「 私は美保じゃない、遺留品は語る 」
週刊新潮 2004年4月29日号
日本ルネッサンス 第114回
1984年6月4日に突然姿を消した山本美保さんは、若々しい命が弾むばかりの20歳だった。
母親の文子さんが語る。
「双子の姉ですが、美保のほうが妹の美砂(みさ)よりも性格も活発で、運動好きでした。学園祭では実行委員を務めましたし、通学していた地元の高等看護学院ではワンダーフォーゲル部長も務めていました」
家族は、美保さんの突然の失踪に、悩み、悲しみ、葛藤の日々をすごした。だが2003年3月に、妹の美砂さんが韓国に亡命した北朝鮮の工作員・権革(クオンヒヨク)氏にツテを求めて東京で会った時から、少しずつ展望が開けてきた。話を聞くことが出来たのは30分間だったが、パッと視界が開けるような時間だった。権革氏は、94年頃に北朝鮮国内で見かけた女性が美保さんにそっくりだと言って、美砂さんを見ながら、「あなたの方が華奢ですね」という意味のコメントをしたのだ。文子さんが語る。
「美保のほうが運動好きで骨組みはしっかりしているのです。背は美砂の方が1センチ強高いと思いますが、肩や胸などは美保のほうがガッシリしています。本当に美保を見た人でなければ、言えないことを言い当てたのですから、あっ、美保は生きていたんだと納得しました」
北朝鮮に拉致された可能性が否定しきれない人々の調査を続けている特定失踪者問題調査会も美保さん関係の情報収集に力を入れた。昨年12月には、代表の荒木和博氏から文子さんに説明があった。それによると、美保さんは埼玉県川口市から失踪した佐々木悦子さんと一緒に運動場を歩いていたり、バレーボールをしたりしていたというのだ。見たのは先述の権革氏だ。佐々木さんは5454部隊の通信司令室で働いており、権革氏は彼女と直接20分間ほど話したことがあるそうだ。しかし、美保さんとは直接話したことはない。
それにしても5454部隊とは何か。調査会もはじめて聞く組織名だという。日本で有名になった元工作員の安明進氏はこの組織を知らないと述べた。だが権革氏は同組織は1978年に日本攻撃を目的として設けられた特殊部隊で、ピョンヤンにあると説明した。同調査会は、5454部隊が朝鮮労働党の組織である可能性も否定しきれないが、組織の実態は特定出来ていないという。
権革氏は同部隊の通信部では何人かの日本人女性が働かされており、佐々木さんはそのひとりだと語った。美保さんもそこで働いていたのかどうかは不明だが、権革氏は佐々木さんと美保さんが一緒のところを複数回目撃したわけだ。
そして、今年1月に、美保さんは異動になった、元気だという新たな情報がもたらされた。但し異動先がどこであるかは不明である。
不可思議な警察発表
20歳で姿を消した可愛い娘が、拉致されているであろうと知った文子さんにとって、生存確認につながる情報はどんなことでも知りたいはずだ。だが、3月18日号の当欄で伝えたように、山梨県警は、今年3月5日、突然、美保さんは日本国内で死亡していたと発表した。
20年前の6月4日に甲府で失踪した美保さんは同年6月21日に一部白骨体となって山形県の遊佐海岸に漂着したという説明だった。美保さんの家族のDNA鑑定と、遊佐海岸に漂着した遺体のDNAが「99・999…%」一致したと言われたと文子さんは語る。
DNA鑑定は最強の証拠である。DNA鑑定の結果が真に一致したのなら、美保さんの御家族も、辛くとも、残酷な結果を受け入れざるを得ない。しかし、1人の人間の生か死かを断ずるには、今回の山梨県警の説明は余りに頼りない。担当者は、“私も専門家ではないのでよく分からないのですが”と前置きして説明したという。そんな結果を突きつけられて、信用せよ、あなたの娘は死んでいたと言われても、到底、納得出来ないのは当然であろう。
家族にとって納得出来ない点は、実は他にも多々ある。母親らしい説明を文子さんがして下さった。
「今年1月時点で遊佐海岸に漂着したご遺体の着衣などを写真で見せてもらったのです。一目見て、娘のものではないとわかりました。美保の失踪から20年がすぎましたが、母親ですからわかります。美砂とも記憶を確かめ合いましたが、下着は全て他人のものです。ただ、あの日、美保はジーパンで出ました。どこでも買えるようなジーパンですから、そればかりは美保のものかどうかは、何とも言えませんでした」
母親らの疑問と指摘にもかかわらず、前述のように山梨県警は、美保さん死亡と発表した。
背後に見える黒い意図
「本当にショックでした。しかもその発表を私たちはマスコミから聞かされたのです。で、私たちは、その遺留品の現物を見せてもらいました」と文子さん。
4月7日に残された着衣を閲覧し、文子さんはさらに確信を深めた。この着衣の遺体は美保さんではあり得ないと。
「下着は美保には全て小さすぎます。ネックレスも美保のものではありません。目に見える証拠が、ご遺体の主は美保ではないと告げています。そこに一枚の紙が示されて、DNA鑑定の結果は一致と言われても、現実感覚からすれば、どうしても納得出来ないのです」
それにしてもつくづく不可思議なケースである。なぜ、いま、突然、DNA鑑定が出てくるのか。
荒木氏らはいくつかの疑問を山梨県警にぶつけたが、納得出来る回答は戻ってきていない。矛盾の目立つ警察発表を見ると、闇雲に美保さんは国内で亡くなったことにしてしまいたいとでもいうかのような意思が働いていると思える。下着のサイズが違っていても、つまり、美保さんとされる遺体が実際の美保さんより一回りも二回りも小さな体であっても、またはネックレスが全く違っていても、遺体を美保さんにしてしまうためには、矛盾があっても構わないと考えているのか。
一体それは誰の考えか。どうしても日朝交渉を進めたい人々の考えであろう。北朝鮮から8人の家族を連れかえり、拉致問題に区切りをつけ、日朝国交正常化交渉を始めたい人々にとって、政府がまだ認めてもいない新たな拉致の事実が明るみに出ることは、どうしても避けたいはずだから。“犯人”は警察を動かす力を持つ人物だ。となれば、官邸の主か官房長官かとも考えられる。いま、拉致被害の家族会に、8人が近い将来帰国するので、経済制裁を課せなどの強硬意見を控えるようにという働きかけが行われていると聞く。水面下の動きは、拉致問題をどこかで区切りたいとの強い意向のあることを示しており、それが美保さん問題に重なって見えてくるのだ。だが、国民置き去りの拙速外交は必ず失敗する。