「 公判停止で『永久の沈黙』 権威だった安部氏の責務は患者側の想いに応えることだ 」
週刊ダイヤモンド 2004年3月6日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 533
2月23日、東京高等裁判所の河邉義正裁判長は、薬害エイズ裁判で安部英被告の公判停止を正式に発表した。被告人が「現在、高度の痴呆状態にあると認定するのが相当で、心神喪失状態にあると認める」という理由からである。
刑事訴訟開始から7年、それ以前の取材や東京HIV訴訟も含めて考えれば、私にとっては10年以上取り組んできた人物だ。
当然、多くのことが脳裡に浮かんでくる。安部氏の患者で亡くなった人びと、感染告知も適切な生活指導も受けなかった夫婦、時期は特定できないが二次感染した妻、血友病の権威である安部氏を信頼していたにもかかわらず、感染後の対応にどうしても納得のいかない患者と遺族の方がた。
薬害エイズで亡くなった人は、全国で540人を超える。これまでに取材した人たちの顔や言葉が浮かんできて、不覚にも涙を誘われる。法廷でも多くの証人を見てきた。傍聴席の人びとの様子も、鮮明な記憶として残っている。
安部氏の高裁の審理が始まったとき、焦点の一つは、東京地方裁判所の永井敏雄裁判長や上田哲、中川正隆両裁判官らが耳を傾けようとしなかった患者の声に、高裁がどう対応するかだった。河邉高裁裁判長が患者の大平勝美氏の証人尋問を実現させたとき、初めて、薬害エイズ安部公判で公正な判断が下される可能性が出てきたと実感した。540人もの死者を出し、現在も多くの患者が病気と闘っている薬害エイズ問題で、永井地裁裁判長が患者の声も聞かずに安部氏無罪の判決を下したことは、じつに不当不公正だった。それだけに、河邉高裁裁判長の決断が好感された。
証人尋問はさらに続き、やがて、2人の人物が傍聴席に姿を見せるようになった。小柄な婦人と子息のような風情だ。婦人の表情から、不安と緊張と真剣さが手に取るように窺えた。そして、隣の男性の仕草には見覚えがあった。指で耳掃除をするかのように耳を触っては、その指を鼻先に運び臭いを嗅ぐそれは、安部氏の仕草と同じである。
地裁の審理に出廷していた安部氏を、私はたいがい傍聴席の最前列で見ていた。氏はメモを取ったり頷いたり、背後の弁護団にメモを回したり、じつに表情豊かだった。そうしたことの合間に、氏は先述の仕草を頻りに繰り返したのだ。
当初は、医師である氏が体調を測るなにかの目安にしているのかと考えたが、ほかの医師に同様の行為が見られるわけでもない。すぐに、単なるクセだとわかった。法廷に姿を見せるようになったこの男性を、安部氏の子息だと確信したのは、その仕草がまるで瓜二つだったからだ。となれば、婦人は安部氏夫人であろう。その不安と緊張の表情は、身内を想う心情を表していた。夫を想う心を察すれば、立場は異なるが、気の毒だと思わずにはいられない。
安部氏の心神喪失に、先述の大平氏はこう述べた。
「病気なら仕方がありません。僕たちも病気を抱えていますから、病気の人を責める気にはなかなかなれない。しかし、道義的責任も認めず謝りもしないのは、受け入れられないのです」
この患者の優しさと誠実さに応えることもなく、安部氏は今、永久の沈黙を貫こうとしているわけだ。私たちは、病と法をただ受け入れざるをえない。
そんなところに、24日早朝、澤登邦男(仮名)さんから電話があった。
一人息子を喪った澤登さんは、電話の向こうで泣いていた。ひたすら烈しく泣き続ける声だけが聞こえてくる。途切れ途切れに語ったのは、頭では公判停止は仕方がないと考える、しかし、心がついていかない、眠れぬ夜をやり過ごし、ひたすら口惜しさが込み上げてきたというものだった。
安部氏、そしてほかの専門医、一審の永井裁判長らは、こうした患者と家族の想いにこそ応えてほしい。