様な生物が、ブラックバスに追い詰められ滅びていく。
日本の誇る美しい湖、琵琶湖は400万年もの歴史を持つ。その長い歴史ゆえに「湖のガラパゴス」と呼ばれるほど、多くの固有の生物を育んできた。その琵琶湖であの大型のフロリダバスが捕獲されたのだ。過去30年で、琵琶湖から姿を消した魚はメダカ、イチモンジタナゴ、カワバタモロコなど少なくとも8種、犯人はブラックバスである。
彼らの適応能力は凄まじく、オオクチバスは、本来あたたかく流れのない水域を好むが、今では北海道を含む全国に生息する。コクチバスは冷たい水や流れのある水域を好むが、いまや九州にも広がり、淡水と海水のまじり合う汽水域でも繁殖しているほどだ。
生態系破壊の真犯人
この外来魚が日本全国の湖、沼、川に広く繁殖した理由は、人間のせいである。魚がひとりで全国津々浦々の水域に飛んでいけるわけはないから、人間が密放流したとしか考えられない。密放流は違法行為である。違法行為をしてまで、バスを放流するのは、それによって経済的に潤っている人々がいるからである。現在バス釣り人口は全国で100万人を超えるとみられている。ブラックバスは力が強く、いわゆる“引き”が強いために、それなりの釣具が必要だ。釣具メーカーにとっては、バス釣りの普及は売り上げにつながる。秋月氏が語る。
「特定のメーカーや人物が組織的に密放流をしている疑いが強いのです。一旦、放流してしまうと、強い生命力をもつブラックバスはあっという間にふえます。岩手県御所湖や富山県の桜ケ池のワカサギも各流域の鮎もやられています。手の打ちようがなく、漁業で暮らしてきた人たちも諦めの境地に陥り、ふえすぎたブラックバスで暮らしをたてる方向で妥協しがちです。それでは、日本はブラックバスだらけになり、日本の魚類と水辺の生き物が滅びます。生態系もくずれます。どんな形ででも密放流という違法行為に屈したり、加担することは許されないし、その結果の生態系の崩壊も許せません」
秋月氏らの懸念は当然だ。秋田県のように、県ぐるみでバス退治の対策をとっている県もあるが、そのような危機意識を持つ県はまだ少数派だからだ。
シンポジウムでも、子供たちにバスを釣ってはいけないと教えるべきなのかという質問が出た。バス釣りはキャッチ・アンド・リリースで、一旦釣り上げたバスを放流するという点で、自然に対する優しさを教えているのではないかとの質問である。
大事なのは、自然に対する真の優しさは、生態系を守る努力をすることだ。引きの強い魚の釣りを楽しむために、本来、そこにいるべきではない魚を、人間が勝手に持ってくることは自然に対する冒涜だと教えるのがスジである。自然と共存するための教育は、根本論から教えるべきだろう。
気にかかる動きがある。今年5月、ブラックバス駆除を念頭に「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律案」が衆議院で可決された。ところが、具体的内容を詰める作業で、肝心のブラックバスを対象から外す動きが出ているのだ。元々ブラックバスを対象にした法律からブラックバスを外して何の意味があるのか。日本の生態系を守るために政治家たちは賢い選択をせよ。