「 『アメリカの戦争』 に学ぶこと 」
『週刊新潮』 2004年2月5日号
日本ルネッサンス 第102回
イラク問題で日本が米国と独仏両国の間を取りもとうという動きがある。橋本龍太郎元首相が昨年ヨーロッパを訪れたとき、仏などと意気投合した結果だという。
米国と対立している独仏両国と日本が力を合わせて、単独主義で突っ走る米国を国連の枠組に近づけ、同時に米仏独の関係修復に一役買って出ようということのようだ。
私は、戦後最大の失敗と言われるクラスノヤルスク外交を演じた橋本氏の考えや力量を全く信頼していない。相手国首脳への個人的信頼を重視する余り、国家戦略から外れ国益を損なった橋本外交の轍を、イラク外交で、再び踏んではならない。
クラスノヤルスク失敗外交は1997年11月に、時の総理の橋本氏が行ったクラスノヤルスクでのエリツィン露大統領との会談から始まった。エリツィン大統領は2000年までの平和条約締結を提言し、これに橋本首相が飛びついた。同外交の問題点は、元外務省ソ連課長で杏林大学教授の新井弘一氏が詳しく分析した。氏の分析はざっと以下のとおりだ。
エリツィンは90年の来日時に「5段階解決論」を提案、平和条約締結は第4段階に位置づけられた。一方領土問題は第5段階に盛りこまれ、「次の世代に委ねる」と、先送りされた。これではクラスノヤルスクで提案された平和条約が、領土問題の解決に役立たないのは明らかだ。
にもかかわらず、橋本氏はエリツィン個人の決断に賭けた。クラスノヤルスク会談のあと、両者は静岡県川奈で会談。川奈会談で橋本氏は領土返還という言葉を国境線の確定と言い換えた。ソ連側は北方領土占拠の違法性を明確に示す「領土返還」や「不法占拠」という言葉を嫌い、長年、国境線確定と言い換えてほしいと要求していたが、橋本氏はその要求をそのまま受け入れた、と新井氏は厳しく批判する(「漂流する日本の対露外交」『新国策』2001年4月15日号)。
領土返還の確約は皆無なのに、橋本氏はエリツィンを「この男は話せる」「本音でぶつけた時に本音で返ってくる」と信じて突っ走った(「ロシアとは完全なパートナーシップを」『外交フォーラム』2000年12月号)。
日本側はクラスノヤルスク外交に基づいて、経済援助だけは先行させた。1兆円近い援助の結果、日本側が得たものは何だったか。エリツィンは99年12月31日に退陣し、回想録を出版。ロシア領土である北方領土の返還を要請する橋本首相に不快感を抱いたとの主旨を書いていた。後任のプーチン大統領は北方領土問題を論じ合う気配すらみせていない。
橋本外交「敗北」の教訓
なぜこんな惨めな失敗を、橋本外交は犯したのか。外交の基本を、首脳同士の個人的信頼に置こうとしたからだ。極論すれば外交には個人はない。好悪もない。あるのは国益のみである。国益に合致するとき、初めて、首脳同士の好悪の感情、相性の良し悪しが、結果になにがしかの効果を積み上げるというほどのものだ。その点を踏まえずに、自意識過剰とでも言いたくなるような個人ベースの対応をすることが、戦後外交の最大の失敗と酷評される結果を生んだのだ。
外交の最大の課題は、いま、イラク問題である。どう対処すべきなのか。まず、イラクを筆頭とするアラブ諸国の現状把握に加えて、米国の意思を正確に読みとることが重要だ。米国とは一体、どんな国か。イラクをはじめ、21世紀の世界に米国がどう対処しようとしているのか。そのことを見事な全体像として見せてくれるのが『アメリカの戦争』(田久保忠衛氏著、恒文社)である。
同書は、米国建国に至る欧州の事情から説きおこし、日本、中国、アジア、ロシアと広い目配りのなかで、あくまでも米国から見た歴史を描く。題名どおり、主軸は戦争である。国益が最も鮮烈な形で噴き出るのが戦争であれば、米国の戦争を分析することで、米国の性格が見えてくる。
米国の誕生が、文字どおりの戦いのなかからだったのは周知のとおりだ。米国を生んだ土壌は、1919年に米国に単身渡った近衛文麿が喝破した「好戦的尚武的気質」であると、田久保氏は指摘する。同時に「米国があたかも軍事力だけを背景に他国の意向を忖度することなく単独行動主義に走る単純な国であるかのような解釈」だけでは、米国を見誤ってしまうと警告する。なぜなら、「建国の当初からこの国は外交防衛にしたたかで、独自の行動をしてきた」からだ。
スーパーパワーから唯一の超大国、ハイパーパワーとなった米国は、いま、最大の官庁としての国防総省を擁し、2番目に大きい省としての復員軍人省を、3番目に、9・11テロを契機として発足した本土安全保障省を有する。
国家は国益で豹変する
小さな政府を標榜する共和党が、民主党の全面的な支持を得て、あっという間に職員17万人の本土安全保障省を立ち上げた。文字どおりの軍事国家は決意も固く、実行能力も優れて高いのだ。
加えてブッシュ大統領はブッシュ・ドクトリンと呼ばれる「米国の国家安全保障戦略」を2002年9月に発表した。田久保氏はその冒頭部、「米国は国際社会の支持獲得に絶えず努めるが、必要なら単独で行動することをためらわず」「テロリストに対して先制攻撃を取ることで自衛権を行使し、彼らがわが国民とわが国に危害を与えることを防ぐ」と紹介し、危機管理のシステムと方法を、「あっという間に実現した米国の対応の早さに」注目せよと、強調する。決断、実行、スピード。これら全てのエネルギーの源泉が国益である。
独立を賭けた英国との戦争以来、米国が重ねてきた血みどろの戦いの中で常に最優先されてきたのが、まさに国益なのだ。国益確保の大命題の前には、「話せる男だ」などという個人的感傷的見方は一片の価値だにない。国家の命運を賭けて、今日の対立は、今夜にでも反転し得るのだ。
1933年秋、それまで米国内に濃密だったソ連嫌いのアレルギーを振り払って、米国側からソ連側に関係改善を働きかけた。同年11月にはソ連政府代表リトビノフ外務委員がワシントンを訪れ、ルーズベルト大統領と会談した。極東の日本に備えるためだ。東郷茂徳外相がこの米ソ接近こそが「ヤルタに至る長途の一歩」と語ったことが、『アメリカの戦争』に紹介されている。
国家は国益のために豹変する。米独仏、皆同じである。橋本氏や、日本の外務省による橋わたしなど、米国にとっては、的外れであろう。そんなことよりも、本隊派遣が決まった自衛隊を、日本代表として認め、彼らの健闘を祈り、きちんと正面から送り出すことだ。なによりも、日本が自立し、責任をもって自律出来る国家になることが先決だ。