「 派閥政治の終焉で原点復帰 小選挙区制での自民・民主両党の政策論争に期待 」
『週刊ダイヤモンド』 2003年10月4日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 512回
「派閥の崩壊」と形容された9月20日の自民党総裁選挙で、“鉄の団結”橋本派の藤井孝男氏は、小泉純一郎首相に大差で敗れ、手勢15人の弱小派閥の高村正彦氏とほとんど同数の国会議員票しか得られなかった。
“重鎮”野中広務氏が挑んだ反小泉の戦いは、氏が身を捨ててもひと捌(は)けほどの影響も及ぼせず、首相の圧勝に終わった。
「毒まんじゅうの食わせ方がうまかったのでしょう」という野中氏の捨て台詞(ぜりふ)が象徴する派閥政治の終焉は、元をたどれば、小選挙区制によってもたらされたものだ。中選挙区制の下では、同一政党から2人ないし3人の候補者が立つ。同一政党であるから、政策論争は意味がない。意味があるのは、どれだけ地元に利益をもたらしたかである。
だが、個々の業界や個人の利益を軸に形成されるつながりは、公の利益から離れることによって劣化する。
一方、候補者たちは自分の基盤を強化するために派閥に属し、その派閥を強化していくことを迫られる。派閥の力は、各自が受け取る選挙資金、党や内閣のポストに直結するからだ。
このような状況のなかでのみ、派閥の“鉄の団結”が可能だったのだ。
中選挙区制の下では、政治家は政策よりも、業界とのつながりや派閥の結束の維持を第一に考えなければならなかった。政策立案の主たる担い手は、政治家ではなく官僚集団であり続けた。
その中選挙区制の廃止は、党運営の求心力を派閥から党へと戻した。小選挙区制となった今、候補者を公認し、選挙を取り仕切るのは幹事長だからだ。1つの選挙区に、同一政党から1人の候補者しか立たないのであれば、彼らの敵は他党の候補者である。他党との相違は、政策で見せるしかない。政策論議が盛んになる理由である。
今回、自民党総裁候補者が繰り広げた政策論争は、必ずしも十分だったとはいえないけれど、そのなかで最も多くの、新しい支持者を開拓したのが高村氏だった。予想外に高かった支持は、氏の展開した政策論への支持だったはずだ。
10月解散、11月選挙で、政策論争はさらに加速する。民主党はすでにマニフェストを出した。小泉首相の構造改革の象徴である道路関係四公団の民営化に対抗して、高速道路無料化政策を3年で実現、衆院比例代表の定数を80人削減する法案を来年提出する、などの具体的公約を、目標数値と期限付きで掲げた。
自民党政調会長に就任した額賀福志郎氏は、早くも、自民党の郵政および道路公団改革はこれまで「議論されてきていない」と述べ、スローガンに加えて具体論の提示が重要だとの姿勢を示した。政党も政治家も、本来の役割である政策を考え、立案していく原点へとたどり着きつつある。
去り行く人、野中氏を政策論から見てみよう。氏の“愛弟子”として仕えてきた鈴木宗男氏とともに、野中氏は、北方領土問題と日露平和条約の締結は並行して考えればよい、つまり、両者一体とするのではなく、切り離しも可能との立場を採った。また、二島返還を強調し、年来の四島返還の主張を後退させたことで、日本の対露政策は土台から揺らぎ、国益は損なわれんとした。
氏はまた、拉致された国民の不幸にきわめて冷淡であり続けた。良識ある日本人なら、朝鮮半島への植民地政策に心を痛めない者はいない。だからといって、金正日政権による拉致被害に苦しむ国民から目をそらすことは、日本の政治家としてあるまじきことだ。
政策論で見れば、野中氏はこれほど歪(いびつ)な政治家だ。中選挙区制ゆえに力を保ち、政治を歪(ゆが)めた人びとが力を失い消えていくのも、小選挙区制の一側面だ。人材交代だけでなく、政権交代も可能にする小選挙区制の下で、自民・民主両党の大いなる政策論争を期待する。